元宇品にある観音寺を訪ねた後、元宇品口の電停から歩いて北上する。先ほどは「元」の札所だったが、次に向かう宇品御幸にある第52番・法眞寺で、広島新四国の続きである。広電で行ってもいいのだが、停留所2~3つ分ならそのまま歩いたほうがよさそうだ。
この辺り、明治時代に宇品に港を建設するにあたり干拓が行われて陸地が広がったそうだ。元宇品口から北に伸びる道路を境に左右で段差ができているが、当時の堤防と新たに干拓された一帯の境目の名残だという。そして山陽鉄道(現在の山陽線)の広島開業、日清戦争の開戦にともない、宇品港が兵士や物資の輸送拠点となったことで広島は軍の拠点として重要なところとなった。
現在の宇品御幸は碁盤の目のような街並みに住宅が密集しているが、その一角に、他の住宅地とほとんど変わらない様子で法眞寺が現れた。看板がなければわかりにくいところだが、それでも限られた敷地に祠や石像が所狭しと並んでいる。こうした「まちかど札所」も久しぶりだ。
法眞寺は当初、ある篤信家の霊夢によって高野山から弘法大師の像をいただいて大師堂を建てたのが始まりとされる。大正から昭和にかけて高野山大師教会の宇品支部となり、また地元の篤信家から土地の寄進を受けて本堂の増改築をなした。場所が場所だけに本堂は被爆し、その後も残っていたが現在の建物は平成になって建て替えられたものである。
おそらく寺の方は家にお住まいなのだろうが、朱印も書き置きが箱に入っているし、特に話す必要もない。普段は静かなのだろうが、何か特別な法要があれば扉が開き、祈りが捧げられることだろう。その中で、寺に居ついているのか、猫が出迎えてくれる。猫よ、悪事ニャンを逃れさせたまえ・・。
次の第53番・興禅寺に向かう前にもう少し宇品地区を歩いてみる。広島郵政研修所の跡地や(何が建つのかな?)、イオンの前を過ぎ、養徳院という寺の前を過ぎる。
この養徳院は広島新西国のかつての第11番札所だったが、2019年に札所を返上したところだ(現在は東区の安楽寺が第11番)。そこにも何らかの事情があったことだろう。
東に進んで海岸通りに出る。また一段高くなっており、線路の路盤の跡が見える。ここはかつて国鉄の宇品線が走っていた跡地である。宇品線は日清戦争の時に軍事専用線として建設され、広島駅と宇品港を結んでいた路線である。日清戦争後は旅客営業も行うようになり、沿線の人たちの足となった。原爆投下の際も、比較的被害が少なかったために被爆者の輸送も行われたことがあった。
戦後、広島の復興が進む中で広電の宇品線や路線バスの利便性が高まったこともあり、宇品線は大きく客足を落とし、旅客営業を廃止し、国鉄の貨物線扱いとして維持されていたが、民営化前の1986年に全面的に廃止となった。
その後、線路跡のほとんどが道路に転用されたが、宇品線跡地を示すスポットがいくつか残されている。都市部にある廃線跡としてネットでも訪問記がよく取り上げられている。その一つが丹那駅周辺である。線路跡を地元の人たちによる花壇として整備し、後付けで宇品線の歴史についても記された丹那の駅名標もある。
その宇品線跡沿いにある「宇品天然温泉 ほの湯」に立ち寄る。姉妹店の「ほのゆ 楽々園」には何度か訪れたことがあるが、宇品は初めてである。花崗岩層から湧き出る温泉にはミネラルが豊富に含まれており、代謝を助け、肌のバリア機能を高める効果があるとされる。ここでしばらく休憩とする・・・。