帰宅途中にスーパーに立ち寄って、数日分の自炊用の食材を買い込んで帰ることがあるのだが、さすがは関西だなと思ったのが、鮮魚コーナーの一角に「鯨」が並んでいること。休日に行くと大きな刺身のブロックが売られていたり、平日の夜でもベーコンだの切り落としだの、皮だののパックが売られている。これらをたまに購入して、これはビールよりは日本酒に合う食材としてちびちびやることがある。
現在読んでいるのが『歴史と文化探訪 日本人とくじら』(小松正之著、ごま書房刊)。地元の図書館で借りている一冊なのだが、伊勢湾、紀州、関西、土佐といった、昔から捕鯨が盛んで、それがその土地の食を初めとした文化の一端を担っているということが書かれたもの。中でも大阪は食の台所として専門料理店もあるし、まあ専門料理店は高くて行けないにしても、スーパーで普通に並んでいるのはありがたいことである。
個人的に「捕鯨」を取り巻くことには関心があり(その意味では、房総の和田浦で行われている「鯨解体の見学」に、東京在住時代に行くことができなかったのが残念)、それにまつわる本(捕鯨文化擁護派、捕鯨絶対反対派とも)を読むこともあるのだが、「捕鯨文化を大切にしよう」というのがいまや日本の中でも少数派なのではないかという思いがある。多くの国民は、鯨が捕れなくなったからといって明日の食材に困るわけではなく、のんびりしているといったところだろう。
今日のニュースで、南極沖での捕鯨活動に反対する「シーシェパード」に体当たり攻撃を受けた捕鯨船の船長が記者会見し、彼らのことを「進行先にボートを下ろして妨害したり、前方を横切ったり。暴走族のように遊んでいるとしか見えなかった」と批判したとか。
・・・でもね、船長。気持ちはわかりますが、その例えは房総、もとい「暴走族」に失礼だと思いますよ。
シーシェパードの連中のやっていることは、それ以下ですから。あんなやつらと一緒にされて、暴走族の連中も黙っていてはいけないでしょう・・・・。