日曜日の朝は家を空けていることが多いのだが、家にいれば「サンデーモーニング」を見ている。関口宏の番組進行はさておき、毎日新聞主筆(いつのまにか主筆になっちゃったんですね)の岸井成格氏のコメントと、大沢親分と張本さんの「喝!」でおなじみのスポーツコーナーが楽しみで見ているようなものである。
先日見た時に「大沢親分は体調不良で・・・」ということで張本さんのみ座っていたが、その大沢親分が7日、胆嚢がんのために亡くなったという。
大沢親分はその「喝!」とか、モルツ球団に現在は休止しているマスターズリーグの元締めなど、プロ野球の楽しさを広めようと様々な活動で知られている。「喝!」では、やや暴論気味の張本さんを「まあまあ」と抑えるような役割(これも「その筋」ではよく見かける光景?)をしているが、若かりし頃はグラウンドの上で大暴れしていたのは周知のところ。
野球の歴史に関するさまざまな書物を見ると、暴れん坊ながら頭のいいプレーヤーであり監督であったなというところである。昭和34年の南海対巨人の日本シリーズで見せた、自らデータを駆使して守備位置を自由自在に変えて巨人のチャンスをことごとくつぶした。晩年はオリオンズに移籍したが、これは鶴岡監督がオリオンズの監督に招聘されるための布石だったとも言われている。結局、鶴岡監督が後任の蔭山監督の急死により南海の監督に復帰したため、このシナリオはなくなったが、自身がオリオンズの監督になることになった。
そして、一世一代の采配として現在も語り継がれるのが日本ハム対西武の昭和57年のプレーオフ。直前に小指を骨折して絶望視されていた工藤幹夫投手を、敵味方を欺く形で第一戦に先発させたエピソードは面白い(詳しくは、あちこちのサイトで紹介されているのでそちらをご覧ください)。
私が覚えているのは、2度目の日本ハム監督時代。
優勝まであと一息としながらどうも勝てない。そんな時に「藤井寺球場」で近鉄戦があった。その時「藤井寺ってんだから、近くにご利益のある寺があるんだろう。こりゃお参りでもしなきゃな。神頼み仏頼みだ」という内容のコメントを残したそうな。藤井寺球場のすぐ近くには西国三十三ヶ所の第五番札所で、国宝の千手観音像もある「葛井寺」があるが、大沢親分はそんな寺の歴史まではさすがに知らないだろうし、本当にその後で寺にお参りしたかどうかは定かではないが、近鉄ファンとして、藤井寺市出身者として面白いなと思ったものである。
さて、大沢親分亡き後の「喝!」のコーナーはどうなるんだろうか。スポーツコーナーは番組として必要だろうし、張本さんもいるのだが、ただ張本さんだけではどうかな。何かと評判がよろしくないし、やはり親分がいなければなという気がする。ここは大沢親分追悼の映像だけでも番組の半分くらい使って行い、その後は「ご意見番」もリニューアルした新しいスポーツコーナーでいいと思うのだけど・・・。
プロ野球を愛し、「このままのプロ野球ではいけない」という視点からさまざまな提言や活動を行ってきた方が亡くなるのは非常に惜しいこと。改めて、ご冥福をお祈りします・・・というか、最後に皆さんで「大あっぱれ!!」をあげましょう!!