昨日、仕事から帰って、今日のメインメニューのアジの干物を焼こうと、高い所に置いてある魚焼き器に手を伸ばしている所に旦那が帰って来ました。
椅子の上に乗っかって、グラグラしているわたしに向かって、
「お疲れさまです、失礼します、おかげさまでなんやらかんやら……」なんの脈絡も無い日本語を連発しながらお辞儀するので、
こりゃとうとう頭の線のどっかが切れたか?と思いながら見ていると、それで満足したのか、鍼道具の入った鞄を抱えて姿を消しました。
そして今朝、珍しく遅い朝食を一緒に食べていると、
「これで2人一緒に食べるの何回目?」と、彼の大好きな「いったい何回やったでしょうクイズ」が始まり、
わたしはハムとほうれん草入りのスクランブルエッグをもぐもぐしながら、真剣な顔で計算を始めた彼を眺めていました。
どうやら、1万3千回から1万5千回ということで、いやあ、すごいすごいとご満悦の様子
。
わたしは、ふ~ん、まだたったの1万回台かなどと思いながら、それが回数として多かろうが少なかろうが、どっちでもええやん、と再びもぐもぐ
。
いやしかし、この男、肝心な所の計算となるとノロノロしたりなんだかアバウトだったりするのに、
何回一緒に○○したか、という計算になると(そんな計算、なんでしたくなるのかよう分かりません)意欲満々、真剣そのもの。
起きている時だけではなくて、眠っている時にも、旦那のけったい度は上がります。
「ちょ、ちょっと、そ、それは違います
!」
「ま、待ってください
!」
「は、はは、はははは
!」
夜中に、突然に、日本語でしゃべり出す旦那。しかも、日本語版寝言は、必ず吃りながら始まります。
さてみなさん、上記の文面から、いったいどんな場面を想像されますか?
まったく、ろくな夢じゃないというか、いったい誰に向かって言うとんねん?!と思わず夢の中に突っ込みたくなるわたし。
けったいな相方との暮らしは、まだまだ続きます
。
……なんて感じで今日の記事を締めくくろうと思ったのですが、昨日書かなかった、どちらかというと告白っぽいことをここに書き留めておこうと思います。
息子Kの事故の後、彼を看病しながら、わたしは心の中で自分に問い続けていました。
もしも、このままKが死んでしまったり、すごく大きな障害が残ってしまったりしても、わたしはこの人を許せるだろうか。
事故が起こった直後、わたしは心の中で彼に怒鳴りつけていました。
「わたしの子供に何てことしてくれたん!もしこの子に万が一のことがあったら……」
万が一のことがあったら……どうするのか、どうするつもりなのか、それをずうっと問い続けていました。
一世一代の決断をして、この男こそがソウルメイトだと確信して、それまでの人生をすべて置き去りにして、
それこそ、多くの人達を悲しませたり怒らせたり絶望させたりして選んだ道だったはずなのに、
ただ1度の事故があった途端、足下がおぼつかない、先も暗くて何も見えなくなってしまうだなんて……。
あの時、息子に万が一のことがあったら……。
どうなっていたか、そのことを何回考えても答が出ません。
答無しのまま、一緒に暮らして16年と半分が経ちました。
けったいで、時々本気でムカつかせられるけど、やっぱり一緒になって良かったなと思います。
息子達はどう思ってるか分からないけれど、こればっかりは仕方がありません。
強力な縁で息子として生まれてきちゃったのだから
。
なんてことを思いながら、昨日は書いておりました。