香港に住む、旦那の日本時代からの友人チャーから急に、明後日マンハッタンに仕事で行くけど、そこ近い?ってなメールが送られてきました。
それが土曜日の夜。明後日って月曜やん……そらまあこっからマンハッタンは近いけど……。
旦那にとっては懐かしくてたまらない友人です。彼は、暁学荘という京大生のためのオンボロアパートに、旦那より1年先に住み始めました。
チャーはマレーシア人。京大で特待生として学び、一旦は大阪で働いていましたが、その後中国に移住。そしてMIT(世界で一番難しいと言われている工科大)に勉強しに戻り、シンガポール→香港と仕事の場も変え、今は金融の世界でアジアとアメリカを股にかけて活躍しています。
そんなんで、彼は6カ国語を操る頭脳明晰バリバリやり手のセールスマン。旦那とはまるっっっっきり違うタイプの男性。
日本で別れた時は20代そこそこだった彼も今じゃ43才。1才・3才・5才の子供達のおとうさんです。
今夜は仕事が先に終わった旦那が先に、わたしは後からの電車に乗って、チャーに会いに行きました。
MIT時代の友人T&K子夫妻も加わって、彼らのお勧めの焼き鳥屋さんに行って乾杯しました。
枚方出身のご夫婦の推薦だけあって、焼き鳥もお蕎麦もめっちゃ美味しかったぁ~!
しかも、チャーに便乗して我々まで奢ってもらっちゃって……悪過ぎっ!
今度はニュージャージーで、ここに匹敵する味は……あ、そうだ、『トモ』さんちでわたし達がご馳走しようっと。
いろんな話をしました。チャーもTさんも、それから奥さんのK子さんも、アジアとアメリカの橋渡しをする仕事をしています。
分野は違うけれども、東大やら京大やらMITやら、そうそうたる場所で学んできた知識を、会社や政府の仕事に生かしています。
全く違う世界に生きる人達を間近に見て、いろんな話を聞いて、自分が知らない分野を専門にする人の話は、どうしてこうもまるで分からなくて楽しいのだろう、などと思いながら、焼き鳥をつつき、蕎麦を啜っておりました。
チャーと旦那が暮らしていた暁学荘は、南禅寺の裏の哲学の道のすぐ近くにありました。
六畳一間、簡易シンクが窓際にあり、ポータブルのガスコンロでお湯を沸かしていました。
ガスの無駄遣いをしたくない旦那は、ボコボコの小さな薬缶に、二人が飲む湯呑み分のお水をきっちり入れて沸かしていました。
目分量で入れるそのお水の量が、まるで計量器で計ったように正確だったのを今でも覚えています。
トイレとお風呂は共同、でも、住んでいるのは皆、若い男性ばかりなのでかなり悲惨な状態でした。
月々2万4千円の家賃は、観光地の区域としては破格に安かったけれど、マレーシア人のチャーには寒くてたまらなかったそうです。
それで、古い石油ストーブを抱き込むようにして使っていたら、ある日、二の腕のあたりから火が出て仰天したそうな。
あんまり近くに寄り過ぎて、服から発火したんでしょうね。
苦学生チャーの、ほろ苦くも吹き出してしまう思い出話を聞きながら、わたしは旦那と出会ったあの頃を懐かしく思い出していました。
ちなみに旦那はペンシルバニア州出身。東北並みの寒さの中育っただけに、寒さには人一倍強い。
彼は冬の寒い日でも、空気が滞るからなどと言って、窓を少しだけ開けていました。二階の風がビュンビュン入る部屋だったのに。
K子さんとわたしが、チャーに同じ質問をしました。
「そんなにいっぱいいろんな国に住んでみて、どの国が一番気に入った?」
チャーはまっすぐわたし達を見て、
「香港かな。奥さんが幸せに暮らせる所が一番いい国だと思ってる。ボクは仕事をして家族を養うためのお金を作るだけでいいけど、奥さんは家で三人の子供達を育ててるでしょ。そんな彼女が暮らしやすくて楽しめる場所だというのが1番大切」
K子さんとわたし。横に座ってるそれぞれの旦那の肩をダンダン叩いておりました。立派!男の中の男!よう言うた!座布団10枚!
するとチャー、「っていうのが一番いい答、でしょ?」とウィンク。やられた!
それが土曜日の夜。明後日って月曜やん……そらまあこっからマンハッタンは近いけど……。
旦那にとっては懐かしくてたまらない友人です。彼は、暁学荘という京大生のためのオンボロアパートに、旦那より1年先に住み始めました。
チャーはマレーシア人。京大で特待生として学び、一旦は大阪で働いていましたが、その後中国に移住。そしてMIT(世界で一番難しいと言われている工科大)に勉強しに戻り、シンガポール→香港と仕事の場も変え、今は金融の世界でアジアとアメリカを股にかけて活躍しています。
そんなんで、彼は6カ国語を操る頭脳明晰バリバリやり手のセールスマン。旦那とはまるっっっっきり違うタイプの男性。
日本で別れた時は20代そこそこだった彼も今じゃ43才。1才・3才・5才の子供達のおとうさんです。
今夜は仕事が先に終わった旦那が先に、わたしは後からの電車に乗って、チャーに会いに行きました。
MIT時代の友人T&K子夫妻も加わって、彼らのお勧めの焼き鳥屋さんに行って乾杯しました。
枚方出身のご夫婦の推薦だけあって、焼き鳥もお蕎麦もめっちゃ美味しかったぁ~!
しかも、チャーに便乗して我々まで奢ってもらっちゃって……悪過ぎっ!
今度はニュージャージーで、ここに匹敵する味は……あ、そうだ、『トモ』さんちでわたし達がご馳走しようっと。
いろんな話をしました。チャーもTさんも、それから奥さんのK子さんも、アジアとアメリカの橋渡しをする仕事をしています。
分野は違うけれども、東大やら京大やらMITやら、そうそうたる場所で学んできた知識を、会社や政府の仕事に生かしています。
全く違う世界に生きる人達を間近に見て、いろんな話を聞いて、自分が知らない分野を専門にする人の話は、どうしてこうもまるで分からなくて楽しいのだろう、などと思いながら、焼き鳥をつつき、蕎麦を啜っておりました。
チャーと旦那が暮らしていた暁学荘は、南禅寺の裏の哲学の道のすぐ近くにありました。
六畳一間、簡易シンクが窓際にあり、ポータブルのガスコンロでお湯を沸かしていました。
ガスの無駄遣いをしたくない旦那は、ボコボコの小さな薬缶に、二人が飲む湯呑み分のお水をきっちり入れて沸かしていました。
目分量で入れるそのお水の量が、まるで計量器で計ったように正確だったのを今でも覚えています。
トイレとお風呂は共同、でも、住んでいるのは皆、若い男性ばかりなのでかなり悲惨な状態でした。
月々2万4千円の家賃は、観光地の区域としては破格に安かったけれど、マレーシア人のチャーには寒くてたまらなかったそうです。
それで、古い石油ストーブを抱き込むようにして使っていたら、ある日、二の腕のあたりから火が出て仰天したそうな。
あんまり近くに寄り過ぎて、服から発火したんでしょうね。
苦学生チャーの、ほろ苦くも吹き出してしまう思い出話を聞きながら、わたしは旦那と出会ったあの頃を懐かしく思い出していました。
ちなみに旦那はペンシルバニア州出身。東北並みの寒さの中育っただけに、寒さには人一倍強い。
彼は冬の寒い日でも、空気が滞るからなどと言って、窓を少しだけ開けていました。二階の風がビュンビュン入る部屋だったのに。
K子さんとわたしが、チャーに同じ質問をしました。
「そんなにいっぱいいろんな国に住んでみて、どの国が一番気に入った?」
チャーはまっすぐわたし達を見て、
「香港かな。奥さんが幸せに暮らせる所が一番いい国だと思ってる。ボクは仕事をして家族を養うためのお金を作るだけでいいけど、奥さんは家で三人の子供達を育ててるでしょ。そんな彼女が暮らしやすくて楽しめる場所だというのが1番大切」
K子さんとわたし。横に座ってるそれぞれの旦那の肩をダンダン叩いておりました。立派!男の中の男!よう言うた!座布団10枚!
するとチャー、「っていうのが一番いい答、でしょ?」とウィンク。やられた!