毎日新聞に2011年7月25日に掲載された
『東京朝刊検証・大震災:福島第1原発事故、収束作業 覚悟の苦闘、黙々と続く』を読みました。
原発を、核そのものを、なんとかしてこの地球上から消し去ることができないものかと、そこに意識が偏っていたわたしに、
今、事故を起こした恐ろしい原発現場で、必死になって作業しておられる方々の現実を、改めて目の前に突き出され、暗澹たる気持ちになりました。
記事を全文すべて載せることはできませんので、部分的に抜粋したものをここに残しておきます。
みなさん、上の紫色の部分をクリックして、全文を写真とともに、ぜひとも読んでください。
以下の文章は毎日新聞の記事より抜粋させていただいたものです。
◆3.12~15 連続爆発
◇俺たちに、ここで死ねっていうことか
大地震発生翌日の3月12日午前3時過ぎ。
「圧力上昇を続ける1号機の原子炉格納容器から、放射性物質を含んだ水蒸気を放出する」と政府は発表した。
50代の東電男性社員はそのことを伝える非常用ラジオのニュースに聴き入った。
構内には屋内退避の指示が出されていた。
「屋内にいるだけで大丈夫なのか。放射線を浴びるとこのまま隔離されるんじゃないか」。
一刻も早く逃げたかった。
菅直人首相が視察のため作業拠点の『免震重要棟』に現れたのは、その日の朝。
原発の『頭脳』に当たる中央制御室にいた若手社員(21)は、同僚たちが首相に「何やってんだ。何とかしろ」と怒鳴り散らされたと聞いた。
「俺たちに、ここで死ねっていうことか」
連続爆発に加え、東電の撤退情報が流れて騒然とする首相官邸。
15日未明、菅首相は東京・内幸町の東電本店に乗り込む直前、側近らにつぶやいた。
「俺は60歳を過ぎた。がんになってもいい年だ。いざとなったら俺が先頭に立って福島で陣頭指揮をとればいい」
◆3.14~15 放射線量上限「超緊急」引き上げ
◇労働者は使い捨ての機械ではない
そのころ東京・霞が関では、緊急作業時の被ばく線量の上限値(当時100ミリシーベルト)引き上げを巡り、関係法令を所管する経済産業省原子力安全・保安院と厚生労働省の間で激しいやりとりがあった。
事故収束を優先させたい原子力安全・保安院に対し、厚労省の高崎真一計画課長は「労働者は使い捨ての機械ではない。死にに行け、とは言えない」との思いで臨んだ。
医師でもある厚労省の鈴木幸雄労働衛生課長が文献を調べると、年間100ミリシーベルトを超えると慢性的影響は否定できないが、250ミリシーベルトまでなら急性症状の報告はなかった。
金子局長は大臣室に何度も出入りし苦悩した。
「こんな形で基準を見直していいのか。しかし原発への対応を誤れば……」。
35年間、労働行政に携わってきた官僚として、あまりに厳しい判断を迫られた。
最後は細川律夫厚労相が250ミリシーベルトへの上限値引き上げを決断した。
「長期的な話ではなく、この日をどう乗り切るか、だ」
答申の日付は会長判断で14日に、官報掲載も15日だったが施行は14日とされた。
高い放射線量の下での作業が既に始まっていたからだ。
必要だった人事院規則の改正は「すっかり忘れ」(保安院幹部)、16日にずれ込んだ。
副厚労相2人への報告は後日で、労使調整の場である労働政策審議会へも事後報告。
異例ずくめの規則改正だった。
◆3.15~ 注水・外部電源引き込み
◇ターミネーターの世界だ
15日朝、2号機と4号機でも爆発が起きた。
それでも消火用ポンプ車を使って原子炉内へ海水を注入する必死の冷却作業で最悪の事態は免れていた。
カギとなる電気の復旧を最優先するため、東電は東京の本店や新潟の柏崎刈羽原発から応援を投入し、16日は約180人、17日には300人余と人員を増やした。
東電の中堅社員もそんな一人だ。
「何とかがんばってくれ」。
清水正孝社長(当時)から訓示を受け、着の身着のまま同僚数人とともにワンボックスカーに乗った。
家族には心配をかけるだけと報告しなかったが、友人には頼んだ。
「2週間たって帰ってこなかったら家族に連絡してくれ」
次の日の朝、前線基地となっている福島県楢葉町のナショナルトレーニングセンター『Jヴィレッジ』に到着。
現場の線量が高いため1日待機し、翌朝、全面マスクにゴム手袋、長靴、白い布製の防護服姿で現場に車で向かった。
最も線量の高い3&4号機付近は猛スピードで走り抜けた。
構内に着くと、津波で運ばれた車が原子炉建屋の外壁に突き刺さり、サメも打ち上げられている。
『空爆でもされた』光景に映った。
白装束の自分たちがマスクの「シューッ、シューッ」という音を響かせながら作業していることに現実味がない。
まるで未来の終末を描いたSF映画『ターミネーター』のようだと感じた。
その日は電源復旧のケーブルを夕方までにつなぐ予定だった。
ところが途中で「2時間前倒しで終わらせろ」と指令が出た。
その時刻から自衛隊が放水を行う、と政府が発表するためと聞かされた。
「いいかげんにしろ」。
現場には不満が渦巻いた。
だが、放水時には周囲に人がいないか確かめてはくれない。
水は放射性物質で汚染されているかもしれない。
無我夢中で予定の作業を終わらせ、すぐに現場を離れると、自衛隊の車両とすれ違った。
ぎりぎりのタイミングだった。
線量計は作業チームに1台しかなく、マスクは何度もずれた。
同僚は「多分(放射性物質を)かなり吸っているんじゃないか」と心配した。
本来は電設担当でもない。
それでも思った。
「他にやる人間がいない。とにかくやらないといけない」
◆3.20~22 電源復旧
◇家族の写真さえ持ち込めない
作業拠点となる構内の免震重要棟はすし詰め状態で、ベッドはない。
床に雑魚寝か、段ボールを敷いて寝た。
通電作業に当たる作業員の中には2時間程度しか睡眠をとれない者もいた。
食事は乾パンと、水で戻すアルファ米。
避難先にいる家族との連絡手段もない。
「家族の写真さえ持ち込めない。汚染されてしまうから」
同県浪江町出身で下請け会社の男性作業員(47)は事故後、ある変化を感じていた。
下請けはそれまで東電を『お客さん』と呼び、距離を置いていた。
所長が巡回する時はお供の社員が付いてきて『大名行列』のように見えた。
20代の東電社員は年配の作業員にも敬語を使わないし、作業も下請け任せ。
ところが、ケーブルを引く作業をしていると、東電社員が「手伝います」と言う。
「こっちがびっくりしたよ」。
東電社内には「直営班」と呼ばれる作業班が作られ、社員も現場に出た。
協力会社の作業員と一緒に汗を流し、同じように休息をとった。
現場に一体感が生まれ始めた。
◆3.24 3人被ばく
◇彼らは普段、あんな仕事はしてない
3人が被ばくする事故は起こるべくして起きた。
関電工の2人を知る作業員は明かす。
「彼らは普段、あんな仕事はしてない。研修でやっているかもしれないが、あの非常時にできるレベルではない。現場の人数が足りず、専門外の仕事をさせていた」
別のベテラン作業員(64)によれば、事故以来、現場に不慣れな東電の社員まで作業をやらされるようになった。
「危ないところは下請けにやらせるな、ということらしい。でも、普段やってない人に任せるのは、かえって危ないんだよ。一番かわいそうなのは東電社員かもしれねえな」
◆4.9 経産相、視察は40分
◇乾パン、食べてみろ
労働環境が一向に改善されない中、海江田万里経産相が4月9日、第1原発視察に訪れた。
免震重要棟で作業員を激励し、雨の中、バスから1~4号機を見て回った。
滞在時間約40分。
下請け会社の工事課長で福島県富岡町出身の男性(41)は怒りを押し殺した。
「何で現場をきちんと見ないのか。視察に来たら、同じ装備で動いてみろ。味のしない乾パンをぼりぼり食べてみろ」
「国民のために覚悟を、と菅首相は言ったようだが、作業員だって国民。みんな被災者なんですよ。だけど、国はうちらを国民と思っていないですよ、絶対に」
4月末までに、自分の周囲にいた100人のうち4割が辞めた。
◆4.17 最初の工程表発表
◇終わらなかったら? それでも排水する
「一刻も早く事故収束への工程表を作成すべきだ」。
放射性物質放出封印策の立案を委ねられた馬淵澄夫首相補佐官が3月26日の就任直後に細野補佐官に直言し、作業が始まった。
だが、4月17日に発表された最初の工程表では、作業員への配慮はなかった。
「これは東電が決めた工程表だ」。
この日午前の政府・東電統合本部の関連会合で細野補佐官は強調した。
工程表は、馬淵補佐官が強く求めた地下水の汚染拡大防止にも触れておらず、馬淵補佐官は隣の細野補佐官に「俺は何も聞いていない。どうなってんだ」と怒りをぶつけた。
2号機のトンネルにたまった高濃度の汚染水処理もそうだった。
東電社員から「菅首相に、3日で終えろと言われた」と聞かされた。
排水路の穴をふさぐ作業に従事した。
工程表公表に合わせて17日午後1時に排水開始の予定だったが、「かなり無理な作業」だった。
元請けに「(予定通り)終わらなかったらどうしますか」と聞くと、「それでも流す」と告げられた。
◆5.14 60歳作業員急死
◇夏は続出するんじゃ…?
5月14日朝、免震重要棟はいつになく騒然としていた。
「作業員が倒れ、心肺停止らしい」。
事故以来、原発の半径20キロ圏内は避難地域で、いわき市まで行かないと病院はない。
「もう無理だろうな」。
同僚たちがささやき合った。
作業員の大角信勝さん(当時60歳)。
同市の病院に運ばれたが、午前9時33分、死亡が確認された。
心筋梗塞(こうそく)とみられる。
下請けの機器メンテナンス会社の男性社員(34)は亡くなる前日の13日、同じ現場にいた。
自分は汚染水を浄化する機械を設置し、大角さんはその機械の配管工。
「夏になればこんな事故が続出するんじゃないか」。
不安が募った。
工程表に作業員の環境改善が盛り込まれたのは17日。
対策はあまりに後手に回った。
◆5.17 7.19 新工程表
◇あれだけ装置あればどれかは働くだろう
仏米の装置の度重なるトラブルを受け、7月14日には東芝が吸着剤を格納した浄化用の新装置をシステムに組み込むと発表。
結局のところ日本の東芝が全面的に乗り出さざるを得なくなった。
日本の原子炉メーカー幹部は皮肉交じりに漏らした。
「(仏米装置は)うまくいっていないが、あれだけ多くの装置を並べれば、どれかは働くだろう」
それでも19日、原発事故担当相となった細野氏は工程表のステップ1の目標達成を宣言。
「さまざまな困難を乗り越えたのは現場の作業員の奮闘があったからだ」とたたえ、新たな工程表を発表した。
しかしその工程表も、緊急作業時の上限値250ミリシーベルトを元の100ミリシーベルトに下げる見直しには一切触れていない。