宙に浮く燃料プール
大震災以来のおびただしい批判、検証、反省もむなしく、原発の安全をチェックする行政は、後退し続けている。
その証拠に、今週から、原子力安全・保安院と原子力安全委員会の予算はゼロ。
取って代わるはずの「原子力規制庁」は、法案が国会に滞留し、発足できない。
つまり、監督官庁の存在感が、さらに薄らいだ。
予算は「その目的の実質に従い、執行できる」(予算総則14条2)から、暫定存続の旧組織は、新組織の予算を流用できるとはいえ、士気は上がらない。
各府省のもたれ合い、与野党の不決断、何ごとも、東京電力任せの実態は、相変わらずだ。
福島第1原発4号機の、核燃料貯蔵プールが、崩壊する可能性について考えてみる。
震災直後から、国内外の専門家が、注視してきたポイントである。
東電は大丈夫だというが、在野の専門家のみならず、政府関係者も、「やはり怖い」と打ち明ける。
どう怖いか。
4号機は、建屋内のプールに合計1535本、460トンもの核燃料がある。
建屋は、崩れかけた7階建てビル。
プールは、3,4階部分にかろうじて残り、天井は吹っ飛んでいる。
プールが壊れて水がなくなれば、核燃料は過熱、崩壊して、莫大(ばくだい)な放射性物質が飛び散る。
アメリカの原子力規制委員会も、フランスの原子力企業アレバ社も、この点を強く意識した。
「福島原発事故独立検証委員会」(いわゆる民間事故調)報告書は、原発事故の「並行連鎖型危機」の中でも、
4号機プールが「もっとも『弱い環』であることを露呈させた」と書く。
政府がまとめた、最悪シナリオ(同報告書に収録)も、4号機プール崩壊を予測。
さらに、各号機の使用済み燃料も崩壊し、首都圏住民も避難を迫られる、というのが最悪シナリオだ。
震災直後、原発事故担当の首相補佐官に起用された、馬淵澄夫元国土交通相(51)は、
4号機の地下からプールの底まで、コンクリートを注入し、チェルノブイリの「石棺」のように、固めようとした。
が、プール底部の調査で、「強度十分」と見た東電の判断で見送られ、支柱の耐震補強工事にとどめた。
当時の事情を知る、政府関係者に聞くと、こう答えた。
「海水を注入しており、部材の健全性(コンクリートの腐食、劣化)が問題。
耐震強度の計算にも、疑問がある。
応急補強の間に、プールから核燃料を抜くというけど、3年かかる。
それまでもつか。
(石棺は)ダムを一つ造るようなもので、高くつく。
株主総会(昨年6月)前だったから、決算対策で出費を抑えようとした、と思います」
原発推進は国策だが、運営は私企業が担う。
政府は東電を責め、東電は「国策だから」と開き直る。
「国策民営」の、無責任体制は変わらない。
民間事故調の報告書は、市販開始3週間で、9万5000部出たそうだ。
1冊1575円もするというのに。
体面や営利に左右されない、体系的説明に対する、国民の飢えを感じる。
東北・関東で、震度5級の地震が続いている。
最悪の事態を恐れる者を、「感情的」と見くだす、不見識を受け入れることはできない。
リスク軽視で、経済発展を夢想する者こそ「現実的」という、非常識に付き合うわけにはいかない。
風知草 山田孝男 4月2日 東京朝刊(毎週月曜日掲載)
政府は東電を責め、東電は「国策だから」と開き直る。
ほんで、まともな処置もせんまま、ずたボロの建屋で宙に浮いてるプールには、460トンの核燃料が入ってる。
事故直後に、4号機の地下からプールの底までコンクリートを注入し、チェルノブイリの「石棺」みたいに固めって言われたのに、
高つくし、株主総会(昨年6月)前やったから、決算対策で出費を抑えよとしたんか、
耐震強度の計算もええ加減なまま、支柱の補強工事だけしたまんま、延々と今に至ってる。
しかも、その部材の健全性は相当怪しいのに、核燃料を抜くのにかかる3年はもつと、東電は思てるらしい。
どこまで無責任で他人事なん?
どう考えてもめちゃくちゃ危ないやん。
最低でも、地下からプールの底までコンクリートを注入したら、大揺れや台風で崩れるようなことにはならへんのんとちゃうん?
ほんならそれしたらええやんか。
せなあかんやんか。
4号機の崩壊は、日本の崩壊やって、誰もがわかってることやんか。
事故は起こりません。原発は安全の神様です。
どこに金使とんねん!
新聞もテレビも、いつまでボケとんねん!
地震国日本。
これまでも、数えきれへんほどの地震に襲われては立ち直ってきた。
わたしも43年間、日本に暮らして、大小の地震、ほんで阪神大震災も、大津で経験した。
日本人には日本人特有の、地震国に生きる者特有の死生観がある。
佐藤弘弥さんという方が書かれた『災害と日本人』の中に、こんなことが書かれてあった。
北原白秋が震災に遭うた時に詠んだ歌がある。
この大地震(おほなゐ)避くる術なしひれ伏して揺りのまにまに任せてぞ居る
「もはや、この大地震に対しては、避けて何とかなるような時限のものではなかった。
だから私は、ただただ地震の揺れにひれ伏して、任せているしかない」
白秋が自然の猛威を前に、それを天の所業として、成すに任せて受け入れている姿が見える。
これは一種の「諦念(ていねん)」であろう。
しかし、それは、単なる諦めではない。
ひとつの覚悟のようだ。
諦念。
わたしの心の中にも、この観念がしっかりと根付いてる。
けども、それは天の所業に対してであって、どこかの阿呆どもが作り上げてしもた、おぞましい核物質の塊に対してとはちゃう。
あれについては、あそこまでため込んだ人間に、責任取らせたい。
今、人間が足りんからいうて、ど素人の人でも作業に行かされてる事故現場。
よほどの年寄りか、よほどの病人でない限り、一日でもええから、事故現場の作業をしてもらいたい。
何十年も前に遡って、原発をヨイショしてきたええ加減で欲深で、自分のことさえ良かったら誰が困ろうが国が滅ぼうがどうでもええあいつら。
日本はもう、ただの地震国ちゃうねん。
地震で簡単に起爆してまう原爆に、ぐるりと囲まれてしもてる国やねん。
今までの死生観やの、観念やの、そんなもんは通じんねん。
地球をめちゃくちゃにしてまう、テロ国家に成り下がるかもしれんねん。
急いでよ!せめて、なんとかできることぐらいなんとかしてよ!
幸運や奇跡が、いつまで続くと思てんねん!
大震災以来のおびただしい批判、検証、反省もむなしく、原発の安全をチェックする行政は、後退し続けている。
その証拠に、今週から、原子力安全・保安院と原子力安全委員会の予算はゼロ。
取って代わるはずの「原子力規制庁」は、法案が国会に滞留し、発足できない。
つまり、監督官庁の存在感が、さらに薄らいだ。
予算は「その目的の実質に従い、執行できる」(予算総則14条2)から、暫定存続の旧組織は、新組織の予算を流用できるとはいえ、士気は上がらない。
各府省のもたれ合い、与野党の不決断、何ごとも、東京電力任せの実態は、相変わらずだ。
福島第1原発4号機の、核燃料貯蔵プールが、崩壊する可能性について考えてみる。
震災直後から、国内外の専門家が、注視してきたポイントである。
東電は大丈夫だというが、在野の専門家のみならず、政府関係者も、「やはり怖い」と打ち明ける。
どう怖いか。
4号機は、建屋内のプールに合計1535本、460トンもの核燃料がある。
建屋は、崩れかけた7階建てビル。
プールは、3,4階部分にかろうじて残り、天井は吹っ飛んでいる。
プールが壊れて水がなくなれば、核燃料は過熱、崩壊して、莫大(ばくだい)な放射性物質が飛び散る。
アメリカの原子力規制委員会も、フランスの原子力企業アレバ社も、この点を強く意識した。
「福島原発事故独立検証委員会」(いわゆる民間事故調)報告書は、原発事故の「並行連鎖型危機」の中でも、
4号機プールが「もっとも『弱い環』であることを露呈させた」と書く。
政府がまとめた、最悪シナリオ(同報告書に収録)も、4号機プール崩壊を予測。
さらに、各号機の使用済み燃料も崩壊し、首都圏住民も避難を迫られる、というのが最悪シナリオだ。
震災直後、原発事故担当の首相補佐官に起用された、馬淵澄夫元国土交通相(51)は、
4号機の地下からプールの底まで、コンクリートを注入し、チェルノブイリの「石棺」のように、固めようとした。
が、プール底部の調査で、「強度十分」と見た東電の判断で見送られ、支柱の耐震補強工事にとどめた。
当時の事情を知る、政府関係者に聞くと、こう答えた。
「海水を注入しており、部材の健全性(コンクリートの腐食、劣化)が問題。
耐震強度の計算にも、疑問がある。
応急補強の間に、プールから核燃料を抜くというけど、3年かかる。
それまでもつか。
(石棺は)ダムを一つ造るようなもので、高くつく。
株主総会(昨年6月)前だったから、決算対策で出費を抑えようとした、と思います」
原発推進は国策だが、運営は私企業が担う。
政府は東電を責め、東電は「国策だから」と開き直る。
「国策民営」の、無責任体制は変わらない。
民間事故調の報告書は、市販開始3週間で、9万5000部出たそうだ。
1冊1575円もするというのに。
体面や営利に左右されない、体系的説明に対する、国民の飢えを感じる。
東北・関東で、震度5級の地震が続いている。
最悪の事態を恐れる者を、「感情的」と見くだす、不見識を受け入れることはできない。
リスク軽視で、経済発展を夢想する者こそ「現実的」という、非常識に付き合うわけにはいかない。
風知草 山田孝男 4月2日 東京朝刊(毎週月曜日掲載)
政府は東電を責め、東電は「国策だから」と開き直る。
ほんで、まともな処置もせんまま、ずたボロの建屋で宙に浮いてるプールには、460トンの核燃料が入ってる。
事故直後に、4号機の地下からプールの底までコンクリートを注入し、チェルノブイリの「石棺」みたいに固めって言われたのに、
高つくし、株主総会(昨年6月)前やったから、決算対策で出費を抑えよとしたんか、
耐震強度の計算もええ加減なまま、支柱の補強工事だけしたまんま、延々と今に至ってる。
しかも、その部材の健全性は相当怪しいのに、核燃料を抜くのにかかる3年はもつと、東電は思てるらしい。
どこまで無責任で他人事なん?
どう考えてもめちゃくちゃ危ないやん。
最低でも、地下からプールの底までコンクリートを注入したら、大揺れや台風で崩れるようなことにはならへんのんとちゃうん?
ほんならそれしたらええやんか。
せなあかんやんか。
4号機の崩壊は、日本の崩壊やって、誰もがわかってることやんか。
事故は起こりません。原発は安全の神様です。
どこに金使とんねん!
新聞もテレビも、いつまでボケとんねん!
地震国日本。
これまでも、数えきれへんほどの地震に襲われては立ち直ってきた。
わたしも43年間、日本に暮らして、大小の地震、ほんで阪神大震災も、大津で経験した。
日本人には日本人特有の、地震国に生きる者特有の死生観がある。
佐藤弘弥さんという方が書かれた『災害と日本人』の中に、こんなことが書かれてあった。
北原白秋が震災に遭うた時に詠んだ歌がある。
この大地震(おほなゐ)避くる術なしひれ伏して揺りのまにまに任せてぞ居る
「もはや、この大地震に対しては、避けて何とかなるような時限のものではなかった。
だから私は、ただただ地震の揺れにひれ伏して、任せているしかない」
白秋が自然の猛威を前に、それを天の所業として、成すに任せて受け入れている姿が見える。
これは一種の「諦念(ていねん)」であろう。
しかし、それは、単なる諦めではない。
ひとつの覚悟のようだ。
諦念。
わたしの心の中にも、この観念がしっかりと根付いてる。
けども、それは天の所業に対してであって、どこかの阿呆どもが作り上げてしもた、おぞましい核物質の塊に対してとはちゃう。
あれについては、あそこまでため込んだ人間に、責任取らせたい。
今、人間が足りんからいうて、ど素人の人でも作業に行かされてる事故現場。
よほどの年寄りか、よほどの病人でない限り、一日でもええから、事故現場の作業をしてもらいたい。
何十年も前に遡って、原発をヨイショしてきたええ加減で欲深で、自分のことさえ良かったら誰が困ろうが国が滅ぼうがどうでもええあいつら。
日本はもう、ただの地震国ちゃうねん。
地震で簡単に起爆してまう原爆に、ぐるりと囲まれてしもてる国やねん。
今までの死生観やの、観念やの、そんなもんは通じんねん。
地球をめちゃくちゃにしてまう、テロ国家に成り下がるかもしれんねん。
急いでよ!せめて、なんとかできることぐらいなんとかしてよ!
幸運や奇跡が、いつまで続くと思てんねん!