大飯原発の「再稼働」に私が反対する理由 保坂展人(世田谷区長)
『野田政権は、大飯原発の3・4号機の、「再稼働が必要」とする政治判断を行った。
私には、まったく理解出来ないし、この政治判断は、間違っていると言いたい。
「3・11」と原発事故など、まるでなかったかのように、「原発止めたら経済空洞化」と唱えてきた人々が、「妥当な判断」と胸をなでおろすが、
民主党政権の、最後の幕を引く、歴史的な汚点になるのではないかと考える。
福島第一原発事故の前に、「重大事故はおきません」「安全です」と言い続けた電力会社を、全面的に擁護し、
何の規制も出来なかった、原子力安全・保安院と経済産業省、そして原子力安全委員会が、はたして「客観的な評価」等出来るだろうか。
彼らの審査で、「安全性は確認された」だけで、再稼働するという政治判断が生まれてくるのは、
ずばり、「3・11」から何も学ばない、オール霞が関と経済界の、「再稼働せよ」の大合唱に負けた、ということ。
菅前総理は、浜岡原発を止め、「脱原発依存」へと舵を切ろうとした。
私は、これを、当然の判断だと評価するが、既得権益で結びついた、政官財とメディアの「菅下ろし」は、激烈を極めた。
いきなり原発を止めるのは、「無責任」「思いつき」「産業空洞化を呼ぶ」等の、集中攻撃を受けた。
しかし、浜岡原発が停止した中部電力は、今年の夏も、電力供給には余裕がある、と言われている。
地方自治体を預かる立場からは、浜岡原発で、「再稼働」の議論が出てきたら、住民の生命と安全のために、強くブレーキを踏む側にまわる。
「3・11」以後、原発の立地自治体、という概念は崩壊した。
福島第一原発の連続メルトダウンによって、放出された放射性物質の影響を受けている、被害地域の規模は、半径10キロメートルどころではない。
福井県に隣接する、京都府や滋賀県、そして大阪府・大阪市等、重大事故の際の、被害を受ける可能性のある地域が「地元」であり、
今日、福井県に入った、枝野経済産業大臣ですら、4月2日の参議院予算委員会で、
「日本全国に、福島の事故は直接、間接の影響を及ぼしている。そういう意味では、『日本全国』が地元」、と答弁している。
4月1日に発足するはずだった、原子力規制庁は、いまだに、与野党の対立が続いて、スタート出来ない状態が続いている。
環境省の下に位置づけた、民主党政権に対して、国家行政組織法で位置づける、公正取引委員会のように、独立性の強い「3条委員会」を主張する野党。
もともとは、民主党は、マニフェストに「3条委員会」を書き込んでいたのだから、ここでこそ「政治判断」すれば、組織の立ち上げは始められる。
すでに、福島第一原発事故と、その後の対応で、命脈尽きたはずの保安院と原子力安全委員会が、亡霊のように生き残り、
「再稼働」を正当化するのは、デタラメではないか。
原発の過酷事故(シビアアクシデント)を想定した防災計画と、大量避難の道筋を描くことも重要だ。
ところが、広範囲に、放射性物質が拡散する事故時に、住民の生命と安全を守る自治体は、
いかなる手段で、情報を取得し、避難誘導したらいいのか、何ひとつ明確になっていない。
さらに、大規模事故を想定した、放射能拡散シミュレーションに従い、危機管理体制を構築しないと、
福島第一原発事故時の、無策を繰り返す結果になる。
福島第一原発事故を招いたのは、原発の直下を襲った、2007年の柏崎刈羽原発事故を過小評価し、
大量の広告費で、「不都合の真実」を隠蔽した上で、
「日本の原発は、地震に強いことが証明された」等の、本末転倒の言説を流したことが、根底にある。
それは、根拠なき「楽観主義」「コスト優先」に、あぐらをかいた結果だった。
ふたたび、その轍を踏むつもりなのか。
少なくとも、福島第一原発事故からわずか1年で、緊急に、大飯原発に求められているのは、とりあえずの応急対策だ、と語られているが、
よくよく聞いてみると、その「応急対策」なるものは、再稼働しながら、追いかけて間に合わせる、というものだった。
「海面から8メートルへ、防潮堤のかさあげ」「建屋爆発等を防ぐための、水素ガスの除去装置」も、近々に実現と言うが、まだ出来ていない。
「ベントの際、放射性物質を取り除く、フィルターの設置」「福島では、作業拠点となった、耐震重要棟の建設」などは、前倒しして、完成は、2015年だという。
また、女川原発のオフサイトセンターは、津波に呑まれて、犠牲者を出して、壊滅している。
大飯原発のオフサイトセンターはどうなのか。
防災基準の全面見直しなど、「応急」でもやらなければならないことが、欠落している。
関西電力は、この冬の電力需要も、極めて厳しく、マイナス9・5%の不足が生じる、としていたが、
厳しい寒さにもかかわらず、実際に供給危機が生じる危険性がある、95%を超えた日はゼロ。
揚水発電や、他の電力会社からの融通でまかなった。
また、昨年、関西でも取り組まれた、節電や需給調整契約の活用なども、カウントされていない。
ピークカットを誘導する料金体系を、導入する等の努力をすべきだ。
「5月5日子どもの日に、泊原発が止まる」
次の世代の子どもたちに贈る、最大のプレゼントではないか。
それでも、原子力発電という、不完全で未熟な技術が生み出した、「放射性廃棄物」という核のゴミを、私たちは、子どもたちの世代に手渡すことになる。
危険を最小化する、努力をするべきだ。
原発に依存しない社会を、一日も早く、子どもたちの手に渡したい。
ふりかえれば、原発立地等はすべて、「政治判断」で行われてきた。
その、強い権益によって、継続されてきた体制が、福島第一原発事故を生んだ。
ふたたび、「政治判断」という言葉が使われ、「再稼働」と言われた時、私たちは、歴史を、一頁前に進める必要があると思う。
少なくとも、福島第一原発事故の徹底検証、その緊急対策、防災計画等を立てた上で、
客観的な監視・評価・規制が出来る、原子力規制機関が未整備の現状で、やるべきではない』
『野田政権は、大飯原発の3・4号機の、「再稼働が必要」とする政治判断を行った。
私には、まったく理解出来ないし、この政治判断は、間違っていると言いたい。
「3・11」と原発事故など、まるでなかったかのように、「原発止めたら経済空洞化」と唱えてきた人々が、「妥当な判断」と胸をなでおろすが、
民主党政権の、最後の幕を引く、歴史的な汚点になるのではないかと考える。
福島第一原発事故の前に、「重大事故はおきません」「安全です」と言い続けた電力会社を、全面的に擁護し、
何の規制も出来なかった、原子力安全・保安院と経済産業省、そして原子力安全委員会が、はたして「客観的な評価」等出来るだろうか。
彼らの審査で、「安全性は確認された」だけで、再稼働するという政治判断が生まれてくるのは、
ずばり、「3・11」から何も学ばない、オール霞が関と経済界の、「再稼働せよ」の大合唱に負けた、ということ。
菅前総理は、浜岡原発を止め、「脱原発依存」へと舵を切ろうとした。
私は、これを、当然の判断だと評価するが、既得権益で結びついた、政官財とメディアの「菅下ろし」は、激烈を極めた。
いきなり原発を止めるのは、「無責任」「思いつき」「産業空洞化を呼ぶ」等の、集中攻撃を受けた。
しかし、浜岡原発が停止した中部電力は、今年の夏も、電力供給には余裕がある、と言われている。
地方自治体を預かる立場からは、浜岡原発で、「再稼働」の議論が出てきたら、住民の生命と安全のために、強くブレーキを踏む側にまわる。
「3・11」以後、原発の立地自治体、という概念は崩壊した。
福島第一原発の連続メルトダウンによって、放出された放射性物質の影響を受けている、被害地域の規模は、半径10キロメートルどころではない。
福井県に隣接する、京都府や滋賀県、そして大阪府・大阪市等、重大事故の際の、被害を受ける可能性のある地域が「地元」であり、
今日、福井県に入った、枝野経済産業大臣ですら、4月2日の参議院予算委員会で、
「日本全国に、福島の事故は直接、間接の影響を及ぼしている。そういう意味では、『日本全国』が地元」、と答弁している。
4月1日に発足するはずだった、原子力規制庁は、いまだに、与野党の対立が続いて、スタート出来ない状態が続いている。
環境省の下に位置づけた、民主党政権に対して、国家行政組織法で位置づける、公正取引委員会のように、独立性の強い「3条委員会」を主張する野党。
もともとは、民主党は、マニフェストに「3条委員会」を書き込んでいたのだから、ここでこそ「政治判断」すれば、組織の立ち上げは始められる。
すでに、福島第一原発事故と、その後の対応で、命脈尽きたはずの保安院と原子力安全委員会が、亡霊のように生き残り、
「再稼働」を正当化するのは、デタラメではないか。
原発の過酷事故(シビアアクシデント)を想定した防災計画と、大量避難の道筋を描くことも重要だ。
ところが、広範囲に、放射性物質が拡散する事故時に、住民の生命と安全を守る自治体は、
いかなる手段で、情報を取得し、避難誘導したらいいのか、何ひとつ明確になっていない。
さらに、大規模事故を想定した、放射能拡散シミュレーションに従い、危機管理体制を構築しないと、
福島第一原発事故時の、無策を繰り返す結果になる。
福島第一原発事故を招いたのは、原発の直下を襲った、2007年の柏崎刈羽原発事故を過小評価し、
大量の広告費で、「不都合の真実」を隠蔽した上で、
「日本の原発は、地震に強いことが証明された」等の、本末転倒の言説を流したことが、根底にある。
それは、根拠なき「楽観主義」「コスト優先」に、あぐらをかいた結果だった。
ふたたび、その轍を踏むつもりなのか。
少なくとも、福島第一原発事故からわずか1年で、緊急に、大飯原発に求められているのは、とりあえずの応急対策だ、と語られているが、
よくよく聞いてみると、その「応急対策」なるものは、再稼働しながら、追いかけて間に合わせる、というものだった。
「海面から8メートルへ、防潮堤のかさあげ」「建屋爆発等を防ぐための、水素ガスの除去装置」も、近々に実現と言うが、まだ出来ていない。
「ベントの際、放射性物質を取り除く、フィルターの設置」「福島では、作業拠点となった、耐震重要棟の建設」などは、前倒しして、完成は、2015年だという。
また、女川原発のオフサイトセンターは、津波に呑まれて、犠牲者を出して、壊滅している。
大飯原発のオフサイトセンターはどうなのか。
防災基準の全面見直しなど、「応急」でもやらなければならないことが、欠落している。
関西電力は、この冬の電力需要も、極めて厳しく、マイナス9・5%の不足が生じる、としていたが、
厳しい寒さにもかかわらず、実際に供給危機が生じる危険性がある、95%を超えた日はゼロ。
揚水発電や、他の電力会社からの融通でまかなった。
また、昨年、関西でも取り組まれた、節電や需給調整契約の活用なども、カウントされていない。
ピークカットを誘導する料金体系を、導入する等の努力をすべきだ。
「5月5日子どもの日に、泊原発が止まる」
次の世代の子どもたちに贈る、最大のプレゼントではないか。
それでも、原子力発電という、不完全で未熟な技術が生み出した、「放射性廃棄物」という核のゴミを、私たちは、子どもたちの世代に手渡すことになる。
危険を最小化する、努力をするべきだ。
原発に依存しない社会を、一日も早く、子どもたちの手に渡したい。
ふりかえれば、原発立地等はすべて、「政治判断」で行われてきた。
その、強い権益によって、継続されてきた体制が、福島第一原発事故を生んだ。
ふたたび、「政治判断」という言葉が使われ、「再稼働」と言われた時、私たちは、歴史を、一頁前に進める必要があると思う。
少なくとも、福島第一原発事故の徹底検証、その緊急対策、防災計画等を立てた上で、
客観的な監視・評価・規制が出来る、原子力規制機関が未整備の現状で、やるべきではない』