去年の3月11日。
さあ、そろそろ寝ようと思て、椅子から立ち上がったわたしの目に、地震発生の文字が飛び込んできた。
驚いて、発生した地域を調べ、ツィッターをもう一度開いた。
発生した場所は東北で、身内や友人が住んでへん所やとわかり、当事者の方々に申し訳ないとは思いつつ、とりあえず気持ちを落ち着けた。
ウェブの新聞より、ツィッターの人達のつぶやきを読む方が、迅速で、膨大な量の情報が手に入ることがわかり、
初心者ながらも、必死で、次々に入ってくる140文字以内の言葉を読んだ。
すると、Ustreamというサイトで、NHKのニュースが観られると教えてくれた人がいて、慌ててそのサイトを開いてみた。
日本のテレビの画面に流れている映像が、そのままこちらでも観られる?!
なんで?
そんな驚きも、画面上の恐ろしい津波の映像に、すっかりかき消されてしもた。
そのまま朝まで、まんじりともせず、パソコンのモニターの前で、涙を流し続けながら、日本を襲った恐ろしい自然の猛威を見つめてた。
次の日、さらに恐ろしい現実が、日本を襲った。
数日の間に、原発が次々に爆発した。
そして、日本が、爆発によってもたらされた放射能汚染とおなじぐらいにおぞましい、原発マフィアの巣窟やったということがわかった。
それからずっと、ずっとずっと、日本のニュースを追い続ける毎日が続いた。
はじめのうちは、日本の大手の新聞も読んでたけど、読売や産経、たまに朝日が、読むだけで気分が悪なるような、極めて偏向な記事を書くことがわかり、読むのをやめた。
自分への記録として、日記みたいなつもりで、毎日少のうても一個ぐらいは、自分に残しておきたい記事を選んでは、ここに載せた。
そんなことを毎日やってるうちに、FacebookやTwitterと、このブログが連携サービスをしてくれるようになり、
その3つがつながって、いろんな人と知り合えることになった。
わたしはずっと一所懸命やった。
家族に、特に旦那に、寂しい思いをさせてしもてることには気がついてた。
なんせ、パソコンの前に座ってる時間が、とんでもなく増えたんやから。
毎日、朝から晩まで、膨大な量のツィートが教えてくれる記事やビデオから、これは?と思えるものを抜き出し、読んだり観たり、
それから、その中からひとつふたつ、多い時にはみっつよっつと、ブログの記事に転載したいと思うものを選ぶ。
そうこうしてるうちに、だんだんエスカレートしてしまい、とうとう旦那に、「まうみはいったい、どこで生きてるん?」と言わしてしもた。
なんべんも改めようとして、なんべんも失敗した。
なんべんも時間を少なくしようとして、なんべんも元に戻ってしもた。
わたしは多分、ここに半分、日本に半分。
けど、いつかマシになるから。もうそろそろ、少しは目処がつくはずやから。
そしたらせめて、8割方は、ここで生きてる自分になるから。
いったいわたしは、なにをしてるんやろ。
なにがしたいんやろ。
誰のためにやってるんやろ。
いつまでやるつもりなんやろ。
こんなことが、ふと頭の中をよぎるけど、日本の今と未来を考えるのは、すっかりわたしの日常になってる。
そしてそのことは、全然悪いことではないけれど、わたしがここで、半分抜け殻みたいになってるのを見続けなあかん旦那には、ものすごく悪いと思てる。
なんとかせな……。
そんなことをジリジリと考えてた。
そんなわたしに、「翻訳の手伝いをしてくれませんか」と、ツィッターのダイレクトメールで、頼んできはった人がいた。
そのメールを読んだわたしの心に浮かんだ感情が、あまりにいろいろで短かったので、そのことに驚いた。
「うれしい!」「いや、翻訳は無理!」「責任が大き過ぎる」「短い文章なら」「いや、短くてもやっぱり無理」
そこまでに至った時、わたしはものすごく混乱した。
その依頼主は、普段から、とても上質な情報を提供してくれはる人で、その中には、すばらしい翻訳がついたものもある。
そんな人の手伝いができるのは、願ってもないことやないの?
けれども、自分の今の状態を考えてみた。
ただでさえ、ついついパソコンの前に座ってしまう、ツィート中毒症状をなんとかせな、と思てるわたしやのに、
仕事の前にやってた家事が、最近極端に減ってしもて、なあなあになってることに、ほんまは文句のひとつも言いたい旦那が我慢してるやろに、
そろそろほんまに、今までの量をセーブして、続ける代わりに、ここでの生活も疎かにせんとこうと、思い始めたとこやのに、
そんなことを思いながら、数日間、ずっと考え続けてた。
いったいわたしは、なにをしてるんやろ。
わたしは、日本の子供たちに、心の底から謝りたい。こんな日本にしてしもてごめんなと。
なにがしたいんやろ。
謝るだけなら犬でもできる。わたしは昭和生まれの大人として、少しでもマシな日本になってもらえるような置き土産を、根気よく見つけたい。
誰のためにやってるんやろ。
日本で生まれ育ったわたし自身のためにやってる。
この世とさよならする時に、やれるだけのことはやったし、それで少しは役に立てたと思えるために。
いつまでやるつもりなんやろ。
いつまでもやりたい。そやから、長く続けてもいいような方法を、よく考えて見つけなあかん。
と、ここに至ってやっと、頼んでくれはった方への返事ができるような気がする。
『ごめんなさい。
わたしはやっぱり、これまで続けてやってきたことで、自分に合うた『反核ひとりデモ』のリズムをつかみかけてるので、
これまで通りのやり方で、けれども時間をきちんと制限して、こつこつ、続けていきたいと思います。
これまで通りのやり方とは、
自分がこれやと思う記事を選び出し、それをブログやFacebookに載せる。
強く伝えたいことは、Twitterで、つぶやきとして連投する。
どうしてもこれは、自分で翻訳したい、と思える記事と出会たら、頑張って翻訳する。
それ以外は、できるだけ、すでにどなたかが翻訳してくれはったものを読む。
文字起こしも同じく、どうしても自分でやりたいと思う記事以外は、既存のものを使わせていただく。
なにか、これにはぜひ、音楽をつけたいと思うような、激しく心を揺り動かされる動画や話に出会った時には作曲をする。
という感じで、これからも末永く、せめて小さなことでも、先々に良い目処がつくまで、続けていきたいと思います。
直接お役には立てませんが、闘う仲間として、これからもどうぞよろしくお願いします』
翻訳と文字起こしの、並々ならぬ大変さは、わずかな経験だけでも、身にしみて理解してる。
あの作業をもし、ボランティアでずっと続けてはる方がおられるのなら、わたしはその方に、心の底の底から感謝の意を表したい。
ほんまに、あの作業の大変さは、やったことの無い人の想像など、はるかに超えてる。
なので、翻訳されたものを読んだり観たりする時は、心からの感謝の気持ちを忘れずにいたい。
さあ、そろそろ寝ようと思て、椅子から立ち上がったわたしの目に、地震発生の文字が飛び込んできた。
驚いて、発生した地域を調べ、ツィッターをもう一度開いた。
発生した場所は東北で、身内や友人が住んでへん所やとわかり、当事者の方々に申し訳ないとは思いつつ、とりあえず気持ちを落ち着けた。
ウェブの新聞より、ツィッターの人達のつぶやきを読む方が、迅速で、膨大な量の情報が手に入ることがわかり、
初心者ながらも、必死で、次々に入ってくる140文字以内の言葉を読んだ。
すると、Ustreamというサイトで、NHKのニュースが観られると教えてくれた人がいて、慌ててそのサイトを開いてみた。
日本のテレビの画面に流れている映像が、そのままこちらでも観られる?!
なんで?
そんな驚きも、画面上の恐ろしい津波の映像に、すっかりかき消されてしもた。
そのまま朝まで、まんじりともせず、パソコンのモニターの前で、涙を流し続けながら、日本を襲った恐ろしい自然の猛威を見つめてた。
次の日、さらに恐ろしい現実が、日本を襲った。
数日の間に、原発が次々に爆発した。
そして、日本が、爆発によってもたらされた放射能汚染とおなじぐらいにおぞましい、原発マフィアの巣窟やったということがわかった。
それからずっと、ずっとずっと、日本のニュースを追い続ける毎日が続いた。
はじめのうちは、日本の大手の新聞も読んでたけど、読売や産経、たまに朝日が、読むだけで気分が悪なるような、極めて偏向な記事を書くことがわかり、読むのをやめた。
自分への記録として、日記みたいなつもりで、毎日少のうても一個ぐらいは、自分に残しておきたい記事を選んでは、ここに載せた。
そんなことを毎日やってるうちに、FacebookやTwitterと、このブログが連携サービスをしてくれるようになり、
その3つがつながって、いろんな人と知り合えることになった。
わたしはずっと一所懸命やった。
家族に、特に旦那に、寂しい思いをさせてしもてることには気がついてた。
なんせ、パソコンの前に座ってる時間が、とんでもなく増えたんやから。
毎日、朝から晩まで、膨大な量のツィートが教えてくれる記事やビデオから、これは?と思えるものを抜き出し、読んだり観たり、
それから、その中からひとつふたつ、多い時にはみっつよっつと、ブログの記事に転載したいと思うものを選ぶ。
そうこうしてるうちに、だんだんエスカレートしてしまい、とうとう旦那に、「まうみはいったい、どこで生きてるん?」と言わしてしもた。
なんべんも改めようとして、なんべんも失敗した。
なんべんも時間を少なくしようとして、なんべんも元に戻ってしもた。
わたしは多分、ここに半分、日本に半分。
けど、いつかマシになるから。もうそろそろ、少しは目処がつくはずやから。
そしたらせめて、8割方は、ここで生きてる自分になるから。
いったいわたしは、なにをしてるんやろ。
なにがしたいんやろ。
誰のためにやってるんやろ。
いつまでやるつもりなんやろ。
こんなことが、ふと頭の中をよぎるけど、日本の今と未来を考えるのは、すっかりわたしの日常になってる。
そしてそのことは、全然悪いことではないけれど、わたしがここで、半分抜け殻みたいになってるのを見続けなあかん旦那には、ものすごく悪いと思てる。
なんとかせな……。
そんなことをジリジリと考えてた。
そんなわたしに、「翻訳の手伝いをしてくれませんか」と、ツィッターのダイレクトメールで、頼んできはった人がいた。
そのメールを読んだわたしの心に浮かんだ感情が、あまりにいろいろで短かったので、そのことに驚いた。
「うれしい!」「いや、翻訳は無理!」「責任が大き過ぎる」「短い文章なら」「いや、短くてもやっぱり無理」
そこまでに至った時、わたしはものすごく混乱した。
その依頼主は、普段から、とても上質な情報を提供してくれはる人で、その中には、すばらしい翻訳がついたものもある。
そんな人の手伝いができるのは、願ってもないことやないの?
けれども、自分の今の状態を考えてみた。
ただでさえ、ついついパソコンの前に座ってしまう、ツィート中毒症状をなんとかせな、と思てるわたしやのに、
仕事の前にやってた家事が、最近極端に減ってしもて、なあなあになってることに、ほんまは文句のひとつも言いたい旦那が我慢してるやろに、
そろそろほんまに、今までの量をセーブして、続ける代わりに、ここでの生活も疎かにせんとこうと、思い始めたとこやのに、
そんなことを思いながら、数日間、ずっと考え続けてた。
いったいわたしは、なにをしてるんやろ。
わたしは、日本の子供たちに、心の底から謝りたい。こんな日本にしてしもてごめんなと。
なにがしたいんやろ。
謝るだけなら犬でもできる。わたしは昭和生まれの大人として、少しでもマシな日本になってもらえるような置き土産を、根気よく見つけたい。
誰のためにやってるんやろ。
日本で生まれ育ったわたし自身のためにやってる。
この世とさよならする時に、やれるだけのことはやったし、それで少しは役に立てたと思えるために。
いつまでやるつもりなんやろ。
いつまでもやりたい。そやから、長く続けてもいいような方法を、よく考えて見つけなあかん。
と、ここに至ってやっと、頼んでくれはった方への返事ができるような気がする。
『ごめんなさい。
わたしはやっぱり、これまで続けてやってきたことで、自分に合うた『反核ひとりデモ』のリズムをつかみかけてるので、
これまで通りのやり方で、けれども時間をきちんと制限して、こつこつ、続けていきたいと思います。
これまで通りのやり方とは、
自分がこれやと思う記事を選び出し、それをブログやFacebookに載せる。
強く伝えたいことは、Twitterで、つぶやきとして連投する。
どうしてもこれは、自分で翻訳したい、と思える記事と出会たら、頑張って翻訳する。
それ以外は、できるだけ、すでにどなたかが翻訳してくれはったものを読む。
文字起こしも同じく、どうしても自分でやりたいと思う記事以外は、既存のものを使わせていただく。
なにか、これにはぜひ、音楽をつけたいと思うような、激しく心を揺り動かされる動画や話に出会った時には作曲をする。
という感じで、これからも末永く、せめて小さなことでも、先々に良い目処がつくまで、続けていきたいと思います。
直接お役には立てませんが、闘う仲間として、これからもどうぞよろしくお願いします』
翻訳と文字起こしの、並々ならぬ大変さは、わずかな経験だけでも、身にしみて理解してる。
あの作業をもし、ボランティアでずっと続けてはる方がおられるのなら、わたしはその方に、心の底の底から感謝の意を表したい。
ほんまに、あの作業の大変さは、やったことの無い人の想像など、はるかに超えてる。
なので、翻訳されたものを読んだり観たりする時は、心からの感謝の気持ちを忘れずにいたい。