ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

やっと少し、整理がついた、今の正直な気持ち

2012年04月09日 | 日本とわたし
去年の3月11日。
さあ、そろそろ寝ようと思て、椅子から立ち上がったわたしの目に、地震発生の文字が飛び込んできた。
驚いて、発生した地域を調べ、ツィッターをもう一度開いた。
発生した場所は東北で、身内や友人が住んでへん所やとわかり、当事者の方々に申し訳ないとは思いつつ、とりあえず気持ちを落ち着けた。

ウェブの新聞より、ツィッターの人達のつぶやきを読む方が、迅速で、膨大な量の情報が手に入ることがわかり、
初心者ながらも、必死で、次々に入ってくる140文字以内の言葉を読んだ。

すると、Ustreamというサイトで、NHKのニュースが観られると教えてくれた人がいて、慌ててそのサイトを開いてみた。

日本のテレビの画面に流れている映像が、そのままこちらでも観られる?!
なんで?

そんな驚きも、画面上の恐ろしい津波の映像に、すっかりかき消されてしもた。
そのまま朝まで、まんじりともせず、パソコンのモニターの前で、涙を流し続けながら、日本を襲った恐ろしい自然の猛威を見つめてた。

次の日、さらに恐ろしい現実が、日本を襲った。
数日の間に、原発が次々に爆発した。
そして、日本が、爆発によってもたらされた放射能汚染とおなじぐらいにおぞましい、原発マフィアの巣窟やったということがわかった。

それからずっと、ずっとずっと、日本のニュースを追い続ける毎日が続いた。
はじめのうちは、日本の大手の新聞も読んでたけど、読売や産経、たまに朝日が、読むだけで気分が悪なるような、極めて偏向な記事を書くことがわかり、読むのをやめた。

自分への記録として、日記みたいなつもりで、毎日少のうても一個ぐらいは、自分に残しておきたい記事を選んでは、ここに載せた。
そんなことを毎日やってるうちに、FacebookやTwitterと、このブログが連携サービスをしてくれるようになり、
その3つがつながって、いろんな人と知り合えることになった。

わたしはずっと一所懸命やった。
家族に、特に旦那に、寂しい思いをさせてしもてることには気がついてた。
なんせ、パソコンの前に座ってる時間が、とんでもなく増えたんやから。
毎日、朝から晩まで、膨大な量のツィートが教えてくれる記事やビデオから、これは?と思えるものを抜き出し、読んだり観たり、
それから、その中からひとつふたつ、多い時にはみっつよっつと、ブログの記事に転載したいと思うものを選ぶ。
そうこうしてるうちに、だんだんエスカレートしてしまい、とうとう旦那に、「まうみはいったい、どこで生きてるん?」と言わしてしもた。

なんべんも改めようとして、なんべんも失敗した。
なんべんも時間を少なくしようとして、なんべんも元に戻ってしもた。

わたしは多分、ここに半分、日本に半分。
けど、いつかマシになるから。もうそろそろ、少しは目処がつくはずやから。
そしたらせめて、8割方は、ここで生きてる自分になるから。

いったいわたしは、なにをしてるんやろ。
なにがしたいんやろ。
誰のためにやってるんやろ。
いつまでやるつもりなんやろ。

こんなことが、ふと頭の中をよぎるけど、日本の今と未来を考えるのは、すっかりわたしの日常になってる。
そしてそのことは、全然悪いことではないけれど、わたしがここで、半分抜け殻みたいになってるのを見続けなあかん旦那には、ものすごく悪いと思てる。

なんとかせな……。

そんなことをジリジリと考えてた。
そんなわたしに、「翻訳の手伝いをしてくれませんか」と、ツィッターのダイレクトメールで、頼んできはった人がいた。
そのメールを読んだわたしの心に浮かんだ感情が、あまりにいろいろで短かったので、そのことに驚いた。
「うれしい!」「いや、翻訳は無理!」「責任が大き過ぎる」「短い文章なら」「いや、短くてもやっぱり無理」
そこまでに至った時、わたしはものすごく混乱した。
その依頼主は、普段から、とても上質な情報を提供してくれはる人で、その中には、すばらしい翻訳がついたものもある。
そんな人の手伝いができるのは、願ってもないことやないの?
けれども、自分の今の状態を考えてみた。
ただでさえ、ついついパソコンの前に座ってしまう、ツィート中毒症状をなんとかせな、と思てるわたしやのに、
仕事の前にやってた家事が、最近極端に減ってしもて、なあなあになってることに、ほんまは文句のひとつも言いたい旦那が我慢してるやろに、
そろそろほんまに、今までの量をセーブして、続ける代わりに、ここでの生活も疎かにせんとこうと、思い始めたとこやのに、

そんなことを思いながら、数日間、ずっと考え続けてた。

いったいわたしは、なにをしてるんやろ。
わたしは、日本の子供たちに、心の底から謝りたい。こんな日本にしてしもてごめんなと。

なにがしたいんやろ。
謝るだけなら犬でもできる。わたしは昭和生まれの大人として、少しでもマシな日本になってもらえるような置き土産を、根気よく見つけたい。

誰のためにやってるんやろ。
日本で生まれ育ったわたし自身のためにやってる。
この世とさよならする時に、やれるだけのことはやったし、それで少しは役に立てたと思えるために。

いつまでやるつもりなんやろ。
いつまでもやりたい。そやから、長く続けてもいいような方法を、よく考えて見つけなあかん。


と、ここに至ってやっと、頼んでくれはった方への返事ができるような気がする。

『ごめんなさい。
わたしはやっぱり、これまで続けてやってきたことで、自分に合うた『反核ひとりデモ』のリズムをつかみかけてるので、
これまで通りのやり方で、けれども時間をきちんと制限して、こつこつ、続けていきたいと思います。
これまで通りのやり方とは、
自分がこれやと思う記事を選び出し、それをブログやFacebookに載せる。
強く伝えたいことは、Twitterで、つぶやきとして連投する。
どうしてもこれは、自分で翻訳したい、と思える記事と出会たら、頑張って翻訳する。
それ以外は、できるだけ、すでにどなたかが翻訳してくれはったものを読む。
文字起こしも同じく、どうしても自分でやりたいと思う記事以外は、既存のものを使わせていただく。
なにか、これにはぜひ、音楽をつけたいと思うような、激しく心を揺り動かされる動画や話に出会った時には作曲をする。
という感じで、これからも末永く、せめて小さなことでも、先々に良い目処がつくまで、続けていきたいと思います。
直接お役には立てませんが、闘う仲間として、これからもどうぞよろしくお願いします』


翻訳と文字起こしの、並々ならぬ大変さは、わずかな経験だけでも、身にしみて理解してる。
あの作業をもし、ボランティアでずっと続けてはる方がおられるのなら、わたしはその方に、心の底の底から感謝の意を表したい。
ほんまに、あの作業の大変さは、やったことの無い人の想像など、はるかに超えてる。
なので、翻訳されたものを読んだり観たりする時は、心からの感謝の気持ちを忘れずにいたい。
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泉から毒を飲まされているのは……なぜだ? 子どもたちを失うのは……なぜだ?

2012年04月09日 | 日本とわたし


ザマナイ

男たちのたくましさよ どこへ
女たちの美しさよ どこへ

優しき心を欲する この時代
時代 時代
悲しいかな 清らかなる故郷は汚された

あわれなり わが祖国
あわれなり わが大地
奪われ 苦しめられた
かつての自由は奪われ 悲しみに代わった
大地は核の閃光に 目を開けられないのだろう

先祖の眠る地は壊され
悲しみの結末を見せつけられ

豊かな生活を奪われた この時代
時代 時代
カザフの民よ 身を休める地はどこにあるのだ

あわれなり わが祖国
あわれなり わが大地
奪われ 苦しめられた
かつての自由は奪われ 悲しみに代わった
大地は核の閃光に 目を開けられないのだろう

泉から毒を飲まされているのは なぜだ
子どもたちを失うのは なぜだ

故郷が愚弄された この時代
時代 時代
恥をさらしながらも 隠れずにいるのは なぜだ

かつての自由は奪われ 悲しみに代わった
大地は核の閃光に 目を開けられないのだろう


かつて、核実験場を閉鎖させた、カザフスタンの人々。
昨日、広島のヒバクシャのために、祈りを捧げた。
世界で、核兵器廃絶への期待が高まる今、思いをひとつに。
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フクシマを無かった事にしたい一心で、ウソと無能を貫き通す、日本の政府と電力会社とマスコミ(後半)

2012年04月09日 | 日本とわたし




『クリストファー・バスビー氏は、ふたたび北へ向い、環境における、放射能の影響を測定した。

バスビー教授
「今、私たちは、津若松にいます。
そして、ここにあるのは、ポータブルの、ガンマ線スペクトロメータです」

スペクトロメータは、夥しい量の、セシウム430と137を検出した。
この2つの放射性物質は、人体においては、ことに、筋肉と臓器組織に蓄積される。
専門家は、このように汚染が進んだ東日本、東北地方では今後、何十年にも渡って、農業はできなくなるであろう、と語っている。
夏には、米や牛肉から、放射性物質が見つかったが、12月にはとうとう、乳児用の粉ミルクから、放射性セシウムが検出され、回収されることとなった。
放射性の粒子が、これほど高い濃度で、しかもこれほど遠く離れた場所で、発見されるということで、専門家にとって、かなりのことが明らかになる。

バスビー教授
「事故当初、『あれは、原子炉建屋の外側の壁が吹き飛んだだけの水素爆発だ』と言われましたが、そうではなかったはずです。
ことに、激しい勢いで、エネルギーが垂直に抜け出た、爆発がありました。
ただの水素爆発であったのならば、事故現場からあんなに離れた場所で、あれだけの放射性物質が、発見されるわけがありません」

科学雑誌ネイチャーは、12月に、福島の事故調査を行った、国会議員の報告書を掲載した。
それには、『プルトニウムが、最大45キロ離れた地点で発見されている』と、伝えている。
しかも、『これだけの量のプルトニウム238は、福島第一原発から放出された以外には考えられない』と、確認している。
しかし、東電にとっては、それはあってはならないことだった。

ひとすぎ よしみ氏(東電広報)

「どのようにして、プルトニウムが検出されたか、詳細はわかりませんが、
私どもでも、その地方を調査しており、ごく微量のプルトニウムしか、検出されませんでした。
しかし、プルトニウムは、核実験の放射性降下物として、全世界に広がっていますので、どこでも、わずかな量のプルトニウムは、検出できるのです」


3号機の激しい爆発は、世界中の、個々の専門家たちに謎を投げかけたが、ワシントンの原子力ロビーにとっては、答えは明白だったようだ。

A.P.ヘイマー氏
「3号機では、その周辺が、まさに吹き上げられ、破壊したように見えますが、
爆発が、どのように進行したか、見ていく限り、私たちは、あれは、即発臨界ではなかった、と確信しています。
あれは、本当に、水素爆発だったのです」

山口幸夫氏は、原子力資料情報室の代表を務める、環境学者だが、彼は、もっと恐ろしい事態を、危惧している。

山口幸夫氏(環境学者)
「3号機で起きたのが、核爆発ではなかった、とは言い切れません。
というのも、あそこでは、ウランとプルトニウムを混ぜてつくった、MOX燃料が使われていたからです。
どれだけの物質が、どこまで拡散したかを突き止めていけば、それを決定する調査を、進めることができると思います」


もう一度、バーモントに戻った。
アーノルド・ガンダーセン氏はこの3号機の爆発を、細かく分析しているからである。

アーノルド・ガンダーセン氏
「私が、3号機の爆発の画像を見る限り、1号機で起こった爆発や、その他の水素爆発から、私が見て知っているどの爆発とも、はっきり異なることがよくわかります。

このスライドは、どれも、300分の1秒の間隔で、撮られたものです。
5番目のスライドで、3号機の爆発が始まります。
鋭い閃光が、走るのが見えています。
これは、即発臨界の、始まりを示します。
建物の右の部分から、炎が突き抜けます。
そして、こここそ、燃料プールがある場所なのです。
ですから私は、燃料プール自体が、爆発の原因であった、と考えているのです。
爆発がピークに達した時、黒煙とともに、がれきが、木っ端微塵に飛び散るのが見えます。
燃料も中に入っています。
ありがたいことに、そのほとんどが、海に吹き飛ばされました。
燃料には、ウランとプルトニウムが入っています。
そして、プルトニウムに関しては、25万年も、環境に留まるのです。
この煙は、約1キロも、空中に上昇しています。
燃料プールから、燃料が吹き飛ぶには、燃料が、異常な熱と異常な速度を、持たなければいけません。
これを私たちは『即発臨界』、と呼んでいます。
これは、原子爆弾に似ていますが、それほどはひどくない、というところです。
そしてこれは、通常の、水素爆発とは異なります。
化学的爆発、というのがある一方で、原子爆弾、というのがあります。
ここで起きたのは、その中間、と呼べるでしょう。
これは、核分裂の連鎖反応であり、これは、非常に高い速度で、進行します。
水という水が、すべて蒸発し、原子炉の金属も溶かし、そして燃料が、プールから上に吹き飛ばされて、何マイルもの領域にわたって、降り注いだのです」

米国の原子力規制委員会でも、早々と、3号機の爆発は、単なる化学的水素爆発ではなく、劇的なものであった、と報告している。
インターンの電子メールで、3月25日に、膨大な量の蒸気は、放射能特有のプロセスであった可能性が高く、
つまり、意図しない、臨界による熱があった、ことを示唆している。
この分析のことは、まったく、公に知られていない。

アーノルド・ガンダーセン氏
「事故の直後に、世界で有数の、原子力産業アレバ社や、ジェネラルエレクトリック社、ウェスティングハウス社などがこぞって、
このことを、公にしないようにと、国会に、圧力をかけ始めたことを、私たちは知っています。
しかし、私たちは、アレバ社が、スタンフォード大学で、報告発表を開催する、ということを、突き止めることに成功しました。
あそこでは、どれだけ深刻であるかが、報告されたのです。
そして、やはり、ジェネラルエレクトリック社やウェスティングハウス社に、管理されている主要メディアは、
このストーリーを、過小に伝えることに、徹底しました」

フランスはパリの、アレバ社の本社ビル。
アレバ社は、世界で最大級の、核産業企業であり、ウランとプルトニウムからできている、悪評の高い、MOX燃料の納品会社だ。
福島第一3号機で、使用されていたMOX燃料も、アレバ社のものだ。
アレバ社でも、事故は、すぐに分析された。
ドイツの原子炉安全協会も、この報告をもとに、データを出しているが、4号機では、事故直後に、燃料プールで爆発と火災が起こった、と記載されている。

この報告は、事故から10日後に、スタンフォードで開催される、会議のベースとなるものだった。
国際安全保障協力センターの、プライベートな招きで、訪れた参加者たちはすべて、事故の経過と詳細を、知っている人ばかりだった。
しかし、事故の恐るべき事態や、影響に関する情報には、誰一人、動揺していようには見受けられなかった。
インターンで撮影されたビデオが、その様子を物語っている。

アラン・ハンソン氏(アレバ社)
「今のところ、燃料プールは、無事に保たれている様子です。
これは、日ごと小さくなっていく問題でしょう。
我々に報告されている、現場の放射線量では、燃料が引火した、ということは、結論付けることができません」

考えられ得る最悪の事故が、起こったなどということは、あってはいけないのである。
あまりに多くの物事が、危険にさらされることになるからだ。
世界中の、原子力エネルギーの、未来がかかっているのだ。

ケイト・マーヴェル氏(原子力ロビースポークスマン)
「この事故は、原子力エネルギーの終焉を、告げるものではありません。
原子力エネルギーが、なくなることはありません」

アラン・ハンソン氏(アレバ社)
「現場に、数時間滞在しても、大した量の被爆をすることはないでしょう。
現地の住民たちの健康に、大きな影響を及ぼすことはないでしょう」

事故が起こってから、4ヵ月後にはすでに、15歳までの1080人の子供を対象に、甲状腺スクリーニングがおこなわれたが、
そのほぼ半分が、放射性ヨウ素による、被爆をしていることがわかった。
これは、ガンを発病する、危険性が高いことを意味する。
ついに政府は、秋から、福島に住む18歳までの子供と若者、36万人を対象に、ガン定期検査を実施する、と決定した。
スタンフォードの専門家の一人は、経済的な影響について、希望的に語っている。

ダニエル・オキモト氏(政治顧問)
「復興が始まれば、需要が刺激され、9ヵ月後、今年の終わりまでには、成長率が伸びるものと思われます。
私の予測では、来年の2012年には、より高い成長が、期待できるでしょう」


大事故から1年。
2900万トンもの瓦礫を、処理しなければならないが、まだ計画は、出来上がっていない。
放射能に汚染された瓦礫が、ただ無造作に積み上げられ、野外に野放しにされたままだ。
除染を計画されている、家屋の数は、実際に必要な家屋の数の、10分の1に過ぎない、と専門家は語る。


ケイト・マーヴェル氏(原子力ロビースポークスマン)
「この意味で、私たちは、選挙民としても、エネルギー消費者としても、全員が、核エネルギーの将来を決定するのです。
私は、今後起こるであろうことに対し、根拠ある議論ができる道が、見出せることを、願ってやみません」

原子力ロビーは早くから、マスメディアが必要であることを知っていた。
今日では「メディアの、原子力コンプレックス」と、それを呼ぶことができるだろう。
このようにして、アメリカの、大手のCBS放送やNBC放送は、ジェネラル・エレクトリック社やウェスティングハウス社を通じて、日本の原子力産業とつながっており、
事故直後、日頃は鋭いオブザーバーが、きわめて控え目なコメントしか、メディアに出そうとしなかった。
必要以上に、早急に、出来事の詳細を評価するのは、避けようと判断したようだった。
これが、世界に影響する原子力事故である、などとは、言いたくなかったのである。

アーノルド・ガンダーセン氏
「事故があってから2,3日後は、ニュースでも、ほかの話題を出してから、最後にちょこっと付け加える程度しか、報道しませんでした。
これは、原子力産業にとって、ニュースポリシーに干渉することが、大切だったからです。
日本の原子力産業の、伸ばす腕も長い。
フリージャーナリストであり、ニュースキャスターでもある、上杉隆氏は、
フクシマでの事故経過と、政府や東電の、情報政策の裏を探ろうとしてきた、数少ないジャーナリストの一人だ。
日本のマスメディアに対する、彼の評価は、かなり意気消沈するものだ。

上杉隆氏
「報道内容に関して、点数評価をつけるとしたら、百点満点のうち、1点もあげることができません。
いや、それ以下です。
マスコミの仕事は、東電や政府が、隠そうとする情報を、暴いていくことにあるはずです。
しかし彼らは、真実の隠蔽に、貢献しているのです」

上杉氏は、今でも、ある放送局の番組の、司会役を務めている。
彼の番組の、今夜のゲストは、福島前知事、佐藤栄佐久氏だ。
彼は、プルトニウムが、燃料に入ることに反対し、日本の『原発ムラ』の権力を、身に沁みて感じることとなった人間である。
彼は、自分の職務から、追放されてしまったのだ。
上杉氏に対する攻撃は、かなりオープンだった。

上杉隆氏
「3月18日のことだったと思いますが、政府スポークスマンである枝野氏が、記者会見で、
『フリーのジャーナリストの中に、「放射能が放出されている」というデマを、流している者がいますが、
市民を不安に陥れているので、即刻やめてほしい』と、発言しました。
私の名を出さなくても、私のことを指しているのは、明らかでした。
そしてそのうち、テレビで、『デマに注意しましょう』という、コマーシャルを流し始めました。
それでも踏みこたえていくと、いつか、番組から降ろされることになります。
それで、以前、原発関係会社がスポンサーをしていた、TBSでの仕事を、失う羽目となりました。
私は、『メルトダウンが起きているはずだ』という報告や、『爆発で、かなりの放射能が拡散されたに違いない』という報告を目にしたので、
東電に向かって、それを確認する質問をしました。
それ以後、彼らは圧力をかけて、日本のメディアから、私を排除しようとし始めたのです」

もともと、原発ロビーの敵ではなかった佐藤栄佐久氏には、汚職疑惑が、でっち上げられた。

佐藤栄佐久氏(前福島県知事)
「私は、日本は、『原子力帝国』になってしまった、と思います。
情報は抑制され、政府、マスコミ、学者たちはこぞって、彼らとは別の考えを持つ人間を、全部排除してきました。
これは、ファシズム以外の何物でもありません。
こういう状況が、できあがっていたからこそ、フクシマの事故が起きたのです」


カリフォルニア州、サンフランシスコ。
シリコンバレー近くに住む、日系アメリカ人、ケイ・スガオカ氏は、長年ジェネラル・エレクトリック社に、原子炉技術者として務め、
1年に数回、原子炉納入業者の依頼で、定期検査のために、福島原発を訪れていた。
それは、彼が解雇されるまで続いた。

ケイ・スガオカ氏(原子炉技術者)
「私たちは、放射線防護装置を点検し、修理を行い、点検をしました。
我々の専門は、原子炉容器内での作業、ことに、燃料挿入箇所でした」

スガオカ氏と、彼のチームは、点検の際、原子炉容器の奥底で、時として、信じられぬ発見をすることがあった。
例えば、蒸気乾燥機の向きが、180度、反対に取り付けられていた。
それから、配水管に、15cmほどの亀裂が見つかった。
しかし、それらのことを、スガオカ氏が、検査報告書に書こうとすると、責任者たちが、それをやめさせようとした。

ケイ・スガオカ氏
「彼らは、『180度、向きが反対だ』という箇所を、削除したのです。
誰も、蒸気乾燥機の位置が、反対に取り付けられていることを、認めようとしなかったのです。
私は、当時は、どうして彼らが、それを隠そうとするのか、わかりませんでした。
そして、もう1つわからないことは、その後、東電とジェネラルエレクトリック社と官庁の間で、どのような取り決めが行われたかです。
彼らは、ちゃんと議論をしたはずです。
やっと、2002年9月になって、GE社の弁護士が、『一度も、蒸気乾燥機を取り替えていない』と東電が言っているのに対し、GE社が、なんの抗議もしなかった、と認めました。 
2002年の9月には、彼らはまだ、嘘をついていたのです!」

スガオカ氏の認識が、公になって、彼は、内部告発者として、有名になった。
それは、東電にとっては、災難なことだった。
東電の持つ、全原発が、一時停止を余儀なくされ、社長や幹部は、すべて辞任に追い込まれた。
今日では、東電は、表向きには、透明性に務めている。
30人ほどの、選り分けの報道陣が、11月には、事故の起きた福島第一原発の、視察を許された。
線量計は、毎時500マイクロシーベルトを測定。
とても危険な値で、記者たちは、バスを離れることは、許されなかった。
この東電の、宣伝企画は、不毛の惑星への、日帰り旅行だった、といえるだろう。

鈴木智彦氏(フリー・ジャーナリスト)
「フリーのジャーナリストたちは、はっきり差別されています。
あのバス視察旅行でも、私たちは、最初から排除されています。
通常の記者会見には、フリーのジャーナリストは、入場が許されていません。
万が一、入れることがあるとすると、今度は、なんの質問もしてはいけない、と言われます。
我々はだから、原発の現場からも、除外されています。

調査報道派のジャーナリストである、鈴木智彦氏は、ジャーナリストして入ることができないのならと、潜入することに成功した。
労働者として、丸1ヶ月、事故の起きた原発で、働いたのである。
そして、自分の仕事の間、秘密で撮影を行った。
この、腕時計に隠した、小さいカメラを使って、だ。
こうして彼は、50時間の、映像材料を集めた。

冷却システムでの作業は、とても危険だ。
というのも、ここは、3号機から、30mと離れていない。
ここで働いている労働者は、ほぼ全員、この地方出身で、なにもかも、地震・津波で失った、という人ばかりだ。
生き延びるために、彼らは、どんな仕事でも、引き受けざるを得ないのである。
彼らは、東電の子会社のまた子会社、ひ孫会社から、派遣されている。
こうして、親会社は、どんな責任からも逃れられる、という仕組みだ。
日本のやくざが、この人材派遣を仕切っている、というのは、今では、誰もが知っている秘密である。
東電は先日、ようやく、2人の労働者が、急性白血病で、死亡したことを認めた。
噂では、死亡者の数は、ずっと多いという。

鈴木智彦氏(フリー・ジャーナリスト)
「労働者にとっては、今手にするお金の方が、10年後発生するガンより、ずっと大事なのです」

労働者は、最高4時間、仕事をする。
それ以上は、体がもたない。

鈴木智彦氏(フリー・ジャーナリスト)
「以前の規則では、作業員の放射線測定で、インパルスが180以上だったら、ここから出てはいけないことになっていました。
ところが今では、3000、または4000という量を、被爆した作業員が、普通にノーチェックで、出されているのです。
考えてもみてください、以前なら、高線量被爆者として扱われていた人間が、ここから普通に、出て行くんですよ」


東電の問題は、また別なところにもある。
冷却システムから出てくる、放射能に汚染された大量の水は、どうしたらいいのだろうか。
場合によっては、長い間、貯蔵していかなければならないものだ。
原発サイトには、ぎっしり、タンクが並んでいる。
どれも、一杯に、汚染水が入っている。

鈴木智彦氏(フリー・ジャーナリスト)
「この、タンクにつながるホースですが、どれも、簡単なプラスチックでできています。
私は、外国人のオブザーバーに、早くから、『これが冬凍結すれば、ホースが破れて、あちこちから水が漏れるぞ』と言っていたんですが、
つい先日、それが、本当に漏れてしまいました」

鈴木氏は、身の危険を承知で、休憩時間に、福島第一原発全体を歩き回り、観察した。
東電は、「告訴する」と脅しながら、ここでの様子を報告することを、彼に禁じた。
東電としてはどうしても、原発の中が悲惨な状況にあるという、その真実が、公表されることを、食い止めなければいけないからだ。

鈴木智彦氏(フリー・ジャーナリスト)
「なにもかも、仮の一時しのぎの処置です。
彼らは、本当に安全な設備など、最初からつくっていません。
時間がかかりすぎるからです。
政府は、昨年中に、どうしても『冷温停止達成』と、宣言したかった。
『原発は、安定した状態になった』、と言いたかったのです」


そして、まさにその、「冷温停止」達成を、野田首相は、2011年末に、誇らかに宣言した。

野田総理
「原発近郊の、放射線量を、少なく抑えることに、まだ問題はあるとしても、技術的に可能だ、ということが、確認されました」

3号機の、燃料プールに沈む、瓦礫の山。
この画像を見るだけでも、「冷温停止」など、東電と日本政府が、世界に公表した、陳腐なプロパガンダ用トリックに過ぎないことが、一目瞭然だ。

吉岡斉教授
「冷温停止というのは、燃料棒が、完全に、水の中に浸かっていて、圧力容器内の温度が、100度以下に保たれていなければ、言うことができません。
しかし、福島第一原発では、1号機から3号機までの原子炉は、すでに破壊されてしまっています。
燃料棒の温度が、低く保たれているとすれば、それは、絶えず、水を上からかぶせ続けているからだけです。
こういうことですから、とても、冷温停止、とは言い難いのです」

もちろん、そのことは、東電もよく知っている。
しかし、世間に安心してもらうためなら、どんな言い訳も、ありがたく飛びつく。

ひとすぎ よしみ氏
「冷温停止といえば、通常、圧力容器内の温度が、100度以内に保たれている状態、を言います。
この、福島第一原発では、もちろんそれとは違うことは、私たちも、よく承知しています。
ただ、私たちは、それでも冷温停止状態と、呼ぶことにしました。
それは、状態が、かなり安定に、保たれているからです」

バスビー教授
「日本の北部は、すべて失われてしまった、と言っていい。
私は、誰に対しても、「早く避難しなさい」と勧めてきました。
これが、私の、心からの忠告です。
『早く逃げなさい!』と。
あそこはもう、危険な場所なのです」

福島住民
「私の家族は、1000年以来、ここに住んできました。
私は、ここからどこにも、行く気はありません。
たとえ、何があろうと。
死ぬまで、ここにいるしか、私には選択がありません」

ガンダーセン氏
「福島の事故では、死人は、道路に倒れていたりはしません。
ガン患者は、違った死に方をします。
人々は、10年、20年後に、ガンで亡くなっていくのです。
福島では、ガン疾患率が高くなり、少なくとも、100万人は、新しいガン患者が出る、と思われます。
しかし、原子力産業は、この数字を公表したくはないでしょう。
それは、世界中で、原子炉の終わりを、意味することになるからです」

フクシマの原発最悪事故は、原子力エネルギーにこれからも未来を託す者にとっては、起こってはいけないものだったのだ』
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フクシマを無かった事にしたい一心で、ウソと無能を貫き通す、日本の政府と電力会社とマスコミ(前半)

2012年04月09日 | 日本とわたし




上記のビデオが、これまでのように、なんらかの理由で削除された時のために、以下のビデオを残しておきます。
フクシマ-最悪事故の陰に潜む真実

この優れたビデオの一言一言を、翻訳し、文字にしてくださった方がいらっしゃいます。
『無限遠点』というブログを書かれている、ドイツ在住の方です。
わたしなどには計り知れないほどの、労力と時間をかけて翻訳してくださった文章をまとめてくださった金吾さんのブログ『放射能メモ』を転載させていただきます。


『金曜日。とても天気のいい日だった。
2011年3月11日の午後、
東京を始め、日本の東北地方で、大地震が起こった。
震源地は、仙台から約130キロ東の太平洋にあった。
これは、観測史上4番目に最大の地震だった。

菅総理(当時)
「本日14時46分、海を震源地とする、非常に強い地震が発生しました。
マグニチュードは、8.4でした」

実は、マグニチュード9.0と訂正された巨大な地震は、さらに恐ろしい津波をもたらした。
地震から約40分後には、巨大な波が、東北地方のほぼ150キロに及ぶ範囲に、襲い掛かった。
数分で、海水は国土にどっと流れ込み、何キロにもわたる広い範囲を呑みこみ、沿岸にあった町や村を、根こそぎ破壊していった。
19000人以上の人が死亡し、10万人が帰る家を失った。
日本はこれから、この被害が残した爪あとと、何十年も闘っていかなければならないだろう。
災害が起きてすぐには、いったいどれだけの被害が生じたのか、大まかの予測さえ不可能だった。

枝野官房長官(当時)
「現時点では、相当甚大な被害が出ている模様です。
政府は、被害拡大の防止に向けて、最大限の努力を払っています」

しかし、恐ろしい最大規模の被害は、もうすでに起きていた。
まず地震が、福島原発の原子炉に、重大な故障を引き起こし、事故の始まりを告げていた。
更に津波が、第1号機から第4号機までを襲ってからは、次々と決定的な、取り返しのつかない事態が、連鎖反応のように起こっていった。
15時42分には、第1号機から第3号機までの、電源が喪失した。
数分後には、津波で夥しい量の海水が襲い掛かり、非常用発電機のオイルタンクが流されてしまった。
最悪の事態が起きた。
原子力発電の、完全なブラックアウトである。
1時間後には、第1号機と第2号機の冷却が止まった。
これで、「最悪の事故」を、止めることはできなくなったのだ。


ここは、アメリカのバーモント州。
原子炉エンジニアである、アーノルド・ガンダーセン氏は、アメリカで原発を操業する、大手電力会社の監査委員会に所属しているほか、原子力規制委員会や議会でも、顧問を務めている。
ガンダーセン氏は、福島原発事故を、事故発生直後からずっと、注意深く観察し続けてきた。

アーノルド・ガンダーセン氏
「第1号機では、地震で配管が壊れたことを示す、徴候があります。
ということは、津波が到達するまでに、すでに、原子炉の冷却はできなくなっていたのです。
第2号機と第3号機では、地震と津波が来て、最初の数時間はまだ、普通に冷却されていました。
でも、第1号機では、地震ですでに、問題が起きていたのです。

津波は、2つのことを引き起こしました。
まずは、非常用のディーゼル発電機を、破壊しました。
非常時に、原子炉が冷却できるよう、準備されていたものです。
第二には、海岸沿いに設置してあった、ポンプというポンプが、すべて破壊されたのです。
ということは、たとえ、非常用の発電機が作動していたとしても、冷却する水は取り込めなかった、ということです。
津波は、この第1、2、 3号機の息の根を、まさに止めたのです」


そんなことは、東京に住む人も、津波の起こった地方に住む人も、まだ思いもしなかった。
午後、当時の菅首相は、「原発の状況は平常だ」と伝えていた。
「地震後、原発炉は、自動的に停止された」と。
7時45分には、東京の一部で、停電が起きた。
そして、45分後に、菅首相は、非常事態を宣言した。
東京では、人々がまだ、テレビに釘付けになって、災害の様子を追っている間、原発の周辺ではすでに、最初の住民避難が始まっていた。
こうして、最終的に、88000人が、故郷を失うこととなる。
翌日になっても政府は、事故の起きた原発が、どのような状況か、ほとんど知らせなかった。
東京にある緊急時対策本部と、福島の現場を結ぶ連絡が、途絶えることもあった。

中村幸一郎氏(保安院)
「今のところ、我々は事実を確認中です。状況を観察し、情報を収集しています」


第1号機原子炉の炉心溶融は、この時点ですでに、かなり進行していた。
この日の夜、格納容器の圧力が、異常に上昇した。
電源が喪失していたため、作業員は、手動でベントを試みた。
これにより、格納容器の圧力を、下げようとしたのである。
しかし、放射線量が高すぎて、この必死の試みは、中断せざるを得なかった。
空気圧縮機を使って、やっと弁を開放することに成功し、最悪の事態は、防ぐことができたように見えたが、
排水システムに漏れがあり、大量の水素ガスが、格納容器が入っている原子炉建屋の外壁部に出て、天井付近に溜まってしまった。

エメリッヒ・ザイデルベルガー氏(原子炉エンジニア)
「このように、完全なブラックアウトというのは、信じがたい。
電源喪失だけでなく、水もなかったというのは、あってはいけないことです。
システムが閉じた状態になれば、漏れが生じるのは当然です。
システムは開かれていなければ、冷却もできません。
すべて、想像しがたい事態です」

状況は、どんどん、コントールできない状態へ陥っていった。
3月12日の13時36分には、第1号機の建物の外壁部を吹き飛ばす、大爆発が起きた。


ここはウィーン。
ここで、物理学者兼リスク研究家の、ヴォルフガング・クロンプ氏は働いている。
彼は、70年代から、原子力エネルギーの危険をテーマにして、取り組んできただけでなく、その事故を分析してきた。

ヴォルフガング・クロンプ氏
「あれは、水素爆発だった、ということですが、それは、どう起こるかというと、
金属は、高温になると、水と反応し、まず水素を発生させます
大量の水素が、今度は、酸素と反応して酸化し、可燃性の高い、ガス集合気体となります」

第1号機の爆発の2日後には、今度は、第3号機で、大爆音と共に、爆発が起きた。
ここでも、炉心溶融は、すでに起きていた。
原子力安全保安院は、福島第一原発に関し、ほとんど情報を持っていないようだった。

西山英彦氏(保安院)
「本日、11時1分に、福島第一原発の3号機外壁部で、爆発が起こりました。
大爆音が聞こえ、水蒸気が、大量に上昇しました。
おそらく、水素爆発と考えられます。
それでは、東電が伝えてきた内容を、報告します。
計測されたパラメータをもとにしますと、原子炉格納容器の健全性は、保たれていると考えております」

枝野官房長官(当時)
「今回の爆発事故の原因は、先日の、第1号機の爆発と同じだと考えられます。
格納容器は健全です。
そして、我々も、専門家も含めて、これにより、大量の放射能が、外に漏れることはない、と認識しております」


この時点で、責任者が唯一、確かに言えたことは、原子炉建屋が2つ、爆発した、ということだけだった。
ヴォルフガング・クロンプと、彼のリスク研究所の同僚は、チェルノブイリの事故があった直後にも、事故の影響を分析してきた。
彼は、「日本のエネルギー政策が、無責任だ」と語る。

ヴォルフガング・クロンプ氏
「最大の過ちは、なによりも、これほど地震の多い国に、原発を建設した、ということです。
このような土地に、原発は、まったく不適です。
どのような地震にも耐えられる、安全な設計というのが、あるとは思えません
『ここまでは、事故が起きても我慢できる』とか、『ここまではいいことにする』などの計算をするということが、そもそもおかしい。
実際に、核の事故が起きてしまえば、帳消しにできない足跡を、とてつもなく長い時間に渡って、残すことになってしまう。
そして、それは、決して許されないことだからです」


ドナウ川のほとり、ツヴェンテンドルフに、オーストリア唯一の、原発が建っている。
1978年に行われた、原発の可否を問う国民投票で、否決されて以来、一度も運転されたことがない。
それ以来ここは、世界各地で、原発に携わる人間の、トレーニング施設として、使用されている。
この沸騰水型軽水炉は、福島の原子炉と、ほぼ同じ型である。

ヴォルフガング・クロンプ氏
「この建物を、見てください。
この建物の基礎を残して、上がほとんど、数秒の間に、爆発で木っ端微塵に飛び散り、鉄骨が見えるだけの状態になってしまったのです。
ということは、上から覗けば、原子炉の上のほうが、見える状態になっている。
圧力容器や、何年も保管しなければならない使用済み燃料プールが、なんの保護も覆いもなく、露出する、という状態になるのです」


まさにその状態が、3月15日に、第4号機で爆発が起きた時に生じた。
この爆発により、使用済み燃料プールの天井が粉砕した。
この第4号機には、前に爆発していたユニットとは違う、新しくも恐ろしい危険が潜んでいる。

アーノルド・ガンダーセン氏
「第1から3号機までは、津波が来た時には稼動していました。
しかしながら4号機の原子炉には、燃料棒が入っていませんでした。
そう聞くと、それなら、4号機は一番安全だった、とお思いになるかもしれませんが、そうではありません。
実際は、この4号機が、一番危険なのです。
燃料棒は、原子炉から取り出され、燃料プールに入れられていました。
つまり、安全を確保する格納容器の外に、あるわけです。
ということは、この燃料棒を保護するものは、何もないということです。
津波に襲われて、4号機では、燃料プールの水は、かなりこぼれてしまいました。
それに加え、電源がなかったので、冷却ができませんでした。
ここに入れられた、まだ原子炉から取り出されたばかりの核燃料は、すごく高熱で、水はすぐに蒸発してしまったはずです」

状況は、どんどん悪化してしまった。
自衛隊が投入され、空から、ヘリコプターで注水を行った。
しかし、これは、原子炉の冷却が、主な目的ではなかった。
時間との競争は、もうこの時点で、すでに始まっていたのである。

アーノルド・ガンダーセン氏
「この頃の、ドラマチックな画像として、ヘリコプターで水をかけようとする様子が流れましたが、
彼らはこの時、原子炉に、水をかけようとしたのではないのです。
そうではなく、4号機の燃料プールに、水を入れようとしたのです。
彼らは、なるべく下降して、どうにか少しでも、燃料棒が入っているプールに、水を入れようとしたのですが、
この必死の試みを、とうとう断念せざるを得ませんでした。
水位はどんどん下がっていき、とうとう、燃料棒の先端が、露出してしまいました。
画像で見られるとおりです。
それが原因となって、1~3号機で、すでに起きていたのと同じ、反応が起こってしまいました。
つまり、水素がどんどん発生して、4号機の建物が吹っ飛ぶだけの量に、達してしまったのです。
原子炉自体は、稼動していなかったにも限らず、です」

東電と保安院は、4号機の爆発についてはまず、知らないふりをした。
4月4日の報告書では、15日のこととして、単に、「壁の損傷」だけが確認されている。
しかし、米国の原子力安全委員会は、3月17日の時点で、最大の警告を発していた。
『燃料プール内の核燃料が露出していたため、4号機では、水素による爆発が起きたと、考えざるを得ない』と、インターンの報告書に書かれている。

アーノルド・ガンダーセン氏
「これは、4月初めに、東電が公開したビデオです。
これで、ようやく、4号機の燃料プールの様子を、覗くことができました。
この画面が、その中でも一番わかりやすい。
これは、次のことを示しています。
床は大体、このくらいの高さまであったはずです。
蒸発と爆発により、水量が減り、かなりダメージを受けて、床が落下しています。
ここら辺に、核燃料が置かれています。
この緑の機械は、核燃料を移動するためのクレーンです。
しかし、このクレーンも破壊してしまい、今では、燃料プールに入り込んでしまっているのです」

東電は、原子炉建屋と燃料プールに、上から水を入れるしかなくなった。
東電自身も、事態をかなり深刻と判断し、爆発後、4号機の作業員は全員、避難を余儀なくされた。
その中で、50人だけが、ここに残った。
これが、外国のジャーナリストから『フクシマ・フィフティ』と呼ばれるようになった、勇敢な50人である。
東電は、2011年の11月になって初めて、4号機で爆発があった事実を認めた。
しかし、それでも、その水素ガスが、燃料プールから発生したものだとは、認めようとしなかった。
というのも、それを認めてしまえば、燃料がしっかり冷却できなかったことを、認めざるを得なくなるからだ。
それで彼らは、自分たちの解釈を、説明した。

ロバート・アルヴァレス氏(原子力安全専門科)
「東電は『4号機の爆発は、水素爆発だった。そしてその水素は、3号機と繋がっている、共通の排気筒を通して、3号機から4号機に流れ込み、爆発を起こした』と説明しています。
私自身は、この説明に、信憑性があるとは思えません」

日本の東京大学の学者も、日本原子力研究開発機構も、この説を疑っている。
3号機の爆発が起きてから、4号機の爆発まで、20時間も経っていることも、それでは説明がつかない。

ロバート・アルヴァレス氏
「2つ目の説があります。
これは、長くジェネラル・エレクトリック社に務め、スリーマイル島の事故があったときにも、事故の収束にたずさわっていたマイルスという、原子力エンジニアが主張している説ですが、
彼や、私の知っているエンジニアたちは、こう解釈しています。
つまり、まず、地震で燃料プールに亀裂が入り、水が流出してしまった。
それで、ウラン燃料の被膜をつくっているジルコニウムが、とても高い温度に達して、自然に発火してしまった。
そのときに、水素も同時に発生したために、爆発が起きた、というものです」


結果的に、爆発は、途方もない破壊をもたらした。
燃料プールには、点検のため、原子炉から取り出された燃料が入っていただけではなく、200本以上の燃料棒が入っている。
燃料プールに、充分な水がなければ、これらは、途方もない脅威を意味する。
東電は、2012年1月にもまだ、事態の過小評価を試みている。
東電のスポークスマンの主張は、世界の専門家たちによる、原子炉画像のどんな分析にも、あらゆる点で矛盾している。

ひとすぎ よしみ氏(東電広報)

「燃料プールには、ちゃんと水が入っていて、冷却がされていますし、
燃料プールが大きく損傷している、ということを示す兆候は、確認されていません」

アーノルド・ガンダーセン氏
「米国の原子力規制委員会は、福島第一の4号機を、一番危険なもの、と見なしています。
というのは、燃料プールが、なんの保護もなく放置されていて、燃料棒が、いつ引火して火災を起こしてもおかしくないからです。
そのようなことが起きれば、放射能と火災で、20万人を超す人間が、死亡することがありうる、と想定できました。
だから米国政府は、原発から、半径100キロ圏内の住民に、避難勧告を出したのです」


ワシントンにある、原子力エネルギー協会は、米国の原子力ロビーを取り仕切る団体だ。
A.P.ヘイマー氏はここを代表する戦略家だ。

A.P.ヘイマー氏
「米国の原子力規制委員会は、米国市民に対して、福島第一の最低、半径50マイル圏内から離れるよう、勧告しました。
この勧告をするに至ったのには、2つ理由があります。
1つ目は、日本に滞在する米国市民は、外国人であり、現地の言葉を、ちゃんと理解できないことです。
このような災害が起きた時に、邪魔にならないよう、退散していた方がよい、という判断です。
2つ目の、しかももっと適切だ、と思われる理由は、原子力規制委員会がワーストケース、つまり、最悪の事態を分析したことにあります」

米国の原子力規制委員は、ワーストケースのシナリオを、重要視した。
4号機の燃料プールに、水がなくなる危険を、重視した。
これは、官庁インターンの、電子メール文書から明らかだ。
日本人は、そうではないと主張しているが、アメリカでは、それを疑っていることが、ここでわかる。
しかし、どうやら、その最悪の事態は、起きなかったようだ。

アーノルド・ガンダーセン氏
「もし、燃料棒が、火災を起こしていれば、今頃日本は、はっきり2つに、分断されていることでしょう。
そうなれば、50マイルほどの幅の地帯が、日本を横断し、もう北から南へ、行くことができなくなっていたでしょう」


東京から、消防隊が現地に送られるまで、事故から1週間かかった。
菅首相自ら、その命令を下している。
まさに、決死隊だった。

消防隊の隊長(当時)
「これは、もう黄泉の国か、と思いましたね。
普通、私たちが行く、事故の場所とは違って、あそこではなんの音もなく、森閑としていました。
怪我人も、死亡者も、誰もいない。
あそこに着いた時は、正直言って、怖かったですね」

暗闇の中で、彼らはどう進むべきか、計画を練った。
右も左も、まったくわからない状態だった。
隊員たちは、36時間休むことなく、働き通しに働いた。
どこもかしこも、瓦礫ばかりで、大きい車両は、海までたどり着けなかった。
それでも、なにがなんでも、1号から4号機まで、水で冷却しなければいけなかった。

消防員
「人力で、200キロもあるポンプを、海まで引っ張っていきました。
それから、原子炉のそばまで、かなり長いホースを、引かなければだめでしたね」

枝野官房長官(当時)
「現在、1号機から3号機まで、消防隊により、海水が運ばれており、状態は安定している、との報告が入ってきています」

エメリッヒ・ザイデルベルガー氏(原子炉エンジニア)
「あれは、必死の試み、というものでしたね。
なんの水も、他になかった上、非常用の貯水もなかった。
それで、仕方なく、海水を使ったわけですが、先のことを考えなかったのか、あるいは、知っていてなにもしなかったのかはわかりませんが、
海水というのは、塩分が固まりになって、そこら中にこびりつき、なにかをふさいだり、沈殿したりします。
そしてその後、真水を使って、放射能にまみれた塩の塊を洗い流し、今度は、大量の放射能に汚染された水を、また海に流してしまったのです」

昼夜、ひっきりなしに、1~4号機まで、放水が続けられた。
毎時ごと、放射能に汚染された水が、各ブロックで、どんどん溜まっていった。
海江田経産相(当時)は、放射線量が高いので、放水活動を中断せざるを得ない消防隊に向って、
「原発事故現場で、放水を中断すれば、処分する」と脅した。
それから、2号機で2度、爆発が起きた。
これにより、配管と、外側の立て杭に、亀裂が生じた。
その亀裂から、放射能汚染水が、漏れ出た。
亀裂をまず、コンクリートで固めようとしたが、失敗し、紙やおがくずなどで試みたのち、水ガラスを導入して、どうにか亀裂を止めることができた。
大量に発生した、放射能汚染水を、東電にはもう、処理することができなくなっていた。

枝野官房長官(当時)
「放射性物質を含む水を、海に放出する以外、手立てがありません」


1万トンの、高放射能汚染水が、その後、太平洋に、放出されることとなる。
それが、世界の生態系に、どのような影響をもたらすことになるのか、まだ、誰にも評価できない。

ロバート・アルヴァレス氏(原子力安全専門科)
「海に放出された、汚染水の量を査定すると、開始時点より、3倍に増えている、とする報告が上がっています。
そして、原子炉から、ずいぶん離れた場所でも、高い放射線が見つかっている、ということから、
かなり高度の放射能が、放出されてしまったことがわかります。
私は、これまでの評価を、訂正すべきだと思います。
数字は、ずっと高いものであるはずです」

ヴォルフガング・クロンプ氏(物理学者兼リスク研究家)
「海が今後、どのような反応を起こすかについては、まだ答えは出ていません。
世界初の実験であるわけで、これから判明していくことでしょう」


これほどの非常事態に対して、危機管理があまりにひどかった、東電と政府だが、菅首相は、7月に、このようなニュースを、晴々と伝えた。
原発事故を、収束するための第1ステップが、見事終了した、というのだ。

菅首相(当時)
「循環注水冷却システムができあがり、これからも、ステップ2終了に向け、努力を続けていく所存です。
いわゆる「冷温停止」が完成できるのは、2012年の初め、と考えております」

これはしかし、政治的な議事日程であって、絶え間なく続行する、事故の現実とは無関係だ。

ここは、ウェールズ沿岸の、アバリストウィス。
クリストファー・バスビー教授は、ここの大学で研究する、放射性化学者だ。
彼はまた、独立した、欧州放射線リスク委員会の、メンバーでもある。
ここには、ヨーロッパ各地から、あらゆる専門家が所属している。
彼は、フクシマ近辺とその周辺で、実際に、どの程度汚染が進んでいるか調査し、住民にとって、どれくらい危険があるか、調べようとしている。
そこで彼は、車のエアフィルターを、日本から取り寄せた。
彼は、その車が、事故直後からどこにあったかを、持ち主に、細かく記録してもらった。

バスビー教授
「フィルターを開けて、アルファ粒子を検出する、装置に入れます。
まず、24時間、待たなければいけません」

アルファ粒子を放出する放射線は、人間の細胞に当たれば、極めて危険である。

バスビー教授
「人々は、この放射能に当たるだけでなく、それを、体内に吸い込みます。
環境には、ウランやプルトニウムが、大量に放出されていて、遺伝子を壊す、非常に危険な物質に、満ちています。
ですから、地面にある放射能だけでも、大変怖れなければいけない。
それが、空気にあれば、人々は、それを当然、吸い込みます。
私は、車のフィルターを測定しましたが、フィルターに溜まった物と同じ物を、人間が吸い込んでいるのです。
それが、肺からリンパシステムに入れば、病気になります」

7月の東京は、いつもと同じ状況に、戻った様子を見せていた。
しかし、放射能に汚染された、牛のえさや緑茶、または米などが、ニュースとなった。
東電や、政府の過小評価が、どんどん信憑性を失っていく中でも、人々は、あまり動揺しなかったように見られた。
同じ頃、バスビー教授は、自分の最初の分析結果を手に、東京を訪れた。
分析結果はかなり、不安を呼び起こすものだった。
車のフィルターから、セシウム430と137が、発見されたからである。
セシウム137は、何百年にも渡って、放射能を出し続ける、強い放射性物質である。
ノルウェーの研究者たちが、その後、バスビー氏の分析結果を、確認している。

バスビー教授
「ということは、かなりの量の放射線が、すでに放出されたということです。
福島から、あれだけ離れた千葉などで、予測していた以上のものが、発見されたわけですから。
これはまた、ウランやプルトニウムを含む、その他の放射性物質が、かなり大きな距離にわたって、拡散されたはずであることを、示す証拠ともいえます。
つまり、住民たちは、かなりの被爆の危険に、さらされているのです。
それは、核実験が、世界で相次いだ1963年ごろ、測定された大気の放射能物質より、千葉では300倍も強く、100キロ圏以内ではなんと、1000倍も強くなっています」


→後半に続きます。 
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イースター写真日記 後半

2012年04月09日 | 日本とわたし
4月8日・午前10時・ジャン&サラの家(フィラデルフィア美術館近辺)

ハッピー・イースター!
双子ちゃんの家にはなんでも2倍!まずはお出かけ用の道具や乗り物が玄関にびっちり。


ジャンはコンピューター・グラフィックの達人。有名な映画(スパイダーマンなど)のスタッフとしてずっと働いていた。
サラは、切り絵を何重にも重ねる独特の手法の作品を創るアーティスト。
なので、家の中のどれもが、すてきだったり楽しかったり。

服屋の洋服掛けの輪っかの部分と、傘の骨をアレンジした鍋掛け。


窓、窓、窓。






サラのスタジオ。


ここで作品が次々に生まれる。






















あの細かさ、繊細さを、映像などではなかなか伝えられない。いつ見ても、ほんとにすごいと思う。


双子ちゃんがいる暮らしには、IKEAが大活躍!


どれもこれもがふたつ。


むちゃくちゃ可愛い双子ちゃん。








そして気高いネコちゃん。この家には5匹のネコちゃんがいる。


散歩だ散歩!


風は強いがすばらしい天気。


フィラデルフィア美術館の裏側。


セントラル・フィラデルフィアが見える。


なんともワイルドな小径。


ベビーカーを押す男ふたり連れ。


水かきの裏に吸盤でも付いてるのか?君達!


フィラデルフィア名物ボートハウス。


牡丹桜が満開!ひゃ~!


豪快な壁画。


また来るね~♪



同日・午後3時・フィラデルフィア郊外

川の畔を延々と走る。


ロブとエミリーの息子、アンソニー。すっかり男の子になった……。


イースターのご馳走を皆でいただき、アンソニー君にとっては初めての、イースターの卵探し!


すっかりお姉ちゃんになったエメラと一緒に。


いぇ~い、ボク、いっぱい見っけたもんね~!


お昼寝から起きたら大人数!しばらくショック状態だったアンソニーもやっと慣れて……。



バイバイ、フィラデルフィア。


イースター恒例の渋滞の中、ほとんどの道中を運転してくれた旦那。いろいろ楽しいことをありがとう!
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