ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

目ぇ覚まして村長さん!

2012年04月04日 | 日本とわたし
時事ドットコム・東日本大震災~あれから1年~
除染作業に早期着手を=環境相に要望-福島県飯舘村長 (2012/04/04-16:13)

『福島県飯舘村の、菅野典雄村長は4日、環境省内で細野豪志環境相と会談し、
避難住民の帰還に向けた、本格的な除染の、早期実施を要請した。
東京電力福島第1原発事故で、計画的避難区域に指定されている同村は、国が直接除染を行う。
細野氏は、「スピードアップをして、結果を出せるようにしたい」と応じた』


一方で、こんな記事を見つけた。

飯舘村村民が抱く不信感「国や役場が『除染が完了して安全になりました』と言っても、絶対に信じられない」
(2012/3/23 18:11)

『計画的避難区域に指定された、福島県飯舘村から、昨年7月に、福島市飯野町の仮設住宅に避難してきた、高山さん(仮名・30代主婦)は、
この1年間、情報に翻弄(ほんろう)され続けてきた。

原発事故があってすぐの3月15日、16日は、双葉郡から飯舘村に、避難してきた住民の方々を、婦人会のみんなで、炊き出しで振る舞ってあげてました。
もちろん屋外で。
子供たちも、そばで、雪合戦をして遊んでいました
ね。
今から考えれば、その2日間は、飯舘村の放射線量が、最も高かったんです。
確か、そのひと月後に、15日の線量が実は、村役場のモニタリングポストで、毎時44.7マイクロシーベルトだった、と公表されたんです。
それを知らされたときは、怒りとかじゃなくて、ただただ生きた心地がしなかった。
子供たちは、マスクもしないで、雪合戦をしていたんだから」

それでも行政からは、「安全」、のふた文字しか出てこなかった。

計画的避難地区に、指定される前日まで、私たちは、『飯舘村にいても安全だ』と言われ続けていました。
村長や村役場の人たちが、県外から、放射能の専門家の先生方を連れてきては、説明会で、私たちに、そう言い続けていた
んです。
計画的避難区域に指定された日から、村は静かになった。
普段なら、外でみんな遊んで、子供の声が聞こえてくるけどね、それが、ぱったり消えてしまったんです」

結局、高山さん一家が避難したのは、5月末のことだった。
2ヵ月半もの間、放射能を浴び続けていたのだ。
子供の内部被曝を心配した高山さんは、茨城県まで行き、内部被曝の検査を、子供に受けさせた。
ところが……。

「検査の結果、『ただちに健康被害はないから、大丈夫』と先生に言われたけど、半信半疑だった。
なぜって、避難先で、役場の人たちが、原発事故のすぐ後に、家族を村の外へ逃がしていた、と聞いてしまったものだから、
もう、お偉いさんたちの言うことは、何も信じられなくなっていたんです」

7月には、現在も住む、飯野町の仮設住宅に移った。
4畳半ふた間と、6畳の部屋で、子供ふたりと両親の、5人で生活している。

「夫は、『狭いから』と、飯舘に残りながら、南相馬で、除染の仕事をしています。
ここまで騙されて、これだけ迷惑を被(こうむ)って、なんで私の夫が、国や東電のために働かなきゃいけないの!って思うけど、
これが現実なんです。
東電からの賠償金だけでは、家族を食べさせてはいけない
んです」

東電からは、100万円が、賠償金の仮払金として支払われたというのだが、このお金には、あまり手を付けられないという。

東電からもらったお金には、
『使った分は領収書を提出すること』とか、
『東電が認めた物以外には使えない』
『使わなかった仮払金は、返還すること』なんて条件がついてるんです。
だから、実際に買ったものといえば、子供の衣料品と、布団と、雪かき用のスコップくらい。
日常生活にかかる、ガス代、水道代、電気代、食費は、東電が認めてくれません。
飯舘にいる頃は、山の湧き水や地下水を、流しっぱなしで使っていたし、水道代なんて、払ったことなかった。
畑に行けば、野菜がとれるし、田んぼには米もある。
こたつは、炭で暖めていたし、お風呂も、薪(まき)で燃やしていたし……。
仮設のお風呂は、追いだきができないから、冷たくてね、家族の誰かが入るたびに、お湯を注ぎ足すから、水道代だけで1万円以上かかります。
はっきり言って、こんな状況が1年も続いているから、ストレスばかりがたまって、体は大丈夫だけど、頭がおかしくなりそうです」

高山さんは最後に、自分が生まれ育った、飯舘村に対する今の思いを、率直に語ってくれた。

菅野(典雄、飯舘村)村長は、帰村だ、除染だって張り切っているけど、正直、あの村には、帰りたくない。
帰りたいけど、帰れないだろうって思っています。
村全部を除染するなんて、無理だろうし、国や役場が、『除染が完了して安全になりました』と言っても、絶対に信じられないと思うから。
でも、母は、最近よく言います。
『ここで死ぬのは嫌だ。村さ帰って死にでぇ』と……」 (取材/頓所直人、興山英雄)』




そしてこれは東京新聞。
どうなる飯舘村の再建 帰村か移転か揺れる住民たち (東京新聞・こちら特報部 3月23日)

……前略

村は12月、「いいたて までいな復興計画」を策定。
除染を前提とした、帰村に向けての、総合的な計画を立てた。

復興計画は、短期(今後2年)、中期(2~5年後)、長期(5~10年後)の三段階で展開。
2年後の目標を「村民の一部・一時的な帰村の開始」、5年後は「希望する全村民の帰村の実現」、10年後は「復興の達成」としている。

今年3月1日現在で、約6500人の村民のうち500人が、県外で生活。
残る6千人が、福島市を中心に、近隣の伊達市や川俣町など、県内の仮設や借り上げ住宅で暮らす。
高齢者施設以外で、13人が、村にとどまった。

村は、小中学校を、川俣町に仮移転。
小学生250人、中学生135人が、川俣町の学校施設を間借りした、仮校舎に通学。
ほかに、約150人が、避難先の学校に移った。

新年度から、小学校は、川俣町で購入した土地の、プレハブ校舎で、再スタートする。
ただ、そこにいつまでいるのかは、復興計画に記されていない。

空間放射線量の高い、村南部の、長泥地区の住民らに会った。
村の調査(3月9日)でも、地区の宅地の線量は、地上1メートルで、8.25マイクロシーベルトもあった。

ある農業男性(48)は、「3月11日を、なかったことにしてほしい」と話し始めた。
「村は、除染除染と言うが、無理でしょ。
表面削ってみても、また戻ってる。
田んぼを削っても、山からの水が汚れている。
かといって、山の木を全部切ったら、水害になる。
嫁さんをもらったばかりの息子も、『もう村には帰んね』と言っている」
と吐き捨てた。

別の農業男性(62)は、
「仮に、(相対的に線量の低い)北部に住めと言われても、それだと避難と同じ。
戻ることにはならない。
無意味な除染を繰り返すくらいなら、国と東電で、土地を買い上げてほしい。
『取り返しがつかなくなった。立ち退け』と、なぜ言ってくれない」
と顔をゆがめた。

復興計画は、新年度予算にも、反映された。
この3月、議会で可決された、一般会計約45億円の予算の中には、
「復興計画の『命をまもる』の項目として、(帰村の判断材料を提供する)リスクコミュニケーション事業に、約900万円が計上された」(村職員)という。

ただ、昨年9月の、村の除染計画では、費用を、約3200億円と見積もった。
財源は、確保されていない。
ちなみに、復興計画のたたき台を検討した、村民会議には、東京大付属病院放射線科の中川恵一准教授や、除染の専門家として、元日本原子力学会長の田中俊一氏が加わった。
ともに、脱原発派からは批判されており、住民には、違和感もあった。

「こちら特報部」は、菅野村長にも、取材を申し入れたが、「多忙」を理由に、実現しなかった。

国と二人三脚で、「除染と帰村」を掲げる村に対して、「新飯舘村の建設(村の移転)を目指す」として、署名活動を展開する、住民たちもいる。

その一人で、飯舘村の農業研修所で、管理人をする伊藤延由さん(68)は、
「除染して帰村するしかない、というのが、村長の姿勢。
しかし、その選択肢しか与えないのはおかしい。
必ずしも、全村移転を求めてはいない。
10人でも、まとまって移住を希望するなら、その声も認めるべきだ」
と憤る。

「国や村は、帰村を急がせるが、時期が来れば、その後の賠償は、打ち切りとなりかねない」

こうした、相反する主張に、住民たちの気持ちは揺れている。
村長に同情する、川俣町に避難中の男性(48)は
「村長だってたぶん、除染が厳しいことは分かっている。
でも、『村に戻る』と言わない限り、国も県も何もしない。
飯舘村が、ゴーストタウンになるのは、目に見えている。
ここまで村をつくってきた村長が、一番つらいと思う」
と語る。

大工の男性(59)は、
「役場の場所を中心に、病院や老人ホームを整備し、最初は三百人ぐらいが、低線量の場所を、『飛び地』のようにして暮らす方法もある」と、早期の帰村方針に、理解を示した。

しかし、酪農を営んでいた長谷川健一さん(58)は、
「帰村したいのは、村の誰も同じだが、除染まっしぐらに進む村長のかじ取りには、疑問がある。
村民の声は、入っていない」
と不満を口にした。

「思いと現実は違う。
巨額の予算を投入して、4,5年後に、『やっぱり除染は無理だった』、では取り返しがつかない。
村を出る、という方向性も、残しておいてほしい」

長谷川さんは、独自に、同じ行政区の村民たちに、今後の意向をアンケートして、来月にも、結果を、村の住民に通知するという。

福島市の、仮設住宅で暮らす男性(85)は、
「年寄りはなんとかなるけど、若い者は、戻っても仕事がない。生活できねべ」と言った。
別の男性(64)も、
「仮に、ある程度除染ができても、飯舘の農産物を、買ってくれる消費者がいるだろうか」と案じた。

除染して、帰村、農業再開という村のプランは、「子どもだまし。誰が納得するか」
かといって、新天地への移転には、「若ければいいけど…」
ある男性の、そうした反応が、多数派住民の心を、代弁しているようだった。

帰村にせよ、集団移転にせよ、それは、住民たちの絆を、大切にすることに変わりはない。
だが、若い世代の中には、すでに、移転先で職を見つけ、新たな生活を、営み始めた人たちもいる。
住民の一人は、こうつぶやいた。

「俺らが望んだ原発じゃない。こうなってみっと、なくていい。いや、なくしてほしい」

<デスクメモ> 
福島原発事故後、放射性物質よりも、不安の方が健康に悪い、と説く学者たちがいた。
でも、不安の原因は、ほかならぬ、原発事故だ。
この無神経さは、救いようがない。思い出、家族や隣人との暮らし、将来、風景…。
事故は、カネで買えない宝を奪った。
その価値が分からぬ一群が、再稼働に血道をあげている』




飯館村の村長、菅野さん。
マンハッタンの教会で、基調演説をしはった菅野村長。
穏やかで、人当たりのええ、知的な感じの人やった。
『までいの力』の本が、わたしの机の上にある。
あの日からずっと、机の上に置いてある。

『地に足をつけてきた人々が、地を追われる無念』

物質文明とはひと味もふた味も違った、自然に添い、人の心に添い、
手間ひま惜しまず、丁寧に、心をこめて、村造りに勤しんでいた人達の暮らしを、原発事故がまるごと葬ってしもた。

その悔しさ、哀しさ、怒りを思う。
過疎の村に十数年暮らしたから、村で暮らすことという実際も、少しはわかる。

けどね村長さん。
わたし、演説聞いてるうちに、村長さんが正常な精神ではないことに気がついて、それがショックで、胸の中がざわざわした。
あの村のことを、写真やビデオでしか見れへんわたしでさえ、あの膨大な面積の山が、どないして、たった数年で除染できるんやと思うのに、
その村を、一番よう知ってはる村長さんが、その不可能さが理解できんわけがない。
放射能物質の恐ろしさも。

「除染したいのは山々やが、どう考えても実現は不可能。
断腸の思いではあるが、『までいの村』をもういっぺん、どこか他の地で作ろうと思う。
わたしの思いとつながりたい人は、一緒にしませんか?」

そういう言葉が出てくると思てた。
そやから、舞台の上で、『までい』の説明を得々と、ちょっとしたジョークも交えてする村長さんが、
急に原発マフィアの一味に思えてきて、心臓がドキドキした。

こんなふうに、今までにもいろんな人が、知らんうちに、原発病に感染してしもたんやろか。

目ぇ覚まして村長さん。
『までい』はきっと、どこにでも生まれる。
『までい』は、核なんかと一緒に生きとうない。
それを一番知ってるのは、村長さん、あんたやと思う。
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「日本の原子力マフィアは、廃炉どころか、再稼働の準備に執念を燃やしてる!」←ウラン燃料屋の証言

2012年04月04日 | 日本とわたし
いつも、大変な量(わたしなどから見ると)の、英語で報道された記事の翻訳をしてくれてはる、小林さんのブログ『星の金貨』に、
少し古い記事やけど、わたしらが知るべき裏側事情として、こんなんが載ってた。


【 日本の原子炉・再稼働は間もなく 】 投稿日: 2012年4月1日 作成者: admin

「世界最大のウラン燃料会社、3.11以降も日本からのキャンセルは全く無し」 ロイター 3月26日

『3月11日に襲った、巨大地震と巨大津波が、福島第一原発の事故を引き起こして以来、
国内の54基の原子炉のうち、一基を除くすべてが、停止中の日本。
しかし、世界最大のウラン燃料供給企業CAMECOの社長は26日、
「日本は、原子力発電からの恒久的な撤退を、表明しているわけではない」、と語りました。

CAMECOは、日本の原子力発電所を運営する企業に対し、ウラン燃料の、余剰分の買い取りを、提案しました。
しかし、この提案に、応じた会社は無かった
のです。

CAMECOの最高経営責任者ティム・ギツェルが、米国サスカチュワン州サスカトゥーンで開催された、鉱山・鉄鋼サミットの会場で、こう語りました。

ギツェルが語ったところでは、いくつかの会社は、ウラン燃料の、納品の延期を依頼してきましたが、
在庫を減らしたり、契約済みの分について、数量を減らすよう求めてきた会社は、一社もありませんでした。
さらに彼は、ウランの採掘は、計画通り進められる予定
だ、と付け加えました。
ギツェルがこのように語りました。

「我々は、いくつかの採掘計画では、日本の、原子力発電所を運営する会社と、提携しています。
我々は、この提携企業に対し、提携を続けられるのかどうか打診したのですが、撤退を申し出た企業は、ありませんでした。
彼らは引き続き、ウラン燃料の採掘にも、投資を継続することになります」

「この事実から、日本国内の原子力発電所は、どこも、事業を継続させるつもりだと思いますよ」


26日には、東京電力(TEPCO)は、計画されていた定期点検のため、一基だけ稼働していた原子炉を、停止させまし た。
これで、日本国内で稼働中の原子炉は、一基を残すのみとなっています。


出光興産株式会社は、2013年後半に、採掘を開始する予定の、サスカチュワン州にあるCAMECOのシガーレイク計画の、ウラン鉱山の8パーセントの株式を、保有していますが、東京電力も、この株式を、5%保有したままです。

日本では、残る一基の稼働中の原子炉も、5月には、点検のため停止します。
ストレステストの結果が、原子力安全保安院により、検証されていますが、
最終的に、総理大臣が、国民の意向と、地元自治体の了承を得て、再稼働の判断を行うことになります。

その具体的スケジュールは、不明ですが、CAMECOは、停止中の原子炉のうち、一部ではあっても、近々再稼働することは間違いない、と見ています。

「数か月後には、日本の複数の原子炉が、再稼働することになるでしょう」
ギツェルがこう語りました。

「その進展は、ゆっくりになるかもしれませんが、日本の原子炉は、結局、再稼働されることになると思います」

+ – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – +

今日の原稿は、予定を変更し(といってもわたし以外に誰も知らないのですが)、
ツイッター名[今と未来を生きるための気付きとヒント!@DreamStarAngels]さんに教えていただいた記事を、翻訳・掲載しました。
日本の各原子力発電所が、「その時」を待っている、何よりの証拠が提示されています。
おそらくは、原子力安全保安院あたりが、「いつでも稼働できるようにしておけ」とでも指示しているのでしょうが、
まったく、そのダーティさには、閉口します。
襟を正して、国民を守ろう、という気概を、微塵も感じさせないのは、いったいどうしたことなのでしょう。

福島第一原発の、事故の検証も終わらないのに、
福島では、相変わらず、危機的状況が続いているのに、
次々と、原子力発電所の再稼働を、行うつもりのようです。

国民が下を向き、肩を落とし、うなだれなければならないようなことばかりしている。
かわいそうなのは、日本の、そんな時代しか知らない子供たちです。

上級国家公務員、その意味や価値について、国民は、もっともっと、考えなければなりません。
でないと、自分はもちろん、家族や子孫までも、不幸にしてしまいます』

 

記事を翻訳しながら小林さんが考えはったことに、わたしは全面的に賛成や。

その時を、虎視眈々と狙てる、原子力マフィアのいつもながらの狡さ、これがもうイヤでイヤでたまらん。
そういうことができんように、我々市民の手で、なんとかできひんの?

「数か月後には、日本の複数の原子炉が、再稼働することになるでしょう」
ギツェルがこう語りました。
「その進展は、ゆっくりになるかもしれませんが、日本の原子炉は、結局、再稼働されることになると思います」

こんな予言、ひっくり返して、日本の市民かてやればできるんや!というとこを見せたいねん!
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お外でパズル♪

2012年04月04日 | ひとりごと
え~、この二日間、ひじょ~に怪しい格好で、パズル遊びをしておりました。

こんな具合に。


レンガはすべて、うちのあまりもので、裏の庭の土の中からザクザクと掘り起こしたもの。

せっかくの、ほぼ55年かけて貯めに貯めた体重を駆使いたしまして、グイグイ押し込んでいるところを、旦那に盗撮されておりました。


どれぐらい怪しいかというのを、記念に。


土まみれだったのを水で洗い流し、


あるだけのもんでできたレンガのパズルなのでした。



去年、四角かったミニ畑を、今年はまぁるい形にしてみました。
去年からのブルーベリー以外、まだなぁ~んにも植わっていません。


お昼寝石さんも気持ち良さそうです。


サラダにして食べたいような立ち姿の多年草。



何時間も、キツい太陽の光を浴びて、汗をたくさんかきました。
知らないうちに、普段使っていないところを使いまくっているからか、体のあちこちがだる痛いです。
けれども、骨や心の芯まで、明るいエネルギーが満ちているような気がします。
お日様って、ほんとにすごい。

さぁ~仕事仕事!

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