JBpress Japan Business Pressに、4月5日に掲載された記事を読んだ。
読まんだらよかったと思うぐらいに、原子力保安院のマヌケ具合が書かれてた記事やった。
日本ってほんま、原子力なんか扱える国ちゃうって。
マジであかんて。
それが再稼働やて。
ヘソが笑いこけて湯が沸くわ。
真剣な顔して、世にも滑稽な猿芝居。
気がついてへん人らにはどうかしらんけど、気がついてるわたしらにとったら、アホらして観てられへん。
なんとかしてひっくり返したりたい!
少々汚い手使てでも。例えば、知らんふりして、足をひょいと出して引っ掛けたるみたいな。
そういう技って、なんぼなんでも、市井の人間にはできん。
そら、半端やない、日本中の人間が一気に集まるみたいな、何十万人の市民が一同に集まったらまた別の話。
けど、なんでかしらんけど、日本、事故から一年経っても、一向にそういう気運が高まってけえへん。
これ読んでみて。
今あいつらがゴリ押ししてる、「運転中の原発がある日本」が、どれほど愚かしいことかようわかるから。
ほんで、お願いやから、なんでもええから、「運転中の原発が無い日本」の実現するよう、
自分の得意なこと、簡単にできそうなこと、興味のあることを、なんかひとつでもやり始めてみてぇな!
地震の活動期に突入してしもた日本は、動いてる原発なんかあったらほんまにえらいことになる。
せめて停止して、冷やし始めてたら、それでも危ないけど、少しでも廃炉に繋がっていくはず。
原発をどないして動かそうか、やなくて、原発をどないして止めようか、
原発が無かったら電気が足らん、やなくて、原発が無くてもどうやったら大丈夫になるか、
それをみんなで話し合える日が、一日でも早くやってきますように!
「放射性物質は、煙突から管理されながら出てくるから大丈夫」と言い張った原子力保安院
烏賀陽 弘道
『3.11前、福島第一原発周辺の市町村は、事故時に備えてどんな避難計画を持ち、どんな訓練をしてきたのか、述べてきた。
ここでいったんまとめておこう。
(1) 国は、原発を中心に、8~10キロの円(EPZ=計画的避難地域)の内側しか、避難の想定をしていなかった。
(2) つまり、10キロを超えて、放射性物質が広がることを、予測していなかった。
(3) しかも、避難訓練が行われていたのは、原発から3キロ圏内でしかなかった。
(4) 上記(3)に該当するのは、大熊町(人口約1万1000人)と、双葉町(同6400人)である。
うち、大熊町には、国交省がバス70台を送り込み、12日の、1回目の水素爆発の約30分前に、町民は避難した。
(5) しかし、双葉町には、バスは5台しか来なかった。
町民は、ばらばらに、自家用車で避難した。
最後に残された「双葉厚生病院」の入院患者・職員約300人が、バスに乗り込もうとしていたときに、1回目の水素爆発が起きた。
井戸川克隆町長ほか、多数が、「断熱材のような」降下物を浴びた。
(6) 年1度の訓練も、「訓練というより演劇」(双葉町・井戸川町長)でしかなかった。
東京とのやり取りのセリフや、当日の風向きまで、筋書きが前もって決まっている。
「電源を喪失したが、バックアップ電源が作動して、原子炉は平常に戻る」という設定だった。
午前中に始まって、昼頃には終わる。
(7) 上記(1)に該当する富岡町には、バスなど、避難の交通手段の手配はなかった。
避難先や距離、方向の指示は、国からも県からもなかった。
いったん、20キロ線ぎりぎり外の、川内村に避難したが、そこも危険になり、再度、埼玉県へ避難した。
(8) この「20キロ」は、国が想定していた事故の、最大予想値だった。
それ以上の拡大を、予想していなかった。
(9) 飯舘村と南相馬市に至っては、原発災害の当事者になる、という予想が、村・市にも国や県にもなく、訓練は行われたことがない。
計画もなかった。
(10) 国には「原発から、半径20キロより外側に、放射性物質が飛散する」という想定はなかった。
つまり、20キロラインから外側には、何の備えもなかった。
■原発事故・災害時の対策は国が指揮を執る
ここまでの、JBpressの記事では書いていないことも、原子力防災の、責任の所在をクリアにするために、付け加える。
(11) こうした避難の範囲を決める、根拠になっている法律は、「災害対策基本法」と「原子力災害対策特別措置法」である。
「県条例」ではなく、国会の議決が必要な、「法律」が決めているということは、原発事故・災害のときは、国が指揮をする。
指揮系統を一元化し、国が司令塔になることを意味する。
つまり、責任は、県ではなく国にある。
(12) 「災害対策基本法」は、火山の噴火や洪水など、自然災害も含んでいる。
放射性物質の飛散など、原発災害に特化した内容ではない。
(13) 一方、「原子力災害対策特別措置法」は、1999年に起きた、茨城県東海村の、JCO臨界事故を契機に作られた。
逆に言えば、「臨界反応」(核分裂反応のこと)が、防護壁のないバケツの中で起き、2人が死ぬような深刻な事故が起きるまで、
日本には、原子力災害を想定した、法律すらなかった。
(14) 「どの範囲の住民を、避難させるか」を決めるのは、法律の下の、施行規則(細目)である、「防災指針」である。
この防災指針に、「半径8~10キロ」という「円形の避難の範囲」と、「キロ数」が出てくる。
この「円形」と「数字」を考えるのは、原子力安全委員会の仕事だ。
(15) チェルノブイリ事故の経験から、原子力発電所で事故が起きれば、「円形の避難」は、住民の被曝を防ぐためには無益、と分かっていたのに、改善されなかった。
■不眠不休の様子で現れた災害対策担当者
一つひとつ、市町村や住民の取材を積み重ねて、全体像を組み立てながら、福島県庁に取材に行った。
原発周辺の、市町村の事情が分かってきたので、その上の自治体である福島県は、住民の避難のために、どういう動きをしたのか、聞きたかったのだ。
2012年1月、上旬のことだ。
福島県庁に電話をすると、災害対策本部が取材に対応している、と告げられた。
つないでもらった。
担当者に、取材の趣旨を説明すると、一日中詰めているから、夕方5時に来てくれ、とすんなり言う。
行政のミスの話なので、取材拒否されるか、と思ったが、まったくそんな気配はない。
日本の非都市部では、どこでもそうだが、「県庁」は、大名の城のような威容がある。
福島県庁もそうだ。
福島市という、穏やかな街では、明かりが遅くまでこうこうと灯っている、数少ないビルだ。
1月の午後5時は、もう真っ暗だった。
暗い構内を、凍った雪をざくざくと踏みしめながら行ってみたら、本庁舎に、災害対策本部はないという。
守衛さんが指さしたのは、通りの向かい側にある、低層ビルだった。
入り口横に、「福島県自治会館」、と札があった。
階段を上がる。
ホコリっぽい廊下に、事務机やパイプ椅子が乱雑に並び、記者やカメラクルーがたむろしていた。
廊下が、急ごしらえの「記者クラブ」「会見場」になったらしい。
ドアを開けると、「災害対策本部」は、ぶちぬきの広い部屋だった。
講堂だったらしく、ステージがある。
机やイス、ボードが、ごちゃごちゃと並んでいる。
地震があった場合に災害対策本部になるはずの建物は、ひびが走って危険なため、立ち入れなくなった。
SPEEDIの端末がある部屋にも、入れなくなった(停電したうえ、SPEEDIのデータそのものが、国から送られてこなかったので、結果は同じなのだが)。
本来、万一のときは、災害対策本部にすべく準備していた部屋は、庁舎そのものに、人が立ち入ることができないので、無駄になった。
急遽、隣の自治会館に、本部を設置した。
そんな話を思い出した。
後で、その通りだ、と教えられた。
来意を告げ、しばらくパイプ椅子に座って待っていると、ベージュの作業服を着た、中年男性がやって来た。
電話で約束をした、担当者だった。
頭髪はボサボサ。
充血した目が濁っていて、震災以来、不眠不休の様子である。
会議が終わったばかりで、別の場所に行こう、という。
外の空気を吸いたいのだろう。
大部屋を出て、自動販売機が並ぶ、休憩コーナーで向かい合った。
私たちは、名刺を交換した。
責任者だった。
彼は、自分がする発言は、県災害対策本部の話として書いてもいいが、自分の個人名を、出さないでほしいと言う。
私は了解した。
組織としての、県の行動を知りたいのであって、発言者が目の前にいて、確認できているのなら、その名前にニュース価値はないからだ。
避難の失敗で、国ではなく、より住民に近い県庁が、非難を浴びていることは想像できた。
個人をつらい目に遭わせても、意味がない。
名前は伏せる、と告げると、相手は少し表情が緩んだ。
安心したのか、愕然とするような話が、次々に出てきた。
■半径10キロ圏内ですべて収まるはずだった
──原発災害が起きたとき、住民を避難させるゾーン(EPZ)を決める根拠になる法律、「災害対策基本法」が、国にあります。
それを受けて、福島県は、どのような役割を受け持つのですか。
「『地域防災計画』を作ります。
EPZは、法律では『8~10キロ』ですが、県の計画では、『10キロ内』という想定でした。
原発の立地自治体でない市町村では、浪江町、広野町が入ります。
南相馬市はかすめる程度で、外になります。
今となっては、もう言っても仕方がないのですが……」
──県は、住民をどういう方法で、どこに避難させることにしていたのですか。
「半径10キロのゾーン内で、災害は起き、避難も、そこですることになっていました」
私は、意味が理解できなかった。
「どこに、どういう方法で、避難させることになっていたのですか」と、質問を繰り返した。
担当者の男性は、困ったような顔つきになり、よく見る、福島第一原発を中心に、2つの円が描かれた地図を取り出し、ペンで示した。
「……避難所は、地域内で、手当てすることになっていたんです……何て言ったらいいんだろう……うーん」
そして、地図上の、EPZの赤マルを、ペンでぐるりとなぞって言った。
「つまり、この円内全体が、逃げることを考えていなかったんです」
私は耳を疑った。
つまり、放射性物質が降り注いでも、それは、半径10キロ以内で収まる、と思ったということか?
いや違う。
それよりもっと軽微、もっとおめでたい想定しかしていなかったのだ。
「避難先が、半径10キロ以内でも、住民は被曝しません」という想定なのだ。
唖然としつつ、私は、これまですっきりしなかった疑問が、氷解していくのを感じた。
私は、県や国が、住民を被曝から守るために、
「最悪とまではいかなくても、3.11で起きた現実に近い、かなり現実味のあるシナリオ」くらいは持っていたはずだと、勝手に思い込んでいた。
しかし、それでは、双葉町長が言っていた「避難訓練が、演劇のように、おめでたい内容だった」という話が、矛盾してしまうのだ。
それは訓練だから、住民に負担をかけないよう、そういう軽微な内容になっているのであって、
事故シナリオは、もっと、甚大事態を想定しているはずだ、と思い込んでいた。
しかし、「私が国を過大評価していた」と仮定すると、すべてが氷解する。
政府は、本当に本気で、
「放射性物質が、外部に放出される(=周辺住民が被曝する=避けるためには避難しなくてはいけない)ことなどない」と信じていた、
あるいは、「確率としてはあるかもしれないが、備えをしなくてよいほど低い確率」と考えていたのだ。
本当に、訓練のように、「電源を喪失したが、非常用電源が作動して、事故は無事終息した」が、最悪のシナリオだ、と考えていたのだ。
■県で防災計画を作っても予算がない
──国の事故シナリオが、おめでたい内容でも、福島県が、独自に、避難案を作ればよかったのではないでしょうか(東海村JCO臨界事故では、国に避難の法律がなかったため、茨城県が住民を避難させた)。
「問題は、おカネです」
担当者は、首を横に振った。
「国は、『重点地域はこれでいい』と言っている以上、それ以上のことにはお金の手当て、つまり、予算割り当てをしないんです」
──国から予算をもらわなければならないほど、お金がかかるのでしょうか。
「そうですね。
年数億円かかります。
衛星回線の携帯電話を、各市町村に置いて、県庁との連絡に使います。
そのリース料、放射能測定設備、避難設備、防災設備……。
防災計画を、県が作ったとしても、行動を取る手段がありません。
予算がない。国もくれません」(筆者注:福島県の一般会計予算規模は、平成23年度で、だいたい9000億円である)
──避難訓練の内容を、もっと深刻な事態に備えることは、県にはできなかったのですか。
「災害対策基本法は、年1回、『教育訓練』をするように、と定めています。
その範囲が、EPZです。
『防災指針』で、原子力安全委員会が、『8~10キロ』と決めている。
そこは、(原子力の)専門家が決めることなんです」
──つまり、県が、「もっと深刻なシナリオで訓練しておこう」といじることはできない、ということですか?
「今にして思えば、なんですが……拡大はない、と思い込んでいたのが悪いんです……。
訓練でむりくり(放射性物質を外部に)出すとしてもですね、事故シナリオを考えてもですね、せいぜい数キロ、まあ、3キロから5キロ、という想定だったんです」
■「県が考えるシナリオはあり得ない」
──このシナリオは甘い、地元は不安だ、などと、国に伝える機会はないのですか。
「原子力安全・保安院が、年、数回研修を実施します。
その内容もやはり、10キロを超える汚染を、考えていないんです」
──どんな人が、研修の対象ですか。
「原子力担当者ですね。
自治体の職員、消防職員、警察官。
研修に行くと、国は、『チェルノブイリのような、莫大な汚染があるわけがない』と本気で考えていた。
10キロ以上の汚染拡大なんてない、と本気で信じていたんです」
──そんな馬鹿な。
「全国どこでもそうですよ。聞いてみてください」
担当者は、体育館、集会所、公民館などのリストを、取り出して私に見せた。
国の「おめでたいシナリオ」で、「10キロゾーン内の住民が、同じ10キロゾーン内の施設に避難する」ことを、想定して作成された、避難所のリストだった。
住所、電話番号、収容人数など、約200カ所分が、完璧に記されている。
──これ、まったく役に立たなかった、ということでしょうか。
担当者は、ため息をついた。
そして、消え入りそうな声で言った。
「全然無駄でした」
──研修で、原子力安全・保安院と接触しているなら、その席上で、「こんな甘い想定で、訓練していてはダメだ」と議論しなかったのですか。
「しました。提案したのですが、『ない』と言われました」
──何が『ない』のですか?
「私たちは、『もっと放射能が出てくるんじゃないか』と、何回も指摘した。
でも、保安院は、『絶対ない』『県が考えるシナリオはあり得ない』とはねつけた」
「3~5キロの避難シナリオだって、さんざん粘って、『放射能漏れ』を、無理矢理出させた想定なんです。
それも、『放射性物質は、煙突から管理されながら出てくるから、大丈夫だ』と、保安院は言い張っていた」』
この記事は続くそうです。
ひとつ質問。
この、世にも稀なる『おめでたいシナリオ』は、あの事故以来、どこの地区でも変更済みなん?
ほんで、吉本新喜劇もマッツァオな避難訓練は、あの事故以来、幼稚園の避難訓練程度までには改善されたん?
これはもう、まったくおめでたいやっちゃらやなあ~などと、呆れて苦笑いしていられるようなこととちゃう。
こんな、頭のてっぺんから花咲かせてるような、途方もなく無能で無知で無責任な奴らが、今だに日本の原子力の行方を決めてんねんで!
まともな人らが、なんぼ必死に食らいついてやめさせよう、もっと時間をかけて思案しようと提言しても、
時間が無いやの、大丈夫やの、もう充分検討して安全は保証されたやの、
どう考えてもあかんやん日本!
もういっぺん、でっかい地震と津波に襲われて、どっかにある原発が原爆に豹変して、とことん放射能まみれにならなあかんのかいな!
今回、どないしてでも原発を動かしときたいんなら、その動かした原発がもし事故起こしたら、業務上過失傷害及び致死、将来の傷害と致死の責任取りますと、書類にサインして。
あんな重大事故が起こっても尚、再開させるっていうんやから、そんじゃそこらの決定とはわけがちゃう。
自分の残りの一生かけてやれ。
そうやないのなら引っ込め!
読まんだらよかったと思うぐらいに、原子力保安院のマヌケ具合が書かれてた記事やった。
日本ってほんま、原子力なんか扱える国ちゃうって。
マジであかんて。
それが再稼働やて。
ヘソが笑いこけて湯が沸くわ。
真剣な顔して、世にも滑稽な猿芝居。
気がついてへん人らにはどうかしらんけど、気がついてるわたしらにとったら、アホらして観てられへん。
なんとかしてひっくり返したりたい!
少々汚い手使てでも。例えば、知らんふりして、足をひょいと出して引っ掛けたるみたいな。
そういう技って、なんぼなんでも、市井の人間にはできん。
そら、半端やない、日本中の人間が一気に集まるみたいな、何十万人の市民が一同に集まったらまた別の話。
けど、なんでかしらんけど、日本、事故から一年経っても、一向にそういう気運が高まってけえへん。
これ読んでみて。
今あいつらがゴリ押ししてる、「運転中の原発がある日本」が、どれほど愚かしいことかようわかるから。
ほんで、お願いやから、なんでもええから、「運転中の原発が無い日本」の実現するよう、
自分の得意なこと、簡単にできそうなこと、興味のあることを、なんかひとつでもやり始めてみてぇな!
地震の活動期に突入してしもた日本は、動いてる原発なんかあったらほんまにえらいことになる。
せめて停止して、冷やし始めてたら、それでも危ないけど、少しでも廃炉に繋がっていくはず。
原発をどないして動かそうか、やなくて、原発をどないして止めようか、
原発が無かったら電気が足らん、やなくて、原発が無くてもどうやったら大丈夫になるか、
それをみんなで話し合える日が、一日でも早くやってきますように!
「放射性物質は、煙突から管理されながら出てくるから大丈夫」と言い張った原子力保安院
烏賀陽 弘道
『3.11前、福島第一原発周辺の市町村は、事故時に備えてどんな避難計画を持ち、どんな訓練をしてきたのか、述べてきた。
ここでいったんまとめておこう。
(1) 国は、原発を中心に、8~10キロの円(EPZ=計画的避難地域)の内側しか、避難の想定をしていなかった。
(2) つまり、10キロを超えて、放射性物質が広がることを、予測していなかった。
(3) しかも、避難訓練が行われていたのは、原発から3キロ圏内でしかなかった。
(4) 上記(3)に該当するのは、大熊町(人口約1万1000人)と、双葉町(同6400人)である。
うち、大熊町には、国交省がバス70台を送り込み、12日の、1回目の水素爆発の約30分前に、町民は避難した。
(5) しかし、双葉町には、バスは5台しか来なかった。
町民は、ばらばらに、自家用車で避難した。
最後に残された「双葉厚生病院」の入院患者・職員約300人が、バスに乗り込もうとしていたときに、1回目の水素爆発が起きた。
井戸川克隆町長ほか、多数が、「断熱材のような」降下物を浴びた。
(6) 年1度の訓練も、「訓練というより演劇」(双葉町・井戸川町長)でしかなかった。
東京とのやり取りのセリフや、当日の風向きまで、筋書きが前もって決まっている。
「電源を喪失したが、バックアップ電源が作動して、原子炉は平常に戻る」という設定だった。
午前中に始まって、昼頃には終わる。
(7) 上記(1)に該当する富岡町には、バスなど、避難の交通手段の手配はなかった。
避難先や距離、方向の指示は、国からも県からもなかった。
いったん、20キロ線ぎりぎり外の、川内村に避難したが、そこも危険になり、再度、埼玉県へ避難した。
(8) この「20キロ」は、国が想定していた事故の、最大予想値だった。
それ以上の拡大を、予想していなかった。
(9) 飯舘村と南相馬市に至っては、原発災害の当事者になる、という予想が、村・市にも国や県にもなく、訓練は行われたことがない。
計画もなかった。
(10) 国には「原発から、半径20キロより外側に、放射性物質が飛散する」という想定はなかった。
つまり、20キロラインから外側には、何の備えもなかった。
■原発事故・災害時の対策は国が指揮を執る
ここまでの、JBpressの記事では書いていないことも、原子力防災の、責任の所在をクリアにするために、付け加える。
(11) こうした避難の範囲を決める、根拠になっている法律は、「災害対策基本法」と「原子力災害対策特別措置法」である。
「県条例」ではなく、国会の議決が必要な、「法律」が決めているということは、原発事故・災害のときは、国が指揮をする。
指揮系統を一元化し、国が司令塔になることを意味する。
つまり、責任は、県ではなく国にある。
(12) 「災害対策基本法」は、火山の噴火や洪水など、自然災害も含んでいる。
放射性物質の飛散など、原発災害に特化した内容ではない。
(13) 一方、「原子力災害対策特別措置法」は、1999年に起きた、茨城県東海村の、JCO臨界事故を契機に作られた。
逆に言えば、「臨界反応」(核分裂反応のこと)が、防護壁のないバケツの中で起き、2人が死ぬような深刻な事故が起きるまで、
日本には、原子力災害を想定した、法律すらなかった。
(14) 「どの範囲の住民を、避難させるか」を決めるのは、法律の下の、施行規則(細目)である、「防災指針」である。
この防災指針に、「半径8~10キロ」という「円形の避難の範囲」と、「キロ数」が出てくる。
この「円形」と「数字」を考えるのは、原子力安全委員会の仕事だ。
(15) チェルノブイリ事故の経験から、原子力発電所で事故が起きれば、「円形の避難」は、住民の被曝を防ぐためには無益、と分かっていたのに、改善されなかった。
■不眠不休の様子で現れた災害対策担当者
一つひとつ、市町村や住民の取材を積み重ねて、全体像を組み立てながら、福島県庁に取材に行った。
原発周辺の、市町村の事情が分かってきたので、その上の自治体である福島県は、住民の避難のために、どういう動きをしたのか、聞きたかったのだ。
2012年1月、上旬のことだ。
福島県庁に電話をすると、災害対策本部が取材に対応している、と告げられた。
つないでもらった。
担当者に、取材の趣旨を説明すると、一日中詰めているから、夕方5時に来てくれ、とすんなり言う。
行政のミスの話なので、取材拒否されるか、と思ったが、まったくそんな気配はない。
日本の非都市部では、どこでもそうだが、「県庁」は、大名の城のような威容がある。
福島県庁もそうだ。
福島市という、穏やかな街では、明かりが遅くまでこうこうと灯っている、数少ないビルだ。
1月の午後5時は、もう真っ暗だった。
暗い構内を、凍った雪をざくざくと踏みしめながら行ってみたら、本庁舎に、災害対策本部はないという。
守衛さんが指さしたのは、通りの向かい側にある、低層ビルだった。
入り口横に、「福島県自治会館」、と札があった。
階段を上がる。
ホコリっぽい廊下に、事務机やパイプ椅子が乱雑に並び、記者やカメラクルーがたむろしていた。
廊下が、急ごしらえの「記者クラブ」「会見場」になったらしい。
ドアを開けると、「災害対策本部」は、ぶちぬきの広い部屋だった。
講堂だったらしく、ステージがある。
机やイス、ボードが、ごちゃごちゃと並んでいる。
地震があった場合に災害対策本部になるはずの建物は、ひびが走って危険なため、立ち入れなくなった。
SPEEDIの端末がある部屋にも、入れなくなった(停電したうえ、SPEEDIのデータそのものが、国から送られてこなかったので、結果は同じなのだが)。
本来、万一のときは、災害対策本部にすべく準備していた部屋は、庁舎そのものに、人が立ち入ることができないので、無駄になった。
急遽、隣の自治会館に、本部を設置した。
そんな話を思い出した。
後で、その通りだ、と教えられた。
来意を告げ、しばらくパイプ椅子に座って待っていると、ベージュの作業服を着た、中年男性がやって来た。
電話で約束をした、担当者だった。
頭髪はボサボサ。
充血した目が濁っていて、震災以来、不眠不休の様子である。
会議が終わったばかりで、別の場所に行こう、という。
外の空気を吸いたいのだろう。
大部屋を出て、自動販売機が並ぶ、休憩コーナーで向かい合った。
私たちは、名刺を交換した。
責任者だった。
彼は、自分がする発言は、県災害対策本部の話として書いてもいいが、自分の個人名を、出さないでほしいと言う。
私は了解した。
組織としての、県の行動を知りたいのであって、発言者が目の前にいて、確認できているのなら、その名前にニュース価値はないからだ。
避難の失敗で、国ではなく、より住民に近い県庁が、非難を浴びていることは想像できた。
個人をつらい目に遭わせても、意味がない。
名前は伏せる、と告げると、相手は少し表情が緩んだ。
安心したのか、愕然とするような話が、次々に出てきた。
■半径10キロ圏内ですべて収まるはずだった
──原発災害が起きたとき、住民を避難させるゾーン(EPZ)を決める根拠になる法律、「災害対策基本法」が、国にあります。
それを受けて、福島県は、どのような役割を受け持つのですか。
「『地域防災計画』を作ります。
EPZは、法律では『8~10キロ』ですが、県の計画では、『10キロ内』という想定でした。
原発の立地自治体でない市町村では、浪江町、広野町が入ります。
南相馬市はかすめる程度で、外になります。
今となっては、もう言っても仕方がないのですが……」
──県は、住民をどういう方法で、どこに避難させることにしていたのですか。
「半径10キロのゾーン内で、災害は起き、避難も、そこですることになっていました」
私は、意味が理解できなかった。
「どこに、どういう方法で、避難させることになっていたのですか」と、質問を繰り返した。
担当者の男性は、困ったような顔つきになり、よく見る、福島第一原発を中心に、2つの円が描かれた地図を取り出し、ペンで示した。
「……避難所は、地域内で、手当てすることになっていたんです……何て言ったらいいんだろう……うーん」
そして、地図上の、EPZの赤マルを、ペンでぐるりとなぞって言った。
「つまり、この円内全体が、逃げることを考えていなかったんです」
私は耳を疑った。
つまり、放射性物質が降り注いでも、それは、半径10キロ以内で収まる、と思ったということか?
いや違う。
それよりもっと軽微、もっとおめでたい想定しかしていなかったのだ。
「避難先が、半径10キロ以内でも、住民は被曝しません」という想定なのだ。
唖然としつつ、私は、これまですっきりしなかった疑問が、氷解していくのを感じた。
私は、県や国が、住民を被曝から守るために、
「最悪とまではいかなくても、3.11で起きた現実に近い、かなり現実味のあるシナリオ」くらいは持っていたはずだと、勝手に思い込んでいた。
しかし、それでは、双葉町長が言っていた「避難訓練が、演劇のように、おめでたい内容だった」という話が、矛盾してしまうのだ。
それは訓練だから、住民に負担をかけないよう、そういう軽微な内容になっているのであって、
事故シナリオは、もっと、甚大事態を想定しているはずだ、と思い込んでいた。
しかし、「私が国を過大評価していた」と仮定すると、すべてが氷解する。
政府は、本当に本気で、
「放射性物質が、外部に放出される(=周辺住民が被曝する=避けるためには避難しなくてはいけない)ことなどない」と信じていた、
あるいは、「確率としてはあるかもしれないが、備えをしなくてよいほど低い確率」と考えていたのだ。
本当に、訓練のように、「電源を喪失したが、非常用電源が作動して、事故は無事終息した」が、最悪のシナリオだ、と考えていたのだ。
■県で防災計画を作っても予算がない
──国の事故シナリオが、おめでたい内容でも、福島県が、独自に、避難案を作ればよかったのではないでしょうか(東海村JCO臨界事故では、国に避難の法律がなかったため、茨城県が住民を避難させた)。
「問題は、おカネです」
担当者は、首を横に振った。
「国は、『重点地域はこれでいい』と言っている以上、それ以上のことにはお金の手当て、つまり、予算割り当てをしないんです」
──国から予算をもらわなければならないほど、お金がかかるのでしょうか。
「そうですね。
年数億円かかります。
衛星回線の携帯電話を、各市町村に置いて、県庁との連絡に使います。
そのリース料、放射能測定設備、避難設備、防災設備……。
防災計画を、県が作ったとしても、行動を取る手段がありません。
予算がない。国もくれません」(筆者注:福島県の一般会計予算規模は、平成23年度で、だいたい9000億円である)
──避難訓練の内容を、もっと深刻な事態に備えることは、県にはできなかったのですか。
「災害対策基本法は、年1回、『教育訓練』をするように、と定めています。
その範囲が、EPZです。
『防災指針』で、原子力安全委員会が、『8~10キロ』と決めている。
そこは、(原子力の)専門家が決めることなんです」
──つまり、県が、「もっと深刻なシナリオで訓練しておこう」といじることはできない、ということですか?
「今にして思えば、なんですが……拡大はない、と思い込んでいたのが悪いんです……。
訓練でむりくり(放射性物質を外部に)出すとしてもですね、事故シナリオを考えてもですね、せいぜい数キロ、まあ、3キロから5キロ、という想定だったんです」
■「県が考えるシナリオはあり得ない」
──このシナリオは甘い、地元は不安だ、などと、国に伝える機会はないのですか。
「原子力安全・保安院が、年、数回研修を実施します。
その内容もやはり、10キロを超える汚染を、考えていないんです」
──どんな人が、研修の対象ですか。
「原子力担当者ですね。
自治体の職員、消防職員、警察官。
研修に行くと、国は、『チェルノブイリのような、莫大な汚染があるわけがない』と本気で考えていた。
10キロ以上の汚染拡大なんてない、と本気で信じていたんです」
──そんな馬鹿な。
「全国どこでもそうですよ。聞いてみてください」
担当者は、体育館、集会所、公民館などのリストを、取り出して私に見せた。
国の「おめでたいシナリオ」で、「10キロゾーン内の住民が、同じ10キロゾーン内の施設に避難する」ことを、想定して作成された、避難所のリストだった。
住所、電話番号、収容人数など、約200カ所分が、完璧に記されている。
──これ、まったく役に立たなかった、ということでしょうか。
担当者は、ため息をついた。
そして、消え入りそうな声で言った。
「全然無駄でした」
──研修で、原子力安全・保安院と接触しているなら、その席上で、「こんな甘い想定で、訓練していてはダメだ」と議論しなかったのですか。
「しました。提案したのですが、『ない』と言われました」
──何が『ない』のですか?
「私たちは、『もっと放射能が出てくるんじゃないか』と、何回も指摘した。
でも、保安院は、『絶対ない』『県が考えるシナリオはあり得ない』とはねつけた」
「3~5キロの避難シナリオだって、さんざん粘って、『放射能漏れ』を、無理矢理出させた想定なんです。
それも、『放射性物質は、煙突から管理されながら出てくるから、大丈夫だ』と、保安院は言い張っていた」』
この記事は続くそうです。
ひとつ質問。
この、世にも稀なる『おめでたいシナリオ』は、あの事故以来、どこの地区でも変更済みなん?
ほんで、吉本新喜劇もマッツァオな避難訓練は、あの事故以来、幼稚園の避難訓練程度までには改善されたん?
これはもう、まったくおめでたいやっちゃらやなあ~などと、呆れて苦笑いしていられるようなこととちゃう。
こんな、頭のてっぺんから花咲かせてるような、途方もなく無能で無知で無責任な奴らが、今だに日本の原子力の行方を決めてんねんで!
まともな人らが、なんぼ必死に食らいついてやめさせよう、もっと時間をかけて思案しようと提言しても、
時間が無いやの、大丈夫やの、もう充分検討して安全は保証されたやの、
どう考えてもあかんやん日本!
もういっぺん、でっかい地震と津波に襲われて、どっかにある原発が原爆に豹変して、とことん放射能まみれにならなあかんのかいな!
今回、どないしてでも原発を動かしときたいんなら、その動かした原発がもし事故起こしたら、業務上過失傷害及び致死、将来の傷害と致死の責任取りますと、書類にサインして。
あんな重大事故が起こっても尚、再開させるっていうんやから、そんじゃそこらの決定とはわけがちゃう。
自分の残りの一生かけてやれ。
そうやないのなら引っ込め!