ハリケーン『サンディ』が通過後、停電の被害を受けたままの2週間、我が家には、友人知人、それから生徒達の家族が出入りした。
それもこれも、会場の教会と我が家が停電の被害を免れたからできたんであって、そやなかったら、今年の発表会は中止、の決断をせなあかんとこやった。
みんな、環境を少しでも整えたろうという家族の協力もあって、ほんまによう頑張ってくれた。
停電が続き、暗く寒い中、音の出ない電子ピアノで、カタカタとキーを叩きながら練習をした子もいた。
家族それぞれが別々の、友人の家に分散したり、ピアノのある家にお願いして、練習をした子もいた。
今年は、生徒ひとりひとりの名前が刻まれた、『がんばったで賞』のトロフィーをあげることにした。
近所でピアノを教えているSちゃんが、毎年ピアノの発表会でトロフィーをあげていて、それが生徒達には大好評やと聞いて、わたしも真似しようと思た。
そんなこんなの、いつも以上にバタバタと落ち着かん、心配事が山積みの真っ最中に、「うちの娘の曲を変えて欲しい」と言い出した夫婦がいた。
それが発表会の8日前のこと。
その家族は、そのレッスンの前の2週間、旅行で町を離れてた。
おまけに彼女は、9月からピアノを習い始めたホヤホヤの初心者でまだ小さい。
なので今回は、とりあえず、安心して自信を持って弾けるものを2曲(ソロと連弾用)決めた。
彼女だけではなく、今年の夏の終わりに生徒になった初心者の子達は皆、無理せんと楽しんで弾ける曲にした。
「どうして変えたいと思うんですか?」
「あの曲は易し過ぎるから」とおかあさん。
「せめて、もうちょっと長い時間弾かせて欲しい。例えば繰り返すとか、続きの部分を弾き足すとか」とおとうさん。
確かにその曲は、初心者用に簡単に編曲されていて、テーマの部分だけで終る。
けども、それを繰り返しても全然意味が無いし、続きの部分を1週間で足せるわけもない。
ところが、事情を説明しても、音楽上の意味を話しても、憮然とした表情でこちらを見るふたり。
しょうがないから放っといて、わたしは彼らの娘を教えた。
「とにかく、うちの娘はもっと弾けるはずなので、新しい本を買い揃えますから」
そう言い残して帰って行った夫婦は、次の週、発表会の前日に、5冊ほどの新しい本を抱えてやってきた。
「中国の人には、躊躇や遠慮をせずに、言わなければならないことはきっぱりと言う。その方が良い関係を持てる」
旦那にその夫婦の話をした時、そう言われた。
旦那もわたしも、◯国の人は、という色眼鏡をかけず、先入観を持たず、話をしたいと思てる。
けども、関係を作るという段階にあっては、その国独特の風習、文化が、歴然と影響してくることは事実やということも知ってる。
わたしがいくら、ここに長く暮らしてたとしても、わたしのアイデンティティは日本にある、という事実のように。
そやからできるだけ、完璧ではないにしても、わたしの生徒達の親御さんの出身国(中国、台湾、韓国、ペルー、イギリス、フランス、ドイツ、アイルランド、ベネズエラ、スペイン)のことを、彼らを通じて学ばせてもらおうと思てる。
ほんで、どこの国に限らず、びっくりするようなことを言うてくる人はいる。
日本でもどこでも、それは世界共通のこと。
なので、今回はたまたまそれが、中国の人達やった、ということ。
そやからこの話は、中国の人は……云々の話とは違う。
たまたまその夫婦が中国人やったというだけのこと。
で、発表会直後の月曜日から、またまた平常のレッスンが始まった。
みんな、あれだけの災難の中、えらいしんどい思いして頑張ったんやから、ちょっと休憩したいんちゃうかと思たけど、誰ひとり休もうとせんと、新しい曲に取り組み始めた。
こっちの方がへたばりかけながら、ようやく週の最後の土曜日のレッスンを迎え、一人目の子を教えた後、例の夫婦の子が、12分遅れてやって来た。
わたしのレッスンは、1分の休みもなく、次々とレッスンができるように組んである。
そやから、その子は、12分遅れたら、その分を取り返すことができひん。
それは、前々からきちっと伝えてあることやし、毎週、30分後には、次の子がやって来る。
「まうみ、わたしはちょっと外に用があるから、いつ迎えにきたらいいのかしら?」
「彼女のレッスンは11時までだから。待たせたくなかったら11時に」
「え?そんな、あと15分ちょっとしかないんだけど……」
「そうですね」
「そうですねって……30分のレッスンじゃなかったかしら?」
「そうだけれども、次の子が来る11時までしか教えられないから」
「じゃあ、今日のレッスンはいくら?」
聞かれた意味がピンとこなくて、30秒ほど考えた。
もしかして彼女は、レッスン代を値切ろうとしてるのか?
それに気がついて驚いて、けどもこんなアホらしい会話をしてる間にも時間はどんどん過ぎていってるわけやから、急いで生徒に椅子に座らせて教え始めた。
「レッスン代は変わりません。あなたが遅れてきたのであって、だからといって時間を延長することはできません。この後3人の生徒が来るのだから」
ついつい大きな声になってしもた。
ピアノ教師生活37年。レッスン代を値切られたの巻
それもこれも、会場の教会と我が家が停電の被害を免れたからできたんであって、そやなかったら、今年の発表会は中止、の決断をせなあかんとこやった。
みんな、環境を少しでも整えたろうという家族の協力もあって、ほんまによう頑張ってくれた。
停電が続き、暗く寒い中、音の出ない電子ピアノで、カタカタとキーを叩きながら練習をした子もいた。
家族それぞれが別々の、友人の家に分散したり、ピアノのある家にお願いして、練習をした子もいた。
今年は、生徒ひとりひとりの名前が刻まれた、『がんばったで賞』のトロフィーをあげることにした。
近所でピアノを教えているSちゃんが、毎年ピアノの発表会でトロフィーをあげていて、それが生徒達には大好評やと聞いて、わたしも真似しようと思た。
そんなこんなの、いつも以上にバタバタと落ち着かん、心配事が山積みの真っ最中に、「うちの娘の曲を変えて欲しい」と言い出した夫婦がいた。
それが発表会の8日前のこと。
その家族は、そのレッスンの前の2週間、旅行で町を離れてた。
おまけに彼女は、9月からピアノを習い始めたホヤホヤの初心者でまだ小さい。
なので今回は、とりあえず、安心して自信を持って弾けるものを2曲(ソロと連弾用)決めた。
彼女だけではなく、今年の夏の終わりに生徒になった初心者の子達は皆、無理せんと楽しんで弾ける曲にした。
「どうして変えたいと思うんですか?」
「あの曲は易し過ぎるから」とおかあさん。
「せめて、もうちょっと長い時間弾かせて欲しい。例えば繰り返すとか、続きの部分を弾き足すとか」とおとうさん。
確かにその曲は、初心者用に簡単に編曲されていて、テーマの部分だけで終る。
けども、それを繰り返しても全然意味が無いし、続きの部分を1週間で足せるわけもない。
ところが、事情を説明しても、音楽上の意味を話しても、憮然とした表情でこちらを見るふたり。
しょうがないから放っといて、わたしは彼らの娘を教えた。
「とにかく、うちの娘はもっと弾けるはずなので、新しい本を買い揃えますから」
そう言い残して帰って行った夫婦は、次の週、発表会の前日に、5冊ほどの新しい本を抱えてやってきた。
「中国の人には、躊躇や遠慮をせずに、言わなければならないことはきっぱりと言う。その方が良い関係を持てる」
旦那にその夫婦の話をした時、そう言われた。
旦那もわたしも、◯国の人は、という色眼鏡をかけず、先入観を持たず、話をしたいと思てる。
けども、関係を作るという段階にあっては、その国独特の風習、文化が、歴然と影響してくることは事実やということも知ってる。
わたしがいくら、ここに長く暮らしてたとしても、わたしのアイデンティティは日本にある、という事実のように。
そやからできるだけ、完璧ではないにしても、わたしの生徒達の親御さんの出身国(中国、台湾、韓国、ペルー、イギリス、フランス、ドイツ、アイルランド、ベネズエラ、スペイン)のことを、彼らを通じて学ばせてもらおうと思てる。
ほんで、どこの国に限らず、びっくりするようなことを言うてくる人はいる。
日本でもどこでも、それは世界共通のこと。
なので、今回はたまたまそれが、中国の人達やった、ということ。
そやからこの話は、中国の人は……云々の話とは違う。
たまたまその夫婦が中国人やったというだけのこと。
で、発表会直後の月曜日から、またまた平常のレッスンが始まった。
みんな、あれだけの災難の中、えらいしんどい思いして頑張ったんやから、ちょっと休憩したいんちゃうかと思たけど、誰ひとり休もうとせんと、新しい曲に取り組み始めた。
こっちの方がへたばりかけながら、ようやく週の最後の土曜日のレッスンを迎え、一人目の子を教えた後、例の夫婦の子が、12分遅れてやって来た。
わたしのレッスンは、1分の休みもなく、次々とレッスンができるように組んである。
そやから、その子は、12分遅れたら、その分を取り返すことができひん。
それは、前々からきちっと伝えてあることやし、毎週、30分後には、次の子がやって来る。
「まうみ、わたしはちょっと外に用があるから、いつ迎えにきたらいいのかしら?」
「彼女のレッスンは11時までだから。待たせたくなかったら11時に」
「え?そんな、あと15分ちょっとしかないんだけど……」
「そうですね」
「そうですねって……30分のレッスンじゃなかったかしら?」
「そうだけれども、次の子が来る11時までしか教えられないから」
「じゃあ、今日のレッスンはいくら?」
聞かれた意味がピンとこなくて、30秒ほど考えた。
もしかして彼女は、レッスン代を値切ろうとしてるのか?
それに気がついて驚いて、けどもこんなアホらしい会話をしてる間にも時間はどんどん過ぎていってるわけやから、急いで生徒に椅子に座らせて教え始めた。
「レッスン代は変わりません。あなたが遅れてきたのであって、だからといって時間を延長することはできません。この後3人の生徒が来るのだから」
ついつい大きな声になってしもた。
ピアノ教師生活37年。レッスン代を値切られたの巻