ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

今日のレッスンはいくら?

2012年11月18日 | 音楽とわたし
ハリケーン『サンディ』が通過後、停電の被害を受けたままの2週間、我が家には、友人知人、それから生徒達の家族が出入りした。
それもこれも、会場の教会と我が家が停電の被害を免れたからできたんであって、そやなかったら、今年の発表会は中止、の決断をせなあかんとこやった。

みんな、環境を少しでも整えたろうという家族の協力もあって、ほんまによう頑張ってくれた。
停電が続き、暗く寒い中、音の出ない電子ピアノで、カタカタとキーを叩きながら練習をした子もいた。
家族それぞれが別々の、友人の家に分散したり、ピアノのある家にお願いして、練習をした子もいた。 

今年は、生徒ひとりひとりの名前が刻まれた、『がんばったで賞』のトロフィーをあげることにした。
近所でピアノを教えているSちゃんが、毎年ピアノの発表会でトロフィーをあげていて、それが生徒達には大好評やと聞いて、わたしも真似しようと思た。
そんなこんなの、いつも以上にバタバタと落ち着かん、心配事が山積みの真っ最中に、「うちの娘の曲を変えて欲しい」と言い出した夫婦がいた。
それが発表会の8日前のこと。
その家族は、そのレッスンの前の2週間、旅行で町を離れてた。
おまけに彼女は、9月からピアノを習い始めたホヤホヤの初心者でまだ小さい。
なので今回は、とりあえず、安心して自信を持って弾けるものを2曲(ソロと連弾用)決めた。
彼女だけではなく、今年の夏の終わりに生徒になった初心者の子達は皆、無理せんと楽しんで弾ける曲にした。

「どうして変えたいと思うんですか?」
「あの曲は易し過ぎるから」とおかあさん。
「せめて、もうちょっと長い時間弾かせて欲しい。例えば繰り返すとか、続きの部分を弾き足すとか」とおとうさん。

確かにその曲は、初心者用に簡単に編曲されていて、テーマの部分だけで終る。
けども、それを繰り返しても全然意味が無いし、続きの部分を1週間で足せるわけもない。
ところが、事情を説明しても、音楽上の意味を話しても、憮然とした表情でこちらを見るふたり。
しょうがないから放っといて、わたしは彼らの娘を教えた。

「とにかく、うちの娘はもっと弾けるはずなので、新しい本を買い揃えますから」
そう言い残して帰って行った夫婦は、次の週、発表会の前日に、5冊ほどの新しい本を抱えてやってきた。


「中国の人には、躊躇や遠慮をせずに、言わなければならないことはきっぱりと言う。その方が良い関係を持てる」
旦那にその夫婦の話をした時、そう言われた。

旦那もわたしも、◯国の人は、という色眼鏡をかけず、先入観を持たず、話をしたいと思てる。
けども、関係を作るという段階にあっては、その国独特の風習、文化が、歴然と影響してくることは事実やということも知ってる。
わたしがいくら、ここに長く暮らしてたとしても、わたしのアイデンティティは日本にある、という事実のように。
そやからできるだけ、完璧ではないにしても、わたしの生徒達の親御さんの出身国(中国、台湾、韓国、ペルー、イギリス、フランス、ドイツ、アイルランド、ベネズエラ、スペイン)のことを、彼らを通じて学ばせてもらおうと思てる。
ほんで、どこの国に限らず、びっくりするようなことを言うてくる人はいる。
日本でもどこでも、それは世界共通のこと。
なので、今回はたまたまそれが、中国の人達やった、ということ。
そやからこの話は、中国の人は……云々の話とは違う。
たまたまその夫婦が中国人やったというだけのこと。


で、発表会直後の月曜日から、またまた平常のレッスンが始まった。
みんな、あれだけの災難の中、えらいしんどい思いして頑張ったんやから、ちょっと休憩したいんちゃうかと思たけど、誰ひとり休もうとせんと、新しい曲に取り組み始めた。
こっちの方がへたばりかけながら、ようやく週の最後の土曜日のレッスンを迎え、一人目の子を教えた後、例の夫婦の子が、12分遅れてやって来た。
わたしのレッスンは、1分の休みもなく、次々とレッスンができるように組んである。
そやから、その子は、12分遅れたら、その分を取り返すことができひん。
それは、前々からきちっと伝えてあることやし、毎週、30分後には、次の子がやって来る。

「まうみ、わたしはちょっと外に用があるから、いつ迎えにきたらいいのかしら?」
「彼女のレッスンは11時までだから。待たせたくなかったら11時に」
「え?そんな、あと15分ちょっとしかないんだけど……」
「そうですね」
「そうですねって……30分のレッスンじゃなかったかしら?」
「そうだけれども、次の子が来る11時までしか教えられないから」
「じゃあ、今日のレッスンはいくら?」

聞かれた意味がピンとこなくて、30秒ほど考えた。
もしかして彼女は、レッスン代を値切ろうとしてるのか?
それに気がついて驚いて、けどもこんなアホらしい会話をしてる間にも時間はどんどん過ぎていってるわけやから、急いで生徒に椅子に座らせて教え始めた。

「レッスン代は変わりません。あなたが遅れてきたのであって、だからといって時間を延長することはできません。この後3人の生徒が来るのだから」

ついつい大きな声になってしもた。
ピアノ教師生活37年。レッスン代を値切られたの巻
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核兵器廃絶が無理やと思てる人間は、日本と地球の敵!とっとと消え去れ!

2012年11月18日 | 日本とわたし
橋下氏の、広島での『核兵器廃絶無理』発言
という記事を読んだ。

■広島知事の批判に、「訴えるだけで変わらない」

核廃絶だけを叫んでいても、何も動きませんよ
『日本維新の会』の代表を務める橋下徹大阪市長は14日、改めて、核兵器廃絶に向けた行動に背を向ける持論を展開した。
市役所内で、記者団に語った。
橋下氏は10日、遊説先の広島市で、
「核兵器廃絶は、いまの国際政治では『無理』『日本は平和ボケ』などと暴言を吐き、被爆者や心ある人たちから、強い抗議を受けていた。

ところが、14日の囲み取材でも、何の反省もなく、広島県の湯崎英彦知事が、「認識を改めてほしい」と批判していることについて、
日本の一地域からペーパーをまとめるだけでは、世界は動きませんよ
訴えるだけでは何も変わりません。戦後の歴史をみてもわかるじゃないですか」と開き直った。

ツィッターでは、「核廃絶のプレイヤーは、核保有国=安保理常任理事国」と決めつけ、
「非常任理事国ですらない日本が『核廃絶すると言っても、誰ができるのか』」などと語っている


被爆地からの発信や、長年にわたる日本の原水爆禁止運動も大きな力となり、
34カ国の政府が共同で、核兵器禁止・廃絶の努力を強めるよう、世界各国に呼びかけるなど、核兵器廃絶に真剣にとりくむ国際世論と動向を、「直視」しようとしない暴論だ。


橋下・大阪市長:「核廃絶無理」発言 広島市長が苦言
【毎日新聞】2012年11月15日

遊説先の広島市で10日、核兵器の廃絶を「現実には無理」などと発言した、日本維新の会代表の橋下徹大阪市長に対し、
広島市の松井一実市長は、14日の定例記者会見で、「被爆の実相を十分理解していない人の発言」と苦言を呈した。
広島を訪れて、実相を理解してもらうよう、橋下氏に求めるという。

松井市長は、発言を、「いろいろな考え方の一つ」としながらも、「被爆者の話を聞いていただければ、おのずと分かるのでは」と述べた。
政令指定都市の市長が集まる会合などで、橋下氏と面会した際に、広島訪問を求める意向だ。
大阪市は、核兵器廃絶を求める国際NGO「平和市長会議」(会長、松井市長)に加盟している

一方、橋下氏は14日、「核廃絶を訴えても世界には響かない」と、改めて持論を展開した。
市役所で記者団に「核廃絶は理想だが、政治は現実に即して、戦略を考えないといけない」と主張。
日本が、国連安全保障理事会の常任理事国ではない現状を指摘し、「一地域でペーパーをまとめるだけでは世界は動かない」と、湯崎英彦広島県知事らに反論した。【中里顕】
コメント (2)
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『私たちを侮辱するな!』by 東京新聞社説

2012年11月18日 | 日本とわたし
週のはじめに考える 私たちを侮辱するな
【東京新聞】2012年11月18日

見出しの「侮辱」とは、極めて強い言葉です。
ひどい扱いを受けた者の発する言葉です。
政治にせよ、原発にせよ、私たち国民は、侮辱されてはいないか。
 
手元に一通の手紙があります。
学校で国語を担当されていた元先生からです。
この夏、東京であった脱原発の市民集会に、出かけた時のことが記されていました。
 
こんな内容です。
 
『…何人もの演説の中、一番心に響いたのは、作家の大江健三郎さんが述べた「私たちは侮辱の中に生きている」という言葉でした。

◆大江さんのスピーチ

その言葉は、大江さんも紹介していたそうですが、福井生まれの昭和の作家、中野重治の短編小説にある文句です。
中野はプロレタリア文学で知られ、大戦前の思想統制では、自身も激しい国家弾圧に遭っています。
 
その短編小説は、昭和3(1928)年、全日本無産者芸術連盟(略称ナップ)の機関誌に掲載された『春さきの風』。
検挙された同志家族を、モデルにしています。
 
思想をとがめられた検束で、父とともに、母と赤ん坊も警察署に連行される。
その赤ちゃんの具合が悪くなる。
ろくな手当ても受けられずに、亡くなってしまう。
母親はもちろん、医師を頼みましたが、無視された。
理由のない平手打ちを受けるばかり。
 
小説は、それらの動きを、きびきびとした文体で描き、最後は、母親が留置場の夫に、手紙を書く場面で締めくくられます。
 
母親は、砂を巻く春風の音の中、死んだ赤ん坊は、ケシ粒のように小さいと思う。
そしてこう書く。
「わたしらは侮辱のなかに生きています」(「中野重治全集第一巻」筑摩書房より)
 
中野重治が、実体験として記した、侮辱という言葉、
また、大江さんが、原発に反対する集会で引いた、侮辱という言葉、
その意味は、もうお分かりでしょう。

◆デモクラシーの軽視
 
権力が民衆を、国家が国民を、ほとんど人間扱いしていないのではないか、という表現にちがいありません。
つまり、倫理違反なのです。
 
先日、東京電力は、原発事故時のテレビ会議記録を、新たに公開した。
二回目の公開です。
その中に、自家用車のバッテリーを集める、というやりとりがありました。
原子炉の圧力が上昇し、蒸気逃がし弁を動かすため、バッテリーをつないで電源を確保しようというのです。
しかも、足りなくて、買うお金にも困る。
備えも何もなかったわけですから、社員らの苦労も分かります。
しかし、これを知った福島の被災者らは、どう思ったでしょう。


東電も国も、その程度の取り組みと真剣さしかなかったのか。
住民の守り方とは、そのぐらいのものだったのか。

言い換えれば、それは、侮辱に等しい
でしょう。
 
侮辱は継続しています。
しかもデモクラシー、民主主義の軽視という形で。
 
原発で言えば、大飯の再稼働は、ろくな検証もなく、電気が足りなくなりそうだという理由だけで決まりました。
国民の安全がかかわる問題なのに、これほど非民主的な決定は、前例がないでしょう。
 
沖縄へのオスプレイ配備も、米兵事件に対するその場しのぎの対応も、侮辱にほかなりません。
国家が、人間を軽視しているのです。
 
原発から離れれば、一票の格差を放置してきた国会とは、デモクラシーの不在も同然です。
立法府だけではなく、最高裁が「違憲状態」と判示しつつ、違憲であると踏み込めなかったことは、憲法の番人としての責務を果たしえたか。疑問は残ります。

 
今の政治には、ほとほとあきれたと、多くの人が口にします。
それはおそらくは、デモクラシーの軽視に起因していることで、国民は、自分の権利の蹂躙(じゅうりん)を、痛々しく感じているのです。
政治に侮辱されている、と言ってもいいでしょう。
 
その状況を変えるには、何より、変えようという意思を各人がもつことです。
デモや集会は、その表れの一つであり、選挙こそは、その重要な手段です。


◆戦うべき相手はだれ
 
冒頭の国語の先生の手紙は今、自分の抱える恐ろしさを、こんなふうに表していました。
 
…(中野重治の)戦前と違って、現代は、戦うべき相手の姿が明確に浮かび上がらない分、かえって恐ろしさを感じます…。
 
戦うべき相手は広範で、しかも悪賢く、しっぽすらつかませないかもしれません。
政財官などにまたがる、もやもやとした霧のようなものかもしれない。
 
しかし、こう思って、その相手を見つけようではありませんか。
一体だれが、私を侮辱しているのか、と。
私たち自身の中に、それは忍び込んでいないか、と。
投票の前に、見つけようではありませんか。
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