ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

音楽って素晴らしい!

2010年06月18日 | 音楽とわたし
昨日の窓拭きから始まったちょこちょこ掃除に拍車がかかり、あれもこれも、あそこもここも、なんだか止まらなくなってしまった。
今日は朝からひとり、生徒を教え、電車に飛び乗り、お昼の12時前に、マンハッタンのミドルタウンに行った。

木下航志(『きした こうし、1989年5月8日生まれ』は全盲の日本のミュージシャン。鹿児島県薩摩川内市出身。幼い頃に未熟児網膜症で視力を失った。“和製スティーヴィー・ワンダー”とも呼ばれる)くんのバックコーラスでゴスペルを歌う、という企画に参加する機会を得た。


http://kishitakohshi.laff.jp/blog/ ←航志くんのオフィシャルブログです。

航志くんはとても小柄な21才の青年。手だって小学生みたいにちっちゃい。
でも、彼の奏でるピアノの音には、人の魂をグッと掴んで離さない、力強さと繊細さと悲しさと強さと絶望と希望が入り交じっている。
彼は今回、ここ東海岸のゴスペルの祭典に招待されて、鹿児島からやってきた。
ダニエル・イーソンは、とても才能豊かなゴスペルの指導者。彼が関わったゴスペルの合唱団は、のきなみコンテストで優勝している。
今回、航志くんが歌う曲は、ダニエルが作詞作曲をしたもので、詳しいことは知らないけれど、わたしはきっとこの曲は航志くんのために書かれたものだと思う。
航志くんの左横に座っているのはNAOちゃん。彼女もすごい。京都から来てる子で、何千人もの中から日本人として初めてソロ部門のファイナルに残った子。
彼女と航志くんの取材のために、読売テレビ関西から来ているカメラクルーさん達が端っこに写っています。


自分の歌うパートを家で練習していた時、Don't give up! という歌詞を、ちょっとなんかキャッチーだな、などと思っていた自分を恥じた。
航志くんは、わたしの想像も及ばないほどの数の辛い運命を受け止め、受け入れ、それらと共に折り合いをつけて生きていかなくてはならなかった。
苦しいこと、辛いこと、どうしようもないほどの怒りを感じること。
『僕にはいろんなことがあった。運命は時に、僕を絶望の淵に押しやった。でも僕はあきらめない。やけにならない』


彼のピアノの音に乗せて、その言葉がメロディに乗ってわたしの耳に流れ込んできた時、わたしは心の底から彼に詫びた。
そして心の底の底から感動して、なんとか彼のステージを盛り上げようと、そこに居るすべてのコーラスメンバーが胸に誓ったに違いない。
コーラスメンバー25人のうちの15人が日本から組、10人がニューヨーク組。全員揃っての練習はこの日が最初で最後。
リハーサルはどんどん熱気がこもり、歌っている間に打つ手拍子で手はこんなに真っ赤っか。これは師匠の手。左上の方に打ち身でできるような青あざが見える。


明日の最終選考を前に、ダニエルと航志くんとともに最後の調整をするNAOちゃん。


ビルの外に出ると、それはそれは爽やかな夏日だった。


A子はこの夏最後のレッスンを受けに、わたしと師匠は、A子のアパートの近くにある、めっちゃ美味しいパンやスウィーツを売っている店でお昼ご飯を食べることにした。
師匠は中近東の前菜三種と超美味しそうな5種類の違うパンのスライス、わたしはレンズ豆のスープとカレーチキンサラダ。どれもこれも、期待を裏切らない嬉しいお店だった。
A子のアパートに彼女より先に戻り、少し休憩。そこにA子が戻り、そしてイーストヴィレッジのスポーツバーにイングランド出身の友人とサッカー観戦をしにやってきている旦那が合流し、これまた近くにある、とんでもなく美味しいベトナム料理を食べに行った。

そして今日の二個目の大きなイベントである、ニューヨークジャズフェスティバルにゴ~!


ジャズにはちょいとうるさい旦那も、今日のメンバーはみな凄かったと言った。


彼が今夜のバンドマスター的存在のトランぺッター、Roy Hargrove。すごい存在感。けれども、演奏中以外は、なんだか雲の上をふわふわ歩いているような雰囲気がある。


彼女の歌ったチリのフォークソングが、ソウル・フラワー・ユニオンのある歌のメロディにそっくり?!


コンガのソロではじける!


このそうそうたるメンバーで、アンコールも入れてたっぷり聞かせてもらった。それで$15。VIVA!New York Jazz Festival!



コンサートが終わり、A子のアパートに寄り、泊まりの荷造りをする二人を待って、ニュージャージーへ。
途中、変な渋滞があって、回り道をすると、余計に迷ってしまった旦那。後部座席には、意識不明っぽく眠るA子と師匠。
明日はゴスペルの本番。うまくいくといいなあ。

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せっせと窓拭き

2010年06月17日 | お家狂想曲
昨日の未明に、そりゃもうとんでもなく激しい雨が降りました。

わたしは窓拭きがメンドクサイ。とってもとってもメンドクサイ。
なので、特別な何かがある時に、それを理由にして、一気にガガ~ッと拭くようにしています。

今回の特別な何かは……そうです、師匠が遊びに来てくれることです。
実に十年ぶり。前回は同時テロの約半年前でした。まだ暮らして間無しの、頼りないわたしでした。

今回は、自分の家に暮らしている様子を見てもらえることができて、とても嬉しいのです。
そこで、窓から見える風景を思い存分楽しんでもらえるよう、祈るような気持ちで窓をせっせと拭きました。

やり慣れないので、いっぱい失敗して、擦り傷や打ち身を作ったけれど、清々しい爽やかな夏の風を受けながら、なかなか楽しくやれました。

真ん中あたりに、雪だるまの幽霊みたいな白い影があります。どこの窓にも、こういう感じの曇りがついていました。


それをゴシゴシ、あっちもゴシゴシ、こっちもゴシゴシ、前も後ろもゴシゴシ、こんなにきれいになりました。



鳥さん、また思いっきりぶつかって気絶したりしないように気をつけてね。
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カイロプラクティック初体験!

2010年06月17日 | ひとりごと
旦那の背骨は、ある部分でグニャリと曲がっている。
旦那はガリガリなので、背骨の突起がとても鮮明に見える。
それはまるで、真っすぐに置かれるべき飛び石が誰かのイタズラ心でちょいと線から飛び出したような、それを見るたび心に微かな不安が生じるような、なんとも人騒がせな背骨なのである。
彼は、鼻の奥にあるアレルギーにかれこれ30年以上悩まされている。
最近はとうとう、無呼吸症候群を疑い出した。
なので、毎晩ベッドに入る前に、念入りなストレッチや瞑想、軽い運動、それと一晩中刺してままにしておける小さな鍼を鼻の周りに自分で打ったりしている。
横でそんな様子を見ていると、軽いノイローゼにかかっているようにも思えるけれど、不眠症で半年、地獄のような苦しさを味わったことのあるわたしには、ちゃんと朝まで眠れないことがどんなに辛いかもわかるので、軽い口調でなぐさめたりはしない。

いったい原因はなんなのか?
この答を見つけるために、彼は相当な数のいろんな疑いをかけ、それに対する処方を見つけては試してきた。
カンジダ菌?単なる花粉症?子供の時に上の前歯を二回も強打したこと?ニキビを消すための強い飲み薬を1年もの間飲み続けたこと?
どれも違う。そこで……とうとう、背骨のぐにゃり部分に行き着いた。

カイロプラクティック通いが始まった。
彼の所に患者として来てくれている男性が、とても良いカイロプラクターだとわかり、そこに通うことにした。
鍼灸もカイロプラクティックも、共に代替医療。東洋医学と深く関係している。
そういう共通事項を持つ者同士が、自分の専門の医療を互いに施し合うのは、ある意味面白いのだそうだ。

そして……、

「まうみも行ってみたら?絶対に気持ちええから」と、かなり前から言われ続けていて、ずっと無視してきた。
けれども、時差ボケが長引いて、それから急に早寝早起きに転向中のここ数日、起き掛けに、首の付け根(特に後ろ側)が異様に重苦しくて困っていた。
鍼を頼もうと思っていたけれど、なぜか互いのタイミングがまるで合わなくて、どうしても時間がとれない。
そこで今日、旦那の予約に合わせて、エ~イッ!とばかりに行くことにした。

カイロプラクティックというと骨のアジャスト。
これについては、かなり重症のトラウマがあるわたし。
なので今の今まで、カイロプラクティックにはどうしても足が向かなかった。
初診の問診票に、手術や事故の履歴を書かなくてはならなくて、書くより話す方が手っ取り早いと思い、昔話を聞いてもらった。

「15才の夏に、体育館の中二階から地下室の入り口まで、真っ逆さまに落ちました。
不思議なことに、落ちてしまうまでがとても長かったので、上下逆の周りの景色を見ながら、自分の状況がいかに危険なものであるかを認識しました。
いろんなことを試してみました。例えば、どこか手の届きそうな物を握るとか。
でも、重力は想像以上に凄く、とてもそんなことでその落下を止めることができるとは思えませんでした。
こんな長い距離をこのスピードのまま、アスファルトの床に落下したら、わたしの頭蓋骨はひとたまりもなく砕けてしまう。
なんとか角度を変えようと思うのだけど、どうしてもできません。それに、変に角度をつけて首の骨を折るようなことになったら、もうその時点で命を失います。
なので、最終的に出した結論はこうでした。とにかく、なにかで頭頂部をカバーしよう。
動かせそうなのは手しかありませんでした。
わたしは小さな頃からピアニストになるべく、とても厳しい教育を受けてきました。
なので、『手』しかないのだけれど、一番使いたくないのが『手』でもありました。
でも、どうしようもありません。もう地点はかなり近づいています。覚悟を決めつつ、それでも、どちらの手にしたらいいかを考えました。
しばらく弾けなくなっても我慢できる方……よし、左手にしよう。ごめん!左手!」
大量の卵の殻をいっぺんに割ったような音がして、痛みも何も感じないまま、意識は暗い暗い闇の中に光の速さで向かっていきました。
けれども、わたしのトラウマはそこにはつながっていません。実はその後の治療に、とんでもない痛みが待っていたんです。
左手の手首や指の折れた部分を、学校指定の接骨院で応急処置をしてもらったのですが、その際につなぎ間違いがあったのです。
それで、腫れが引くまで待って、それをある、特別な接骨院(いろんな治療ミスを解決することで有名でした)に行って、治してもらうことになりました。
教えてもらった通りに電車を乗り継ぎ、バスに乗り、山の奥のその医院に着いて待合室で待っていると、名前を呼ばれました。
薄暗い、窓一つない部屋に入っていくと、簡単なベッドがあり、そこに仰向けに寝るように言われました。
言われた通りに横になると、いきなり奥のドアが開いて、そこから4人の屈強な男性達が、無言でぞろぞろと入ってきました。
いったい何事かと思いながらも、それがその場所においてはあまりにも当たり前な風景で、誰にも有無を言わせない重々しい日常のような気がして、わたしはただ黙っていました。
すると、わたしにずっと話しかけていた男性が急に、「この治療は一瞬で終わりますが、ちょっと痛むので、今からあなたの口にタオルを入れます」と言って、とても素早く、いったいいつ、そんなタオルを用意していたのかと驚くほど滑らかな動きでもって、わたしの口の中にタオルをギュッと差し込みました。
それを合図に、4人の男性がわたしの手足を、まさに身動きが取れないほどに押さえつけ、その後すぐに、今でもくっきりと覚えているほどの恐ろしい痛みを感じました。
いえ、痛みを覚えている、というのは現実的観点から言うと正しい表現ではないかもしれません。
実際には痛みはすっかり忘れています。ただ、その痛みに伴った恐怖が、スウェードの靴についた油染みのように、記憶のある部分に残っているのです。
その医師はまず、間違ってつながった部分を思いっきり引っ張って外し、そして正しい位置にはめ戻した。そういうことなのでした。
荒療治を受けてから、骨接ぎや接骨院という文字を見ると、無意識に視線をよそに移してしまうようになりました。
もうあれから30年近くもの年月が経とうというのに、わたしはまだこうやって、あの時どんなに恐かったかを、まるで昨日のことのように話しています」

それから後の、後遺症の悲惨さ、首の手術、医者に見放された後霊気を学び、自己治癒に成功したことなども話した。
彼は本当に親身に話を最後まで聞いてくれた。
「ボクがまうみにとって、新たなトラウマにならないことを誓うよ。君に合った最善の治療をすることを約束する」
彼の治療はとても面白く、柔らかで、背骨のあちこちで小さなポキポキを発生させた。
生まれて初めてのカイロプラクティックは、それはそれは気持ちのいい1時間だった。
これからしばらくの間、彼の治療を受けてみることにした。
丁寧な触診とアジャストで1回40ドル。もしその日、治療するべき所が見つからなかった場合は無料。なかなかに誠実な感じがする。
ほんとはうちのお抱え鍼灸師にもっと頼むべきなんだけどね。

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My Brother! My Sister!

2010年06月16日 | 音楽とわたし
ひょんなことから、今週末の土曜日に、ゴスペルの合唱隊の一員として舞台に立つことになった。
Aちゃんと、今マンハッタンに来ている師匠と共に。
なにやら、当初の計画では、このゴスペルの祭典にこぞって集まるであろう、百名もの日本からの合唱隊を予定していたらしい。
なにしろ、ゴスペル界の巨匠やヒットメーカー、超有名人達と共演できるばかりか、直接指導も受けられるっていう企画なのだもの。
ところが……ふたを開けてみると、時期が悪かったのか、それとも不況の波のしぶきがこんな所にもかかっているのか、集まったのはたったの15名……。
あかんやろ、それは?!

そこで、急きょ、マンハッタンおよび、マンハッタン周辺に住む、とりあえず歌える人間にお誘いがきた。
楽譜は読めなくても全然オッケー。ゴスペルはもともと口伝承。楽譜なんてはじめっから、無い……らしい……。

歌詞が送られてきた。
続いて、パート別に音がとれる音源が送られてきた。
音符が無いまま、音を聞き、それを頭の中で楽譜化して覚える。新しい経験。

アルトパートを担当することにした。
最後にくり返し歌うメロディラインが、昔日本で流行ったようなポップス系の雰囲気があって、そこを歌うといつもなんだか少々照れる。
『木綿のハンカチーフ』を歌ってた、若かりし頃の太田裕美ちゃんの声が、耳の後ろの方でかぶる。

明後日は初の合同練習日。って……本番はその翌日なんだけど……。
仕事のスケジュールを少し動かして練習に参加することにした。
なんてったって、歌うだけでは済みそうにはないのがゴスペル。お揃いのローブを羽織って、踊りまくりぃ~の、奇声も発っしぃ~の、はじけにゃ~!
けど、そういうのってタイミングを外すとかなり浮く……しかもめちゃくちゃカッチョ悪い。なので、真面目に練習しようと思う。
お助けだけど、ほんでもって仕事もちょいちょいと変えなければならないけれど、参加費は払う。まけてもらったけどね。
ケチなこと言わんと。こんなすごい面々と一緒に舞台に立てるなんて、人生にそうあることちゃうねんから。
日本人はこういう状況に弱い。少なくともわたしはそう。
けれど、純血アメリカンの旦那には、いったいなにが悲しくてそんな大金(←我々にとっては)払ってまでそういうことに関わるのか、皆目理解できないそうだ。
ただし、十年の日本暮らしの経験から、そういうことでたくさんの人がいろんなことに関わっていくのを、特別な現象のひとつ、としては認めている。

今、マンハッタンにAちゃんが暮らしている。そこに師匠が遊びに来ている。
そんなすごく特別な時に、一緒に何か楽しめそうなことが目の前に現れたんだから、そりゃもう「やろやろ!」でしょ。
さて、これからもうちょっと練習練習!My brother & sister と一緒に楽しく歌えるようにしないとね!


Don’t give up, my brother
Don’t give up, my sister
Hold your head up high
Victory is nigh

Why don’t you just,
Hang on in there, hang on in there
Your joy will come after while
Your joy will come after while

No, I’m never gonna give up

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米国Yeah baby!事情

2010年06月15日 | 米国○○事情
生徒の家から戻る道を走っている時のこと。
SUVのデカい車が、かなり長い距離を、わたしの車のすぐ後ろにつけて走っていた。
本当に近くて、もしわたしがブレーキを踏んだら、即ぶつかりそうなくらい。
車間距離については、自分には甘く他人には厳しいわたし。神経に障るな~と、かなりイライラしてきた。
運転中のイライラはろくなことにつながらない。わたしは気持ちを落ち着かせようと、ミラーいっぱいに映る後続車を見ないように努力した。

すると……、

すでにかなり危ない距離にいるのに、小馬鹿にしたように、車の頭をクイクイッと揺らしたのが目に入り、気がついた時には結構強くブレーキを踏んでいた。

ププゥ~!!

わたしのすぐ後ろのアホ車の後ろはかなり離れていて、事故になってもわたし達だけで済む。一瞬だったけど、ブレーキを踏み込む前に確認した。
タイヤの擦れる音がして、けれどもわたしの車には何もぶつかってこなかった。

いきなりブォ~ッと激しい音が聞こえて、わたしの右側にそのアホ車が並んだ。
窓がスゥ~ッと開き、すごい剣幕の黒人女性が、「あんた、いったいなに考えてんのよ!!」と怒鳴った。
わたしはその女性の方をしっかり向いて、ニィ~ッと笑い、「Yeah baby!」と叫んでやった。
女性はびっくりした後、呆れ顔になり、頭のすぐ横に人差し指を指し、クルクルと回しながら通り過ぎて行った。

きっと彼女にはわたしが、かなりクレイジーに見えたのだろう。
けどね、言っときますけどね、あんなに執拗に、危険極まりない車間距離で追いかけてたあんたこそが、本物のクレイジーなんだからね!

でも……もうしない。賭けをするには危な過ぎるから。良い子、良い大人の皆さん、ひとの振り見て我が振り直せ。ですぞ!
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米国ぼいんぼいん事情

2010年06月15日 | 米国○○事情
それは、わたしが一旦停止のサインの所で、車を止めていた時のことでした。
対向車線向こう側には、ふたりの若いお兄ちゃんが乗る車が止まっていました。
わたしは左折なので、直進しそうなお兄ちゃんの車を待たなければなりません。

そこへ……、まずは向かって左側の横断歩道を颯爽と渡る若い女性が現れて……。

わたしが走っていた町は、横断歩道を渡ろうとしている人が居たら、絶対に車を止めて待たなければなりません。
もし、ええ~い、行っちゃえ!とばかりに車を走らせてしまうと、即、警察に通報されて罰金を払わなくてはなりません。
なので、まずはわたし側の、それから今度は、お兄ちゃんの車の真ん前の横断歩道を渡り出したので、彼らが待つことになりました。

その女性、まあほんとに見事なぼいんぼいん!!他の部分がスリムなので、目立つこと目立つこと。
今まで生きてきて、あそこまででっかいおっぱいを見たことがない!と、胸を張って断言できるほどのでかさ!!
しかも、夏なので、ひじょ~に大胆なTシャツを着ていて、女のわたしでも目が釘付けになってしまいました。
で、ふとお兄ちゃん達のことを思い出し、彼らの様子はいかに、と目を移すと、
まずは目がふた周りぐらい拡大いたしまして、そのまん丸目玉のまま、お互いに顔を見合わせて……なんと大笑い。
もちろん、笑いながらも、しっかり彼女の動きに合わせて頭が右へ~右へ~……。

なんとも豪快な景色なのでした。
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米国ハポンを応援するハポーネ事情

2010年06月14日 | 米国○○事情
ワールドカップ、日本代表とカメルーンの試合が始まった。
この地では、スパニッシュ放送のケーブルでしか放映されないので、画面上で闘う選手の姿を目で追いながら、「ハポン」と選手の名前を拾い聞きするしかない。
「チンタレテクーナ~ハポネ~」……そんなこと言われても……
けれども全然かまわない。応援するぞ!がんばれハポン

ごぉ~~~~~る!!本田くん!!男前当地米国東海岸時間の10時37分の感動!!
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けんけんぱ!

2010年06月14日 | アホな小話
父の誕生日パーティが終わり、その日初めて父の家を訪れたという、フィラデルフィアからの姪夫婦に、家の案内ツアーをすることになった。
まずは、別棟にある母の陶芸スタジオを見学しようと家の外に出ると、ガレージ前のアスファルト一面に『お姫様』と『けんけんぱ』の絵が、所狭しとチョークで描かれていた。もうすぐ6才になるエメラが描いたのだ。上手だなあ。

こちらの『けんけんぱ』は四角くてくっついている。□の中には数字が描かれていて、これをどんなふうに使って遊ぶのかは知らないけれど楽しそう。

日本のはこれ。


新しい最新式のガスの焼き釜を、本当に誇らし気に紹介する母。陶芸を学び始めて30年。今はアメリカを代表する壁掛け作品の陶芸家となっている。
けれども、それはあくまでも自分だけの趣味だからと、贅沢をせず、今までずっと古い釜でコツコツ焼いてきた母の嬉しそうな横顔を見ていると、胸が詰まった。

さて、一通りの質疑応答(大げさ?)も一段落、スタジオを出て、皆で家の方に戻る途中で、先を歩いていたわたし、どうしても『けんけんぱ』がしたくなった。

はじめの□の前に立ち、片足になって「けんけん」えっ 
「ぱ」を言うつもりが……口から出ていたのは「イッタァ~」

おばちゃん、ど派手にこけましたです、はい。それも、みぃ~んなの前で。息子達ふたり、とっても複雑な顔して、「おかん……」とつぶやいていた。

駆け寄ってきてくれた人達に起こされ、立ち上がってみると、右の膝小僧の所に五百円大の穴がぽっかり空き、そこから覗くと血が吹き出ていた。
「ああまうみ、大変よ。歩ける?大丈夫?早く治療しなきゃ」と、母が必死の形相でわたしの腕をとった。
かっちょ悪いにもほどがあるけど、背に腹は代えられない、けっこう痛い。なので、おとなしく言うことを聞くことにした。
母専用のバスルームに入り、便器の蓋の上に座るように言われ、日本のユニクロで買ったばかりのスリムパンツを脱いだ。
消毒液や痛み止めのオイル(母のお手製)、それから抗生物質入りのクリームを探す母。
水で洗う時に、「痛いよねえ、そりゃ痛いはこれは」とブツブツ言いながらコットンで傷をぬぐってくれる母の姿を見て、小さかった頃の自分を思い出した。
赤ん坊の時、股間脱臼をして上手に歩けなかったわたしは、文字通り、3歩歩くとバッタンとこける女の子だった。
なので、膝小僧は年がら年中傷だらけ。おまけに膿み易い体質だったから、傷が治りかけては膿み、また治りかけては膿みで、一生傷になっている。
わたしの母は、そりゃもう厳しい人だったけれど、傷を負った時にはきちんと処置をしてくれた。もちろん、「痛いよねえ、可哀想に」などとは一言も言ってくれなかったけれど、その甲斐甲斐しさが嬉しかった。
「今日は一日、できるだけ静かにしてるのよ。それから、帰りの車の中で、氷で冷やすこと。20分冷やして少し休憩。それからまた20分。わかったわね」
一昨年、両膝の外科手術を受けた母は、膝についてはかなり蘊蓄がある。旦那も旦那で言いたいことがあったが、この時は母をたてることにした。

バッタンこけた時、がっしりと両手をついたことを自画自讃するわたし。しかも、手のひらの皮が少し剥けたけど、指は全く大丈夫。さすが

いや、そういうレベルの問題ちゃうで。そもそも、50過ぎたら、ちょっと勾配のあるとこに描かれた『けんけんぱ』はせえへんのとちゃう?
しかも、その時履いていたサンダルはサイズが少し大きめで、指先がかなり余っていて、普段歩いている時もよくつっかえて転けそうになっていたのに……。
と、密かに激しく反省していたことを最後に記しておこう。
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Happy 70th Birthday Dad!

2010年06月13日 | 家族とわたし
今日は旦那の実家があるペンシルバニアで、父の70才の誕生日パーティがありました。


これが、父の家族、親戚、友人、仕事仲間の、大勢の人達から書き寄せられたメッセージをまとめた本です。マルコメの息子達の写真もここに入っています。


母は父に内緒で、このアルバムを作るために、いろいろと大変な思いをしました。
このアルバムは、昨晩の慈善事業パーティの終わりに、功績を残したことの表彰を受けた父に、サプライズで手渡されました。
母の想い、そしてこのアルバムの中に詰まった人達の想いを受け取り、とても深く感動した父は、珍しく夜中まで眠れなかったそうです。
よかったね、おかあさん。

これは父の大好物の、パイナップルのアップサイドダウンケーキ。母のお手製。


ハムが出来上がりました。余分な油を取る母。


と……キッチンカウンターの上で、自分専用のコップから水を飲む家猫お嬢のリリー。うちでは有り得ない光景……。


なんっすか?


焼き上がったハムに、クローブとマスタードとブラウンシュガーを混ぜたものを豪快に塗りつける母。これがまた美味かったぁ~!

 
皆で持ち寄ったお料理。これらの他にゴートチーズのサラダ、手作りハムスが絶品の生野菜のオードブルが
ありました。


さあ、ケーキの時間!1本10才のろうそくに火をつけて、ふぅ~~~!!


屋根の上のフクロウ。飼ってるんだと言うのでびっくりして外に出ると……作り物でした。啄木鳥がやってきては煙突に穴を空けるので、見張ってもらってるそうです。さて、効果はあるのかどうか……。


帰りに見えた天使の階段。


旦那の故郷パーマイラの町標。つい最近できたみたいです。


ビバ!ペンシルバニア!6月の風景です。


なんて呑気に写真などを撮ってたら、ドライバーのKが、「あっ!ガソリンが……」


わかりにくいですが、左側の…が、あんさん、この車にはもう、ガソリンが一滴も残ってまへんで~のお知らせ。
スタンドを見つけようと焦るあまりに、間違った出口を出てしまい、濃霧の中、山の奥へ奥へと行ってしまいました。
結局は間に合ったのですが、あ~ドキドキした……。

フィラデルフィアから、ワシントンD.C.から、そしてニュージャージーから、皆が寄って、わいわいにぎやかに、お腹いっぱい食べながら話をしました。
なんだか季節外れの感謝祭をやってるみたいで、ちょっと可笑し楽しのパーティでした。

おとうさん、70才の誕生日、おめでとう!これからも元気に、う~んと長生きしてね!


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ワールドカップとペンキ塗り

2010年06月12日 | 家族とわたし
なんかしらんけど、普段はサッカーのサの字も言わん旦那が、今日の2時からの米国英国の試合を観る観る観る!と騒がしい。
しかも、ひとりで観るのはいやで、誰かを誘って観る観る観る!としつっこい。
いろんな人を誘てみたけど、あいにくどの人も都合が悪くて、結局ひとりになったってんで、今度は家族で観る観る観る!と言い出した。
引っ越ししてから早1年になろうというのに、今だテレビの部屋が決まってなかった我が家。
とりあえず置いていた一階の離れの部屋から、これを機会に居間に移動するぞ、ということになり、ゴロがついたキャビネットの上に動かした。
晴れてソファに座ってテレビを観る、という念願が叶った旦那。おぉ~い、サッカー観るぞぉ~と息子達を呼ぶ。
冷やしたリースリングを皆に注ぎ、急きょ間に合わせに作った椎茸とネギのオムレツ、クラッカーにクリームチーズという取り合わせで乾杯した。

サッカーは好きなスポーツやけど、あの、ロスタイムを含めると100分近くになる緊張しまくりの時間がどうも、なんとも心臓に悪い。
わたしはとっても神経が細いのです。おほほ
米国と英国。力の差は歴然やったけど、今日は一点神さんからもろて、必死でそれを守って引き分けた。
旦那はずっと、「Come o~~n,US!」とイライラしとった。いつもは変なアメリカ人でも、やっぱり自分の国のチームが闘ってると熱くなるんや。


さて、いまだに時差ボケてるわたしは、今朝4時に目が覚めた。
そんな時間に覚めとうなかったけど、どないもこないも眠とうならへんからあきらめて、5時にベッドから抜け出した。
横にぺったりくっついて座る猫の背中を撫でながら、熱いミルクティーを飲み飲み、『1Q84』を読んだ。
旦那が起きてきて、朝ご飯を済ませた頃を見計らい、ペンキ塗りを始めた。
階段の白い部分が、それはそれは雑で汚い、どうやったらこれほどいい加減に塗れるのか?と、毎回見るたびに怒りを覚えるほどに情けない状態やった。
毎日毎日、ほぼ365日プチッと怒ってたけど、そろそろ怒るのにも飽きてきたので、塗り直すことにした。

まず、どんだけバッチイかの証拠写真。まずはやすりでしっかり汚れを削り取る。


テーピングをした後は、ただただ一心に塗るのみ!


だいぶできてきた!


とりあえず今回はここまで。



昨日、旦那と一緒に夜の散歩に出たら、家々の庭の芝の上で、蛍がちらちら飛んでいた。
この地域特有の、乾いた爽やかな夏の日に、いったいどこで暮らしているのやら……。

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