ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

わたしらの海じゃ!

2012年04月25日 | 日本とわたし


祝島の住民の方々による、原子力発電所の工事着工に対する反対運動は、今年で30年を迎えようとしてる。
30年と、ひとことで言うたらそれでおしまいやけど、この年月の長さを想像しただけで、頭がぼぉっとしてしまう。

このビデオは、あの東北を襲った地震と津波、その翌日の福島第一原発の爆発が起こる18日前辺りの様子を伝えてる。

原発は、もし反対でもしようもんなら、こんなふうに闇討ちで、人を押し倒して踏みつけて、工事をゴリ押しするんやと、改めて実感させられる。

いくら仕事とはいえ、いくらその会社の従業員とはいえ、こんな、人として最低なことを、人生の中でやらなあかんのはかなんやろう。

けども、もっとかなんのは、ヤクザまがいのやり方で、こんな夜中にこそこそと、暴力を振るうのに長けた大勢の人間相手に、
来る日も来る日も、仕事もろくにできんまま、殴られ蹴られ罵られして、必死にフェンスに食らいつかなあかん地元の住民の人らや。

たかが電気を作るために、一部の地域の住民に、こんな思いさせてええのか?
たかが電気を作るために、過疎の田舎やからって、こんな人生なんで押し付けられなあかんねん?

ほんまに、どちらの側であったとしても、なんちゅう人生やろか。
原発は、人として豊かに生きる権利を守ろうとする人らに、心身ともに暴力を振るう。
そんなもん、もう絶対に増やしたらあかん。もう絶対に。

5月5日子どもの日。

日本から原発の火が消える日。
消して冷やして廃炉する。
もう二度とこの世に戻ってこんように。
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Don't tell me what to do!

2012年04月25日 | 家族とわたし
息子Kが今、大学相手に奮闘している。
5月の卒業式に、名前を呼んでもらえるかどうかがかかっているので、大変なのである。
何が問題になっているのかは、聞いててもちんぷんかんぷんやから考えんことにしてる。
旦那は意味がわかってるみたいやけど、こういう時に一切、助け舟を出さへん人やから、ただただ傍観するのみ。

息子達はふたりとも、こちらに引っ越してきた時から、ほとんど自分らで問題を解決してきた。
時には、それが問題かどうかもわからんままに、巻き込まれてたこともあった。
この12年の間に、兄のTは中学校に2年、高等学校に4年通い、大学に4年半通て就職した。
弟のKは、小学校に1ヵ月、中学校に3年、高等学校に4年、今、大学5年目を終了しようとしてる。

なんも手伝うてやれんかった親として、ほんま、ようやったと思う。
そやからか、ふたりとも、学校だけやなくて、暮らしの上で起こる、ちまちまとした問題を、自分で解決できる能力がある。
もちろん、失敗もある。
その失敗が、たまにこちらにも影響する時もある。
けども旦那は、それも勉強のひとつやと言うて、そういう時は怒らへん。

問題が起こってる最中は、とことん突き放す方針が、自分にはどうしても馴染めんと、くよくよ心配したりした。
けれども、今になって、息子がふたりとも大人になると、旦那が正しかったことが分かる。

Don't tell me what to do!

こっちの人って、人の話をちゃんと聞いてくれる。
っていうか、話を聞くのが好きな人が多い。
ほんで、一緒になって考えてもくれる。
けど、ほな、どうしたらええのか……。
その時点に来ると、クルッと背中を向けて離れていく。
どうしたらええのかを決められるのは、決断の必要に迫られてるその本人のみ。
その姿勢が文化として心にしみ込んでる。

ボクがどうしたらええかなんて、人から言われたくない!

言わへんよ。なんも言わへん。
とことん考えて、自分の思うようにやってみなはれ。
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『福島県庁にSPEEDIのデータは、メールで届いていた!』by 烏賀陽 弘道氏

2012年04月24日 | 日本とわたし
JBpress に掲載された記事を紹介します。
偶然にも、前回の記事で紹介した、烏賀陽 弘道氏が取材をされたものでした。


福島県庁にSPEEDIのデータは届いていた!
メルトダウンの恐怖の中、後回しになった住民避難 烏賀陽 弘道 2012.4.19

前回に引き続き、福島県庁に災害対策本部を訪ねた取材の結果(2012年1月上旬)を報告する。

取材に応えた担当者は、名刺を交換したうえで、災害対策本部の話として書いてもいいが、個人名は伏せてほしいと私に依頼した。
県庁職員の氏名にニュース価値はないので、それに沿う。

質問は主に2点である。

(1) 地元で行われていた、原子力災害を想定した、避難訓練の内容。

(2) 原発事故が起きた場合の、放射性物質の流れを予測し、住民を避難させるためのシステム「SPEEDI」は、生きていたのか。
その情報を、福島県庁は、どう扱ったのか。
避難に役立ったのか。


放射性物質は「すーっと消える」はずだった

私は、福島第一原発の地元、双葉町の井戸川克隆町長が、
「3月12日の水素爆発の数分後、町内に降下物が降ったのを目撃した」と話をしていたことを思い出し、
福島県災害対策本部の担当者に、その話を伝えてみた。

──放射性降下物を住民が浴びて、被曝する被害を、想定していなかったのですか。

「そうです。『(放射性物質は)出て、すーっと消えた』、という想定になっていました」

──それは、甘すぎるというより、おめでたすぎませんか。

「というより、事故も、数時間で収束することになっていましたから。
雨が降ることも想定していません。
つまり、地面に落ちない、沈着しないことになっていた」

──地元に不安はなかったのですか。

「なかったんじゃないかなあ。
国も私たちも、原子力発電所事故が、(地震、津波)自然災害との複合災害として、起きるとは考えていなかったのです。
起きた今となっては、『言われてみれば、その通りでした』、としか言いようがないのですが……」

──直近の、訓練の内容を教えてください。

「2010年10月に、『福島第一原発の5号機か6号機で、全交流電源を喪失した』という想定で、訓練をしています。
でも。バックアップ電源がすぐに来て、復旧することになっていた。
いまは、現実の福島第一原発事故と同じように、『考えられないような事故が起きた』、という想定になっていますが」

──どうして、そんな軽微な、訓練内容になったのでしょうね。

「何でこんなことになったのか……(沈黙)、県が仮に、そういう想定をしても……(沈黙)。
我々にそんな発想はないし……国もそんな発想はないし……原子力安全指針にも、根拠がなかった」


なぜ国にSPEEDIのデータを送ってくれと頼まなかったのか

──SPEEDIの端末は、原子力施設を持つ県の県庁には、必ずあるそうですが、本当ですか。

「そうです。福島県庁にも、もちろんあります」

──なぜ、放射性物質の拡散予測のためのシステムなのに、いざ本番という時に、役立たなかったのですか。

「原子力発電所事故のときは、(福島第一原発から5キロの大熊町にある)『オフサイトセンター』が仕切って、SPEEDIを管理することになっていました。
(筆者注:オフサイトセンターは。交通や通信が途絶して、担当者も集まらず、まったく機能しなかった。
さらに、原発に近すぎて線量が上がり、撤退。
放射性物質を取り除くフィルターが、通気口に取り付けられていなかった)。
まず、それがダメになった」

「原発事故の担当である、原子力安全対策課や災害対策課は、県庁本庁舎ではなく、西庁舎8階にあります。
そこに、町村と結ぶファクスや、衛星電話もある。
ところが、3月11日は、庁舎そのものがつぶれるんじゃないか、と思うほどの揺れで、壁にクラックが入り、退避することになった。
災害対策本部ができるはずだった本庁舎5階も、『強度的に危ない』という話になったんです。
(それで急遽、現在の災害対策本部がある、福島県自治会館に入った)」

「こうして我々は、目と耳をなくした状態になりました。
衛星電話をかき集めて、やっと3台確保した」

──SPEEDIのデータがあれば、どうなっていましたか。

「放射性物質の流れの方向を、予測できたと思います」

──SPEEDIがなくても、風向など、気象データがあれば、最小限の警告は、住民にできたのではないでしょうか。

「福島第一、第二原発周辺の、風向や天気のデータは、アメダス(気象庁の地域気象観測システム)のものがあった。
でも今回、それだけで、放射能雲の流れを予測するのは難しかった。
冬なので、海風も山風も、強いのが普通なのですが、風が巻いていた(1日の間に、風向きが360度一周すること)」

──SPEEDIのデータを、国はまったく送ってこなかったのですか?

「3月13日だけ、ファクスで送ってきました(ファイルから、プリントアウトを見せる)」

──国が、自主的に送ってきたんですか?

「いや、こちらから頼みました」

国(東京)に画像があったということは、SPEEDIのシステムそのものは、生きていたということだ。
SPEEDIは、端末があれば、どこでも同じデータが取れる。
インターネットと同じ、オンラインシステムなので、紙をファクスで送るのは、本来奇妙だが、
システム全体が、ダウンしていたのではないことが分かる。
結果をファクスでも届けることはできるし、電話で「北西方向は危ない。避難させろ」と、一言伝えればよかったはずだ。

──他の日は来なかったのですか?

「いえ、13日一日だけです」

──いちばん強い放射性雲が流れた、3月15日には、SPEEDIがなかったのですね? 
  なぜ国に、送ってくれと頼まなかったのですか? 
  もちろん、頼まなくても、国がどんどん送ってこなければいけないのは分かっていますが。

「(しばらく沈黙)……15日は……今度は、4号機の燃料棒プールに水がない、という話の真偽を、確認するので必死でした……。
(燃料棒プールには)格納容器がないんです。
あれが溶けたら、大変なことになっていた。
数千本、原子炉3機分の、燃料が入っているんです」

──つまり、4号機の、燃料棒プールの危機にかかりっきりになり、住民避難は後回しになった、ということですか?

「20キロ圏内の住民は、もうすでに避難させていたのです。
こちらの認識では、そういうことになっていた。
もう、SPEEDIの話は、飛び越えていた」

要するに、最悪の放射能雲が流れた3月15日は、県も国も、住民避難のことはノーマークだった、ということである。


100万人を避難させるのは「物理的に無理」

──飯舘村は、15日の、放射性雲の飛来に、まったく無警告だったそうです。
  村人だけでなく、20キロゾーンから避難してきた人も、被曝してしまいました。

「(またしばらく沈黙)我々は、精一杯やったと思います……そう思いたいのですが……被曝した人には、そんな甘い話ではないですよね……。
避難した先で被曝したのは、失敗だったと思います。
本当に、申し訳ないと思っています」

──避難範囲をもっと広げる、という案はなかったのですか。
  アメリカは50マイル(=80キロ)退避、という選択でした(注:飯舘村が原発から30~40キロ、福島市は50キロ前後)。

「50キロ圏内の、人口を試算してみたのです。
中通り、浜通り合計で、100万人でした(注:福島県全県の人口は約200万人)。
その避難住民を、受け入れる先があるのか。
県庁、東北新幹線、東北自動車道、すべてのインフラが、中通り(福島市~郡山市が並ぶ県中央部)を通っているのに、避難することができたのか」

──福島より北の、宮城や岩手の復興にも、影響があると考えたのですか?

「中通りは、工業地帯としても商業地帯としても、最重要地帯なんです。
それに、戦争だったとしても、100万人の避難は、物理的に無理なのではないでしょうか。
東海村の村長は、『100万人が避難しなくてはいけないような場所に、原発を立地するのが間違っている』とおっしゃっていました」

──3月15日の放射能雲には、まったく気づきませんでしたか。

「線量がなかなか下がらないし、水道からも、放射性物質が検出されるしで、『これは容易じゃない』(深刻だ)という認識だけはありました……。
でも、情報がなくて、本当によく分からなかったんです。
本当に大変でした。
メルトダウンしているんじゃないかと、こちらは思っていたのですが、確かめようがない」


3月15日の夜にSPEEDIのデータは届いていた

続いて、また、仰天するような話が出てきた。

──確認しますが、3月13日以降、SPEEDIのデータは、他のルートで、ファクス以外では、国から来なかったのですか。

「原子力安全技術センター(注:SPEEDIを維持管理している組織)が、気を利かせて、災害対策本部原子力班に、メールで送ってきてくれていました」

──えっ!それはいつのことですか?

「3月15日の、20時30分以降です」


福島県・災害対策本部の担当者が、見せてくれたSPEEDIのデータ。ファクスで、国から送られてきた。(筆者撮影)

──気づかなかったのですか? 
そこでただちに、飯舘村に、「避難しろ」と言えばよかったのではないですか?
(飯舘村に、被曝が知らされるのは、3月19日深夜~20日未明。全村避難が決まったのは4月22日)

「先ほど申し上げた通り、15日は、4号機燃料棒プールのことで、手一杯だったのです。
みんな文字通り、走りながら仕事をしているような状態で、パソコンの前に座って、メールを読むような状態ではなかった」

──原子力班には、何人くらい職員がいるのですか。

「10人です」

──誰も気づかなかったのですか。

「申し上げた通りです」




以上が記事の内容です。
もうね、わたし、確信しました。
自信満々で言えます。

この国に原発みたいなもんがあったらあかん!
ちゃんと始末できひん、事故の想定もできん、うわ~どないしょ~どないしょ~言うてるだけの災害対策本部原子力班。
名前さえ立派なんつけといたら、事故が起こってもなんとかなるとでも思てたんか?
あ、そうか、事故は起こらんはずやった。
例え起こったとしても、放射性物質は「すーっと消える」はずやったし、
事故も、数時間で収束することになってたし、
雨は降らへんから、放射性物質は地面に落ちひんし、沈着せえへんことになってた。
極めつけは、原子力発電所事故が、(地震、津波)自然災害との複合災害として、起きるとは考えてへんかった。
『福島第一原発の5号機か6号機で、全交流電源を喪失した』っちゅう想定で訓練はしたけど、バックアップ電源がすぐに来て、復旧することになってた。

どこまでおめでたいねんっ!

どこの立地地域も、電力会社も、特に優れたとこなんかあるわけない。
ちょっとでも深刻な事故が起こったら、みんなバタバタバタバタ走り回るだけやで。保証したるわ。
マジでめでたいねんから。

原子力発電所は日本には不適合!
5月5日のこどもの日を期に、止まった原発を二度と動かさず、冷やしにかかる。
ほんで、廃炉の行程に一日も早う入る。

それぐらい、これまでの罪滅ぼしに、してもええんとちゃう?
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「ぼくらがのんきに、ペットボトル茶を買っている日常など、あっけなく終る」by 烏賀陽 弘道氏

2012年04月24日 | 日本とわたし
烏賀陽 弘道(うがや ひろみち)さんという、元朝日新聞社『アエラ』の編集部記者さんを知った。
今はフリーランスをしてはる。

『1963年、京都市生まれ。
1986年京都大学経済学部卒業。
同年、朝日新聞社に入社。
三重県津支局、愛知県岡崎支局、名古屋本社社会部を経て、91年から2001年まで『アエラ』編集部記者。
92年に、コロンビア大学修士課程に自費留学。
国際安全保障論(核戦略)で、修士課程を修了。
2003年に退社し、フリーランスに。
主な著書に『「朝日」ともあろうものが。』『カラオケ秘史』『Jポップとは何か』『Jポップの心象風景』『報道の脳死』などがある』

今朝、いつものようにツィッターを読んでたら、

『私は、日本の民主主義が、アメリカの植えていった花や樹であろうとかまわない。
67年も、私達の庭で育てているのだ。
水をやり、剪定をしていれば、「私達の花木」になっていたはずだ。
それを怠っていたから、いつまで経っても「押し付けられた」と、幼児的に騒いでいるのだ』


というつぶやきが目に入ってきた。

そや、私らの庭やんか。
なんぼアメリカが、身勝手に植えてった花や樹であるとしても、植えられたとこは私らの庭やったやんか。

急いで、このhirougayaさんというツィッターを調べてみた。
すると、24日に、一気に投稿されたツィートが、連続で載せられていた。
彼の心のうねりを、ここに紹介させてもらう。

1年ぶりに、封鎖が解除された、福島県南相馬市小高地区の写真を約250枚、フェイスブックで公開しています。
津波で破壊されたままのスーパー、消えた街並み、そこで変わらず咲く梅や水仙の花など。
ツイッターでのHNと、私とのや
りとりを書いて、フレンド申請してください。
実名の申請以外はお断りです。
hirougaya 2012/04/24 14:43:36

「メルトダウンズ」という バンド名は 私が いただきました!笑 
hirougaya 2012/04/24 14:45:07

3.11後の感情なら、怒り、悲しみ、共感、なんでもいいから、音に表現するというポリシーです。@ky00950
hirougaya 2012/04/24 14:56:27

でも、そうやって説明すると、ミュージシャンが8,9割逃げるんですよね。笑 
セッションでも参加をいやがる。
「運動」にかかわるのは嫌なんだって。ちがうっちゅーの。笑 @ky00950
hirougaya 2012/04/24 14:57:35

これがぼくらの「未来予想図」だったんですね。ドリカムじゃなくて。https://t.co/xlVUDhwM
hirougaya 2012/04/24 14:58:16

あと、「テラベクレルズ」もやろうと思います。
ちなみに今度、「黄金週間」と「炉心溶融」を合体させて、「黄金溶融」というイベントを5月1日にやります。@bridge_of_allan
hirougaya 2012/04/24 14:59:11

もちろん、匿名さんや、私がブロックした人たちは、一年間封鎖されていた、福島県南相馬市小高地区で撮影してきた300枚近い写真を、ネットで公開しているのに、見ることができません。笑
hirougaya 2012/04/24 20:14:30

日本人はおもしろい。
「フクシマの惨禍を、世界に知ってほしい!」とか、口では立派なことを言う。
その惨禍の、最近の私の写真が、FBには数百枚、タダで公開されている。
なのに、フェイスブックでシェアしたり、ツイッターで回覧したりして、広める人はほとんどいない。
やっても、最初のうちだけ。
すぐ飽きる。

hirougaya 2012/04/24 20:38:01

(続)貴重な情報が目の前にあるのに、ぼんやり眺めているだけ。
何もかも受け身、指示待ちの人生に、慣れきってしまって、何をしていいのかもわからないのだろう。

hirougaya 2012/04/24 20:39:07

(続2)こういうのを、「社会参加」というのだが、それももう、わからないのだろう。
ボランティアしたり、デモに行ったり、署名することなんて、旧左翼のいう社会参加にすぎない。
自分ができることをすればいいのだ。

hirougaya 2012/04/24 20:39:43

(続3)「ヒロ、君のフクシマの写真はすごい。すぐにシェアする」と、ぐるぐる世界を回覧するのは、西欧文化圏の人ばかり。
アジア人でも、教育の高い人はそうする。
日本人だけ。ぼんやり受け身なのは。情けない。

hirougaya 2012/04/24 20:41:00

(続4)こういう「自分も含め、一人ひとりが、民主主義社会の担い手であり、参加者である」という能動性が、日本人は本当に乏しい。
私はよく、絶望的なきもちになる。

hirougaya 2012/04/24 20:42:05

(続5)と、こういうツイートを流すと、「すみませんでした」「ごめんなさい、気が付きませんでした」 「配慮が足りませんでした」と「謝罪」はためらわず、上手である。
そして殺到する。
で、「催促された」「キレた」と、後でブツブツ陰口をいう。
これは「受け身」「指示待ち」人間の、典型的な所作だ。

hirougaya 2012/04/24 20:44:52

日本文化にとって、「民主主義」とは、「理念」「理想」「哲学」「学問」なのだろう。
それは、自分が日々生きている現実であり、家の庭のように、毎日手入れが必要な、花や植木のようなものだという理解に欠けている。
だから、花も木も、みすみす枯れるのだ。

hirougaya 2012/04/24 20:47:17

するよ。
「いわれなくてもちゃんとしなさい」と、学校や家庭で言われてきた人が多いから、言われると、叱られたと思って慌てるんです。@yatsuhashi99
hirougaya 2012/04/24 20:48:39

で、そういう人達の、フェイスブックやツイートを見ると、99%が、仲間内にしか価値のない、「身辺雑記」である。
インターネットというマスメディアを、全員が手にしたのに、大半は、同窓メールでいいような程度の使い方だ。

hirougaya 2012/04/24 20:51:24

私は、日本の民主主義が、アメリカの植えていった花や樹であろうとかまわない。
67年も、私達の庭で育てているのだ。
水をやり、剪定をしていれば、「私達の花木」になっていたはずだ。
それを怠っていたから、いつまで経っても、「押し付けられた」と幼児的に騒いでいるのだ。

hirougaya 2012/04/24 20:54:09

結局は、「フクシマの惨禍を世界に知らせる」なんてのは、報道とかマスコミとか、どっか遠い世界の人がやることだと思っているから、
こうしてパソコンを開いても、ぼんやり眺めているだけなんだよ、君は。

hirougaya 2012/04/24 21:04:08

アクションを起こす、ってのはパソコンを1,2回クリックするだけのことなのに、それにすら気づかない。
hirougaya 2012/04/24 21:04:24

そんなことすら気づかずに、「どうせ何をしても何も変わらない」と、最初から「敗北」にだけは積極的に飛びつく。
情けない人たちだ。

hirougaya 2012/04/24 21:05:20

日本の社会教育、学校教育、家庭教育は、人々の「能動性」を徹底的に奪い、破壊することには、極端に成功している。
その結果が、福島第一原発事故ではないのか?

hirougaya 2012/04/24 21:06:26

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ugaya_bot 2012/04/24 21:13:21

例えば、フクシマの人が、苦しみや惨状を、FBやツイッターで話しているとする。
それを、英語にできる人は、たくさんいると思う。
英訳して、FBやツイッターで、世界に紹介すればいい。
なのに、そんなささやかな「社会参加」すらしない。
何がそんなに忙しいのだろう?
デモに行く前に、できることは山ほどある。

hirougaya 2012/04/24 21:14:37

テレビ道化を見るのが、そんなに忙しいのか?
居酒屋で、安酒と、レンジで解凍した冷凍食品を食い、上梓や同僚の陰口を言うのに、そんなに時間を使っていていいのか?
戦争に次ぐ、大惨事が起きているのに、そんな無益な人生の浪費をしていていいのか?

hirougaya 2012/04/24 21:15:35

麻生太郎や安倍晋三、菅直人や野田某のような、愚か者が最高権力者で、文句を言うのは結構だ。
だが、なぜ彼らが権力者になれるのか、考えてみてはどうか。
非統治者が、徹底的に受け身で、無気力で、行動力がないから、あんな愚か者どもに、いともたやすく統治されてしまうのではないのか。

hirougaya 2012/04/24 21:19:32

要は、インターネットは、メディア(媒介物)にすぎない。
媒介される日本人が、あまりに無気力で受動的なので、
これほど革命的なツールがあっても、福島第一原発事故のような大惨事があっても、何もアクションが起きないのは不思議ではない。

hirougaya 2012/04/24 21:25:27

君のように、何もかも受け身で、誰かが何かをしてくれるのを待っているだけの乳飲み子が、トシだけ食ったような人間には、
社会参加、改革などできるわけがないし、それより前に、豊かな人生など、望むことすらできない。

hirougaya 2012/04/24 21:29:09

インターネットの画面を、クリックすることすらせずに、「どうせ何も変わらない」と、
最初から敗北にひたって、自己憐憫に身もだえしているような、君のような人間がうじゃうじゃいるから、
菅直人や野田某、麻生太郎のような、最低の愚か者に、統治されてしまうのだ。

hirougaya 2012/04/24 21:30:37

そんなに、テレビ道化たちのドラマが好きか?
世界のスポーツ界に影響のない、サッカーや野球が好きか? 
そんなのんきな「平時」は、2011年3月11日に終ってしまった。
ヘマをした為政者どもは、「頼むから気付かないでくれ」と祈っている。
そして君らは、まんまと、彼らのいいなりになって、テレビの前にいる。

hirougaya 2012/04/24 21:32:39



これは、ほんの1週間ほど前、4月16日に撮影した、福島県南相馬市小高地区のスーパー「ツルハドラッグ」だ。
津波がなだれ込み、破壊されたまま、放射能のせいで、一年間封鎖されてきた。
ぼくらがのんきに、ペットボトル茶を買っている日常など、あっけなく終る。

hirougaya 2012/04/24 21:35:58

福島県の人たちだって、2011年3月11日前は、テレビ道化のドラマや茶番喜劇、弱小サッカーチームを、テレビで観て過ごしていたのだ。
彼らは、「国や東電を信用しすぎた」と、悔いている。
安心しすぎたことを、悔いている。
彼らの犠牲から、教訓を学ばないのか?

hirougaya 2012/04/24 21:37:57

「インタネットは、双方向メディアである」とさんざん言われているのに、
能動性を破壊された人たちは、相も変わらず、テレビや雑誌のようにぼんやり眺め、身辺雑記を書き、知り合いと雑談しているだけ。
言葉だけ聞いて、わかったつもりになっている。
自分の行動として、言葉を内在化できない。

hirougaya 2012/04/24 21:49:38

日本人と、日本語でFBをしても、本当につまらない。
退屈なのは、受け身で眺めているだけで、能動性の欠如した人が99%だから。
英語でやると、まったく広がりが違う。
欧米、インド、台湾、中国、東南アジアへと、どんどんニュースが広まっていく。
これほどわかりやすい話はない。

hirougaya 2012/04/24 21:53:29

「日本の政治家ほど、楽な職業はない。
優秀な官僚がおぜん立てし、国民は無気力で無関心、何をしても怒らない」と、諸外国で言われているのを知っているか? 
君らは、あの愚かな為政者にナメきられるほど、愚かな国民だと思われている。
悔しくないのか?

hirougaya 2012/04/24 21:58:27

「いい写真ですねえ」とか、賛辞がほしくて、タダで、ネットで、写真やニュースを公開しているのではない(そりゃ褒めてくれるとうれしいけど)。
これを、世界に伝えたいから、タダで必死でやっている。
言葉はいいから、行動したらどうか。
「言葉の前に行動」という言葉を、みんな知らないのか?
クリックひとつだよ。

hirougaya 2012/04/24 22:09:51

発話者が愚かだと、インターネットも、内輪の雑談ツールにしかならないのだ。

hirougaya 2012/04/24 22:10:59

また1ヶ月もすれば、みんなまた元に戻って、のんびり受け身の、指示待ち生活に戻るだろう。
3.11からたった1年で、もうこれだもの。
難民たちは、疲弊し切っているのに、知らんぷりだ。
「マスコミは静かすぎる!!」と言っている、みなさんの関心が低下しているの、シェアやRTの数ですぐわかるんだけどねえ。

hirougaya 2012/04/24 22:38:50

ベント終わり
hirougaya 2012/04/24 22:50:58 
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「刑事責任なんてあるもんか!誰もが責任の痛みを分かち合い、この教訓を学ぶべきだ!」by 野田佳彦

2012年04月24日 | 日本とわたし
3月3日、『津波と子どもたち』のビデオを、必死になって文字起こししてたあの日、
見たこともない、恐ろしい自然災害が、日本の東北の太平洋沿岸を襲った日から、ほぼ一年が経とうとしてたあの日、

日本の総理大臣が、世界に向けて、こう言い放ってた。

「フクシマでの核のメルトダウンについては、誰にも責任を問うことはできない」と。


今朝のツィッターで見つけた、机の上の空 大沼安史の個人新聞というブログに書かれてあった記事。

そんなこと、あり得へんと思て英文を読んだ。
ほんで、あの男はマジで、そんな無責任も甚だしいことを、公の場で言うたことを知った。


野田首相は3.11を1週間後に控えた記者会見で、「刑事責任はないのか」と問われ、

① 第一義的な事故責任はもちろん東電にある

② しかし、政府も東電も学界も、安全神話に深く浸っていた。結果として言えることはこれだ。

③ 個人を責めるのではなく、誰もが責任の痛みを分かち合い、この教訓を学ぶべきだと思う。


――と語った。

以下は、実際にAFP報道によって、世界に報道された英文の記事。 

 A week ahead of the anniversary of the disaster, the premier swatted away a question over criminal responsibility for the meltdowns that forced tens of thousands of people from their homes and polluted the land and sea.

 "Of course, the primary responsibility under Japanese law rests with the operator" of the stricken plant, Tokyo Electric Power (TEPCO), Noda said.

 "But the government as well as operators and academia were steeped too deeply in the safety myth and I think that is what we can conclude.

 "Rather than blaming any individual person I believe everyone has to share the pain of responsibility and learn this lesson."



この男を褒めちぎってる国が存在する。
それがここ、アメリカ。
軌道を逸してる、正義乱用誤用しまくりの、ここアメリカのお気に入りの御用聞き。

さて、このおっさん、どないしてくれよう……。
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スカタン王国のドアホウ文科省に告ぐ。「即刻回収っ!」

2012年04月23日 | 日本とわたし
ツィッターのちほたんが、朝日新聞の読者投稿欄に掲載された記事の写真を載っけてくれた。
それがこれ↓。



放射線をPRする冊子に怒り
パート 山口 恵美子(さいたま市西区 42)

先頃、小学4年の長女が帰宅後、学校で配られた、と言って冊子を見せた。
それを読んで、内容に身震いした。

「放射線について考えてみよう」という題名の副読本だが、
私たちが最も知りたい、原発事故の危険性について教えることを目的にしたものではない。
むしろ、放射線がいかに身近に存在し、有効に使われてきたかを、強調する内容だった。

特に「身近にある放射線を測ってみよう」と、計測器の写真がずらりと並べられたページには、怒りが抑えられなかった。
福島の子どもたちが、計測器を首に下げて外出せざるを得ないことを、考えたことがあるのか問いたい。
全体的にも、子どもたちの原発に対する意識を、好意的な方向に導くため、作成されたとしか思えない。

文科省は、億単位の税金を使って、放射線に関する冊子をつくり、全国の小中学校に配布したという。
福島第一原発の事故が起きて、わずか1年しかたたず、汚染地域の復旧のめどすら立たない中で、
このようなプロパガンダを載せた冊子は、即刻回収すべきだ。
長女の担任の先生は、残念ながら、中身をあまり検討せずに配布したようだ。
もっと高い意識を持ってもらいたい。



この冊子が、どれぐらいの範囲で、どれぐらいの数の学校に配布されたかは知らん。

けどな、これが、原発の重大事故を起こして、まだ緊急事態から全く抜け出せんままで、
核物質の塊の燃料がいったいどこでどんなふうになってるのか、さっぱり分からんままで、
放射能の汚染は想像もつかんほど甚大で、しかも一年以上もの間、毎日それは増え続けてて、
空気も土も海も、汚すだけ汚しといて放っときっ放しで、
わからん、知らん、お手上げですからって、シラッとしてて、
会社のためやからって、事故を利用して更に金儲けをしようと企んでて、
そろそろ、海外も黙ってられんようになって、あちこちの議会で案を練られてる国の、文科省のすることか?

なんやねんコレ?
誰が作ったんコレ?
放射能は、「みんなで測ってみよう」言える代物なんか?

親御さん、怒りや!
今回ばかりは真剣に怒りや!
こんなもんに金使うな!
こんなもんを読ませんな!
わたしは今だに思てるで。
あきらめてへんで。
親は子どもを守らなあかん。
守るためなら、学校のひとつやふたつ、全校で有志を募って、占拠するなり拒絶するなり、なんとでもできる。
週末デモも意思表示のひとつ。
ボイコットもそのひとつ。
オキュパイもそのひとつ。

ここまで狂てしもてんねん。もう治らへんねん。これが日本の仕組みやねん。
あんたら、自分の子どもぐらい、体張って守ったりぃな!
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「科学の名を借りた壮大なウソ」by【東京新聞】 こちら特報部 2012/4/21

2012年04月23日 | 日本とわたし
「科学の名を借りた壮大なウソ」 内部被ばく 無視の歴史
【東京新聞】こちら特報部 (出田阿生記者) 2012/4/21 より

肥田舜太郎医師に聞く

「100msv未満の被ばくは問題ない」 -

福島原発事故後、政府や一部の学者たちは、そう繰り返してきた。
よりどころは、国際放射線防護委員会(ICRP)の見解。
しかし、原爆の被爆者医療に60年以上携わった、肥田舜太郎医師(95)は、見解を、「科学の名を借りた壮大なウソだ」と断言する。
「ウソ」の源流には、原爆傷害調査委員会(ABCC)の、調査活動があった。


源流は米の軍事研究 原爆の健康被害 今も

ICRP基準に受け継がれ

「ICRPの基準など信用できない
その原点は、広島・長崎の被爆者を調べた、ABCCの調査にあるからだ。
内部被ばくを考慮しない、うそっぱちの内容だった」

肥田医師は、戦後一貫して、そう訴え続けてきた。

1945年8月6日。
当時、28歳で、広島陸軍病院の軍医だった日田医師は、
広島市中心部から7kmほど離れた、戸坂(へさか)村(現在は戸坂町)で、爆風に吹き飛ばされた。

市街地に戻る途中、体中から、無数のぼろ切れを垂らし、
手から、黒い水をしたたらせて歩く、人影に出会った。
ぼろ切れは皮膚、黒い水は血だった。
腰まで水に浸かって、川を渡ろうとすると、死体がぶつかっては流れた。

多数の負傷者を、治療するうち、
爆心地から離れた場所にいた人々が、突然亡くなるという、不可思議な現象が始まった。

紫斑が出て、髪が抜け、大量出血して、息絶える。
原爆投下から1週間後に、市内に入り、夫を探していた女性は、血を吐いて急死した。
同様に、投下後に市内に入り、肥田医師の腕の中で、
「わしは、ピカにはおうとらんのじゃ」と叫び、息を引き取った男性もいた。

肥田医師たちは当時、内部被ばくのことを知らず、そうした症状を、「入市被爆」と名づけた。
生き延びた患者の中にも、ある日突然、体がだるくなって動けなくなる、「ぶらぶら病」が多発した。

「こうした健康被害が、『内部被ばく』で説明できると知り、長年の疑問が解けたのは、30年後。
米国の、アーネスト・スターングラス博士の研究に、出会ってからだった」
と、肥田医師は語る

米ピッツバーグ大学名誉教授である、博士の著書には、外部被ばくとは別に、
「食べ物や水を通じて、体内に放射性物質が入ると、低線量の被ばくでも、健康被害が出る」
という、内部被ばくの危険について、解説されていた。

ABCCはそもそも、調査対象を、爆発による爆風・熱線・初期放射線に限定し、入市被爆者を、対象から外していた。

肥田医師は、
「じわじわと人間をむしばむ、残留放射線による内部被ばくが無視された、
そんな調査から導かれた数値を、防護基準にするなんて、めちゃくちゃもいいところ」
、と憤る。

当時、担当していた患者に頼まれ、ABCCの施設に付き添った。
患者は、原爆が爆発したとき、広島市内にいなかったと、ABCC側に伝えた。
すると、「被爆者ではない」と、門前払いされた。

「ABCCの真の狙いは、原爆の殺傷能力を、調べることだった」と、肥田医師は語る。
治療は一切せず、被爆者の体液や組織を採取。
亡くなると、遺体の臓器を取り出し、米陸軍病理研究所に送った。

肥田医師は、
「あのとき、治療に挑んでいたら、放射線障害に対する医療は、その後、格段に進んだだろうに」、と悔やむ。

ただ、治療はおろか、終戦後の占領下では、日本の学界が、放射線被害を調査、研究することすら禁じられていた。

現場にも、情報は来なかった。
肥田医師も、46年ごろ、「『原爆は、米軍の機密なので、外部に出さないように』との、厚生大臣の通達があった。
「被爆者のカルテは、記入しないように」と、勤務先の院長から、指示された。

「広島・長崎の被爆者は、呼吸や飲食で体内に入った、放射性物質の影響で、60年以上たった現在も、ガンや、さまざまな病気に苦しめられている」

「低線量でも影響」

今回の、福島の事故後、政府は、『低線量の放射性物質は、健康に影響しない』と言い続けているが、
内部被ばくは、どんなに微量であっても、影響がある

そのことは、「フクシマ」の、将来に重なる。

「低線量内部被ばくによる健康被害は、数年後に出てくる。
治療方法は、まだ見つかっていない。
だからこそ、政府が、予算を組み、原爆医療をしてきた人たちを中心に、大学医学部に拠点を設け、
被ばく者を受け入れる、態勢を整えなければいけない」


〔デスクメモ〕
ABCCは、1975年に、財団法人・放射線影響研究所になる。
その元理事長、故・重松逸造氏は、チェルノブイリ事故で、
「国際原子力機関(IAEA)の調査団を率い、放射線の健康影響は、認められない」と報告。
ベラルーシの代表から、強く抗議された。
フクシマはどうか。
事実を、埋もれさせてはならない。(牧デスク)
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【ボクとママの放射能教室】東京新聞より

2012年04月23日 | 日本とわたし
【ボクとママの放射能教室】東京新聞 2012年3月24日 

シーベルトは2つある ある臓器か、全身か

「ただいまあ」

「お帰り。遅かったのねえ。もう外が暗いのに」

「サッカーの練習が長引いちゃって。ところでママ、ベクレルとセシウムってどう違うの?」

「いきなりか。うーん、いい質問ですね、と言いたいところだけれど、それは違いすぎるね。
せめて、ベクレルとシーベルトはどう違うの?って聞いてほしかったな」

「じゃあ、ベクレルとシーベルトはどう違うの?」

「どちらも放射線や放射能の単位。多ければこわいってことかな」

「それだけ?」

「物足りないかな。それじゃもっと話してあげようか。
ベクレルは、セシウムとかヨウ素とか、放射性物質が持っている、放射能の強さ。
シーベルトは、放射線を人が浴びたときの、影響を表す数値なの」

「あまりピンと来ないな」

「玄関に明かりがついているでしょ。
これが豆電球だったら、少し離れればちっとも明るくない。
シャンデリアだったら、相当遠くでも明るいよね。
ベクレルは、電球そのものの明るさで、シーベルトは手元の明るさだと思えば、だいたい間違いない」



「だいたい?」

「ベクレルはともかく、シーベルトはややこしい。
シーベルトで表されるものは、本当は二つある。
一つは等価線量、もう一つは実効線量。
等価線量の方は、わりと単純に、ある臓器の被ばく量を表したもの。
体全体を考えるのが実効線量で、放射線の影響を、臓器ごとに重み付けして足し合わせた、平均値のようなものね」

「ちんぷんかんぷんだね。でも、どうしてそんなことをするの」

「体の一部だけ被ばくするときもあれば、全身被ばくするときもある。
いろいろな場合に、対応するためかな。
たとえば、ヨウ素を吸い込むと、甲状腺という、小さな臓器に主に吸収される。
『甲状腺で、87ミリシーベルトの被ばく』っていうニュースが流れたんだけど、
これは等価線量のことで、実効線量にすると3.5ミリシーベルトにしかならないんだって」



「訳わかんない」

「シーベルトって、重さあたりのエネルギーだから、軽い甲状腺で大きい数字が出ても、全身でみたらぐんと小さくなる。
そうねえ、お勉強にたとえたら、等価線量は、科目ごとのテスト結果で、実効線量は、合計点を科目の数で割ったようなものかなあ。
まあ、これは、大学の放射線専門の学科で習うレベルだから、キミが理解できたら、ママの説明がよほどじょうずってことになるわね」

「大きくなれば、わかるようになるかな」

「シーベルトは普通、実効線量のことだけど、ときには、等価線量のことを言っている場合もある。
新聞でもテレビでも、どちらなのか言わないから、混乱するわね。
放射線のことを、教えてもらう機会があったら、『先生、それは等価線量ですか実効線量ですか』と聞いてみたらどう? 
ロングシュートを決めたときみたいに、視線が、キミに集中するのは確実だよ」

「またそれかよ」



【ボクとママの放射能教室】東京新聞 2012年4月21日

米作りとセシウム 雪解け水 影響未知数  

「ただいまあ、ママ、突然だけど、雪国はつらいよ条例って知ってる?」

「なあに、それ、寅(とら)さんのパクリ?」

「ちょっと前の社会の教科書に、そういうのがあるって書いてあったんだ。ほんとは、雪国はつらつ条例っていうんだけど」

「そりゃまた歴史に残るミステークねえ。雪国はつらいよ。なんだかいろんな意味で、福島のことみたいねえ。
雪解けで、山にたまった放射性セシウムが、田んぼに流れ込んでくるって心配されてるよ」

「稲が、セシウムをすーって吸い取りそうだなあ」

「まあね。土に入ったセシウムは、作物にはなかなか吸収されないけれど、水にとけたセシウムは、よく吸収されるらしいね」



「セシウムごはんは、あまり食べたくないな」

「でしょ。去年の秋に収穫したとき、セシウムの濃度がとくに高かったところは、ことしは稲を作ってはいけないことにしたのね。
福島県で、米作りをしていたところの一割ちょっとは、ことしは作らない。でも問題は、中くらいにセシウムが出たところなの」

「中くらいって?」

「4月から、食品の基準が厳しく変わったよね。
1キログラムあたり、100ベクレル以下にしなくてはいけないんだけど、
去年のコメが、100ベクレルから500ベクレルだった田んぼで、米作りをやるべきかやめるべきか、議論になったのよ。
食べる方の消費者は心配するし、一方で、作りたい人もいる。
お役所は困ったから、地元にどうしますかって相談したら、一つの村以外は、全部作りたいって言ってきたわけ」

「大丈夫なの?」

「条件つきだからね。収穫の後、全部の米袋を検査して、セシウムが基準値以下かどうか、調べることにしているの。
どうなるかは、作ってみなくては分からないっていう感じね。
事故直後のように、田んぼにセシウムが降り注ぐことはないだろうけれど、用水からの吸収が、どれくらいになるか分からない。
田んぼごとに、状況は違うしね」

「そんなお米、売れるの」

「消費者の見方は厳しいよ。
牛肉に関するアンケートでは、セシウムが少しでも検出された食品は、売るべきではないという項目に、
半分以上が『そう思う』、『どちらかというとそう思う』と答えているの。
この前教えてあげたみたいに、セシウムのベクレル数を合計して、10万分の1.3をかけてミリシーベルトに換算すれば、
体にどの程度の影響があるかは、見当がつくんだけれど、そんな消費者いるかなあ」

「電卓がいるね」

「福島では、涙ぐましい努力をしているんだな。
田んぼのカリウムを多くすれば、セシウムの吸収が少なくなるとか、ため池から水をとるときは、表面から取水しましょうとか。
それで、都会の消費者の不安がなくなるかといったら、難しいかもしれないね」

「早く『つらいよ』が、『はつらつ』に変わるといいね」 
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幼子フィンと楽しいひととき

2012年04月22日 | 友達とわたし
ずっと雨が降ってる。
金曜日に植えた野菜の苗が、大丈夫かどうか心配やけど、仕方がない。
雨は火曜日まで続くらしい。
ごめんやで、寒い思いさせて。

藤は雨の日もきれい。


去年の夏の一才誕生日パーティ以来の、フィンと彼のパパ&ママに会いに行く。
マンハッタン島の北西にある彼らのアパートには、ジョージ・ワシントン・ブリッジが最適。


アンドリュー手作りのピザとサラダ。


今週はずっとパーティ続きで疲れてたフィン。
また知らんやつが来たと、最初はちょっとぐずってた。
けど、ほれこの通り、かわいい笑顔!


フィン……もう赤ちゃんは卒業して、すっかり男の子になってた。

ママのモーリーは、とても優れた、自閉症カウンセラーのエキスパート。
パパのアンドリューは編集の仕事をしてる。
ふたりとも音楽が大好きで、家の中で楽器を演奏して楽しむ時間を大切にしてる。
今夜はパーカッションとギターのセッション。
フィンのリズム感がすごい!


どんどんノリノリになってきたフィン。それを嬉しそうに眺めるアンドリューパパ。


さて、楽しい時間はすぐに過ぎる。
お風呂に入り、すっきりしたフィンが、渋い木製の三輪車に乗ってみせてくれた。


バックかてできまっせ~♪


今どきの子どもは、こうやって、パソコンの画面の自分を見て楽しむ。


なんと嬉しそうなこと。


フィンは眼の中に、一才半とは思えない哲学を持っている。赤ちゃんの時からそうやった。
おっきくなる過程が楽しみ。
おっきくなるといえば、彼は言葉通り、きっと背が高い男の子になるやろな。
だって、パパが2メートル超えてるし、ママも背が高い。
音楽に堪能なバスケットプレーヤー……なんてのが多分、今のパパ&ママの夢なのかも。

旦那の大学時代からの友達がほぼ、結婚して子どもを授かったことになる。
皆、40才を超えてからの結婚やから、あと二ヵ月もしたら大学の支払いが終わる父親をやってる旦那は異端中の異端。
その手の話になると決まって、友人夫婦は、遠くを見つめてため息をつく。

気持ちはわかる。
アメリカの大学は半端やなく高い。めちゃくちゃ高い。
でもまあ、それまでまだまだ時間はあるから、とにかく今の、子育てをうんと楽しんでな、とわたしは言う。
赤ちゃんから青年になるまでの、子育てのキラキラした楽しさは、どんなにしんどても、たとえ苦しいことと重なったとしても、
何ものにも代え難い、ほんまにすばらしいことやから。

けどほんま、人の子ってのは、育つの早いね。
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世界から笑われてんのがわかんないのか!変えてぇんだよこんな国を!

2012年04月22日 | 日本とわたし
映画『沈黙しない春』予告編


あえて空気読まないラッパー・RUMI

妻子とともに逃げる元教師・野村さん

吠える21世紀ヒッピー・陽太くん

飯館村出身の牛・福ちゃん&島ちゃん

魂をかき鳴らす歌い手・三宅洋平

走る“脱原発”系女子高校生・詩織ちゃん


ドキュメンタリー映画『沈黙しない春』
監督・撮影・編集 杉岡太樹
日本/125分/カラー/HD/2011年

5/12(土)~ 渋谷UPLINKにて公開


「デモ」ってなに?!「脱原発」ってカッコイイの?!

日本各地を駆け巡った「デモ」。
はじまりは、ひとりの女子高生の思いつきからだった……。
準備はたったの1週間、呼びかけはブログとツイッター。
2011年3月27日、­東日本大震災以降初の"脱原発デモ"は、約300人を名古屋の路上に集め、
その後に、全国で巻き起こる、原発反対運動の口火を切った。

福島から、妻子を連れて、避難を続ける元教師、
上関原発建設に、断固反対する、21世紀ヒッピー、
それぞれの音を奏でる、路上のミュージシャン。
東京、大阪、広島。
各地のデモを通し­て見えてくる、「日常」を生きる、若者の本音や葛藤……。
"脱原発"の裏側を舞台に、若き逆輸入監督が、これからの生き方、在り方を問いかける。
福島第一原発事故から、浜岡原­発停止まで、ただちに声を上げることを、選んだ者たちの、
交差する44日間を紡いだ、NONSTOP群像ドキュメンタリー映画が誕生した!
コメント (2)
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