わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

抹茶々碗 (京焼き1)

2010-05-10 22:22:04 | お茶と「茶の湯」と茶道具(茶陶)
京焼きの、抹茶々碗に付いて、述べます。

京焼きの特徴は、色付などの、華やかさに、有ります。

・ 茶の湯は、僧侶階級から、町人階級へ、更に武士階級、そして貴族階級と、広がりました。

 ① 千利休の茶道は、「侘び、さび」を尊び、町人階級に広がります。

   (当時町人は、海外貿易や、武器の製造などで、巨額の富を築き、多くの豪商がいました。)

 ② 織部の茶の湯は、武士階級向けの茶道で、茶碗は、無骨で力強く、豪快な造りと、なっています。

   (古田織部は、多くの大名の、茶の湯の師匠に成ります。)

 ③ 京焼きは、宮廷、貴族向けの、茶の湯の道具で、色絵などの、華やかさが有ります。

   戦国時代には、落ちぶれていた、宮廷人や、貴族は、江戸の平和に成ると、中位の大名と

   同じ程度の、領地を賜り、経済的に余裕が出てきます。

   そして、茶の湯を始める人が、多くなり、華のある、京焼きが、持てはやされる様に、成ります。

  ・ 天皇、上皇、皇族、公卿、僧侶などが、(後述の)野々村仁清に、型紙や、図面を送り、

    作品を注文しています。

1) 京焼きの始まり

   京焼きは、寛永元年(1624年)京都粟田口(あわたぐち)に、瀬戸の陶工、三文字屋九右衛門が、

   窯を開いたのが、始まりと言われています。

   それ故、粟田口焼きが、京焼きの最古の窯と、成ります。

   粟田口焼きは、茶器を主に焼き、呉器や伊羅保などの、高麗写しも、造っていました。

・ 元禄頃までには、粟田口以外に、東山一帯の、清水(きよみず)、音羽、御菩薩池(みぞろがいけ)、

  清閑寺などの窯が、築かれています。これらが、清水焼(きよみずやき)の起源となります。

1) 古清水

 ① 仁清が、赤絵や錦手、色絵などの、上絵付けされた茶道具を、製作すると、需要が高まり、

   東山山麓の諸窯でも、これに習った作品が、多く造られる様に成ります。

 ② この仁清風の錦手(色絵)で、江戸時代の中期以前(十八世紀頃)の作品を、古清水といいます。

   「古清水」には、華やかな色絵と並んで、清楚な錆絵と、染付併用の手法が、多く見られます。

 ③ 古清水の特徴

   青と緑を主に上絵付し、赤を使わ無い、陶器で、全体を覆うように、均一な文様と、ごく一部に

   金彩、銀彩が施されています。 

   古清水手は、雅趣に富み、絵付が京焼の伝統文化を、色濃く反映しています。

 ④ 茶碗では、錆絵、染付け、錦手(色付け)が、造られていました。

   茶碗の形は、単純な碗形が多く、凝った造り出は無く、装飾に力点が、置かれています。

 ・ 錆絵:鉄分を含んだ、絵の具で、絵柄を描きます。この絵柄を、錆絵あるいは、鉄絵といいます。

   その発色は、黒から茶色の間と、幅が広く、鉄の配合や、焼成の状態などによって異なります。

  ・ 又、錆絵と染付を併用した、清楚な作風の、作品も有ります。

    尚、錆絵は、本来「漆塗り」や、日本画の絵の具や、技法を指す、言葉だそうです。

2) 野々村仁清について

以下次回に続きます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする