前回に続き、京焼きの、抹茶々碗に付いて、述べます。
3) 乾山焼(けんざんやき) 尾形乾山(おがたけんざん、1663~1743年)
万治年間(1658~61)頃から、宮廷や、公家、寺社等に買い取られていた、京都の焼物は、
町人(豪商)達が、買い求める様になり、町売りが、始まります。乾山の作品も、公家や、宮廷向けで
無く、町人階級向けと、変化していきます。又、京焼きは、尾形乾山の出現によって活気を
迎える様になります。
① 乾山は、野々村仁清の、弟子では有りますが、作品は、大きく異なっています。
② 兄、尾形光琳や、俵屋宗達、光悦などの、恵まれた環境の中で、茶碗を初め、向付、八寸皿など、
茶道具を中心に、製作に励みます。
・ 特に、乾山作に、光琳が、絵付けや詩、和歌を書き込むと言う、合作で優れた食器類を、
造りました。(この様な事は、今まで無かった事です。)
③ 乾山は、正徳2(1712)年より、二条丁字屋町に、窯を設けて焼物商売を、始めており、
その清新な、デザインを持つ食器類は、「乾山焼」として、世上の好評を博しました。
茶碗には、銹絵、色絵の他に、楽焼も作っています。茶碗の名品を、以下に列挙して置きます。
銹絵瀧山水図茶碗、銹絵染付松図茶碗茶( 径:9、高さ:7.3)、
色絵槍梅図茶碗 (高さ7.3 径:10、高さ:7.3)
銹絵染付春草図茶碗( 径:10、高さ:6.9 )
乾山銹染付松絵茶碗 (径:12.3、高さ:6.3 高台径:6.7)
乾山銹染付竹絵茶碗 (径:11.1 高さ:7.8 高台径:4.2)などです。
4) その他の京焼き
乾山没後、衰えていた京焼きを、再興した陶工に、以下の様な人がいます。
① 奥田 頴川(おくだ えいせん、1753~1811年)京焼きの磁器製造に、成功し、
青木木米、仁阿弥道八ら、若手工人達に、その技術を公開し、京焼の発展に貢献しました。
作風においても、従来の京焼とは異なり、「染付」「赤絵」「交趾」など中国風の絵付けを施し、
一大ブームを起こしました。
② 二代目、仁阿弥道八(にんなみ どうはち、1783~1855年)
作品の中に、楽焼や色絵の茶碗もあり、 多種多彩な、作品を大量に製作しました。
特に色絵は、「尾形乾山、野々村仁清の再来」とまで、称された名手です。
・ 道八銹染付梅花図茶碗(口径:12.1 高さ:8.9 高台径:5.4)は、高台が高く、
3箇所の割り高台に、やや撥高台風になっています。
③ 永楽保全(えいらくほぜん)( 1795-~1854年 )
青木木米、仁阿弥道八と並び、後期、京焼の「幕末三名工」として、京焼第二の黄金期を、
築いた一人として著名です。 保全は、人気の高かった、朝鮮や中国陶磁の手法、
染付などを用いて、茶陶を焼きますが、単なる模倣ではなく、意匠・釉法ともに時代の好みを、
反映した、新しい茶陶を作り上げます。
④ 青木木米(あおきもくべい、1767~ 1833)は、35才の時に、加賀藩前田家の招聘を受け、
絶えていた、加賀九谷焼の再生に尽力します。 陶工としては、煎茶器を主に制作します。
・ 金襴手花鳥文煎茶茶碗(口径:6.8)5個揃え。その他 白磁、青磁、赤絵、染付など、
その作域は幅広いです。
唐物、朝鮮物、国焼きの抹茶々碗は、今回取り上げた以外に、多くの窯で焼かれ、各々特色が
有りますが、記事が長く成りますので、「抹茶々碗について」は一応終わりにしたいと、思います。
今後も、茶碗以外の、茶道具を、順次取上げて行く予定です。
3) 乾山焼(けんざんやき) 尾形乾山(おがたけんざん、1663~1743年)
万治年間(1658~61)頃から、宮廷や、公家、寺社等に買い取られていた、京都の焼物は、
町人(豪商)達が、買い求める様になり、町売りが、始まります。乾山の作品も、公家や、宮廷向けで
無く、町人階級向けと、変化していきます。又、京焼きは、尾形乾山の出現によって活気を
迎える様になります。
① 乾山は、野々村仁清の、弟子では有りますが、作品は、大きく異なっています。
② 兄、尾形光琳や、俵屋宗達、光悦などの、恵まれた環境の中で、茶碗を初め、向付、八寸皿など、
茶道具を中心に、製作に励みます。
・ 特に、乾山作に、光琳が、絵付けや詩、和歌を書き込むと言う、合作で優れた食器類を、
造りました。(この様な事は、今まで無かった事です。)
③ 乾山は、正徳2(1712)年より、二条丁字屋町に、窯を設けて焼物商売を、始めており、
その清新な、デザインを持つ食器類は、「乾山焼」として、世上の好評を博しました。
茶碗には、銹絵、色絵の他に、楽焼も作っています。茶碗の名品を、以下に列挙して置きます。
銹絵瀧山水図茶碗、銹絵染付松図茶碗茶( 径:9、高さ:7.3)、
色絵槍梅図茶碗 (高さ7.3 径:10、高さ:7.3)
銹絵染付春草図茶碗( 径:10、高さ:6.9 )
乾山銹染付松絵茶碗 (径:12.3、高さ:6.3 高台径:6.7)
乾山銹染付竹絵茶碗 (径:11.1 高さ:7.8 高台径:4.2)などです。
4) その他の京焼き
乾山没後、衰えていた京焼きを、再興した陶工に、以下の様な人がいます。
① 奥田 頴川(おくだ えいせん、1753~1811年)京焼きの磁器製造に、成功し、
青木木米、仁阿弥道八ら、若手工人達に、その技術を公開し、京焼の発展に貢献しました。
作風においても、従来の京焼とは異なり、「染付」「赤絵」「交趾」など中国風の絵付けを施し、
一大ブームを起こしました。
② 二代目、仁阿弥道八(にんなみ どうはち、1783~1855年)
作品の中に、楽焼や色絵の茶碗もあり、 多種多彩な、作品を大量に製作しました。
特に色絵は、「尾形乾山、野々村仁清の再来」とまで、称された名手です。
・ 道八銹染付梅花図茶碗(口径:12.1 高さ:8.9 高台径:5.4)は、高台が高く、
3箇所の割り高台に、やや撥高台風になっています。
③ 永楽保全(えいらくほぜん)( 1795-~1854年 )
青木木米、仁阿弥道八と並び、後期、京焼の「幕末三名工」として、京焼第二の黄金期を、
築いた一人として著名です。 保全は、人気の高かった、朝鮮や中国陶磁の手法、
染付などを用いて、茶陶を焼きますが、単なる模倣ではなく、意匠・釉法ともに時代の好みを、
反映した、新しい茶陶を作り上げます。
④ 青木木米(あおきもくべい、1767~ 1833)は、35才の時に、加賀藩前田家の招聘を受け、
絶えていた、加賀九谷焼の再生に尽力します。 陶工としては、煎茶器を主に制作します。
・ 金襴手花鳥文煎茶茶碗(口径:6.8)5個揃え。その他 白磁、青磁、赤絵、染付など、
その作域は幅広いです。
唐物、朝鮮物、国焼きの抹茶々碗は、今回取り上げた以外に、多くの窯で焼かれ、各々特色が
有りますが、記事が長く成りますので、「抹茶々碗について」は一応終わりにしたいと、思います。
今後も、茶碗以外の、茶道具を、順次取上げて行く予定です。