ポール・オースターの本『空腹の技法』の中で言及されていた、エドモン・ジャベスの'63年作品『問いの書』を読みました。
独特の形式で書かれた数々の散文詩からなっていますが、それはロラン・バルトの言葉を借りれば、「言葉がまさに生成する現場に立ち合う試み」、「エクリチュールとの戯れの中から、異化された『生身の』言葉を原生させる試み」と言えるものでした。それは謎めいた言葉の連なりであり、私は2番目の詩を読んだところで、その面白さに満足してしまい、もうお腹いっぱいになってしまいました。
その詩を少し引用してみます。
「『この扉のうしろでは、いったい何が起っているのだろう?』
『一冊の書物がむしり取られているのだ。』
『この書物の物語は何なのか?』
『ひとつの叫びを自覚することだ。』
(中略)
『書物はどこに位置しているのだろう?』
『書物のなかだ。』
『おまえは誰だ?』
『この家の番人だ。』
『おまえはどこから来たのか?』
『私は彷徨った。』
(中略)
『われわれはひとつの物語に直面しているのだろうか?』
『私の身の上は何度も何度も物語られた。』
『おまえの身の上はいかなるものだ?』
『それが不在である限りにおいてわれわれの来歴だ。』
『私にはおまえがよくわからない。』
『言葉が私を引き裂くのだ。』
『おまえはどこにいる?』
『言葉のなかだ。』
『おまえの真理とはいかなるものだ?』
『私の胸を引き裂く真理だ。』
(後略)」
問答の形式を取っていますが、問いに対し微妙に答えになっていない答えがあったりして、謎めいた味わい深い詩となっていて、いかにもオースター好みの詩だとも思いました。オースターファンの方にはオススメです。
独特の形式で書かれた数々の散文詩からなっていますが、それはロラン・バルトの言葉を借りれば、「言葉がまさに生成する現場に立ち合う試み」、「エクリチュールとの戯れの中から、異化された『生身の』言葉を原生させる試み」と言えるものでした。それは謎めいた言葉の連なりであり、私は2番目の詩を読んだところで、その面白さに満足してしまい、もうお腹いっぱいになってしまいました。
その詩を少し引用してみます。
「『この扉のうしろでは、いったい何が起っているのだろう?』
『一冊の書物がむしり取られているのだ。』
『この書物の物語は何なのか?』
『ひとつの叫びを自覚することだ。』
(中略)
『書物はどこに位置しているのだろう?』
『書物のなかだ。』
『おまえは誰だ?』
『この家の番人だ。』
『おまえはどこから来たのか?』
『私は彷徨った。』
(中略)
『われわれはひとつの物語に直面しているのだろうか?』
『私の身の上は何度も何度も物語られた。』
『おまえの身の上はいかなるものだ?』
『それが不在である限りにおいてわれわれの来歴だ。』
『私にはおまえがよくわからない。』
『言葉が私を引き裂くのだ。』
『おまえはどこにいる?』
『言葉のなかだ。』
『おまえの真理とはいかなるものだ?』
『私の胸を引き裂く真理だ。』
(後略)」
問答の形式を取っていますが、問いに対し微妙に答えになっていない答えがあったりして、謎めいた味わい深い詩となっていて、いかにもオースター好みの詩だとも思いました。オースターファンの方にはオススメです。