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木皿泉『木皿食堂』

2014-08-20 14:38:00 | ノンジャンル
 木皿泉さんの'13年作品『木皿食堂』を読みました。木皿さんによるエッセイ、木皿さんへのインタビュー、木皿さんと羽海野チカさんとの対談、木皿さんによる解説・書評、木皿さんによるシナリオ講座、木皿さんのシナリオ2編からなる本です。
 印象に残った文章を引用させていただくと、「私が、日々、役に立ちそうもないモノを、目の仇のようにして買いあさるのは、たぶんお金に対しての恨みを晴らすためではないかと思っている。こんなもののために苦労させられているという鬱憤を、思いっきりつまらない遣い方をして、お金に『ざまぁみやがれッ!』と毒づいているのだ」、「先日、ドキュメンタリーの監督さんに会ったとき、日本人ってほんとに本物が好きだよね、という話になった。海外のドキュメンタリーは、決定的瞬間を撮り損なった場合、本人にもう一度同じことをやってもらって撮影してもOKなのだそうだ。事実を本人が再現しているのだから嘘はついていない、という考え方なのだという。しかし、日本でそれをやると、ヤラセということで大問題になるに違いない」、「缶入りのミートソースにウインナーをまぜただけのパスタでも、やっぱりそれは、おふくろの味なのだ。その匂いをかいだだけで、自分の母親を思い出して、くすぐったいような、切ないような、照れくささを感じるからだ。そして、そんなもののおかげで自分は今ここにいるのだなぁとしみじみと思える。それは、自分が死ぬまで持ち続けることができる財産みたいなものだろう」、「介護という人間相手の仕事なのに、自分の思い通りに進めようと無理をしていた。早くやろうと焦ることが、一番の遠回りになる」、「幸せであり続けることは、とても難しい。それは、今も昔も同じだと思う。ただ、昔の人は、そのことを身にしみてわかっていたのだ。だから、無事に年を越せたことに誇りをもっただろう。晴れがましく鯛を配っていた父がそうだったように。おせち料理の駄ジャレもそうだろう。よいことばかりであってほしいという、切なる願いが最初にあったのだと思う」、「リアルな(作品)世界を創るには、渦を巻くぐらい圧倒的な想像力がいる。現実をそのまま切り取っても、リアルでも何でもないんです。ウソ(フィクション)を突き詰めることで、リアルなものを見つけたい」、「昔の子供は生ものを食べさせてもらえなかった。大人しか食べてはいけない、というものが、昔はあった。にぎり寿司は、お客さんだけが食べられるご馳走で、『残せ、残せ』と隣の部屋で念じたりした」、「一緒に食べたという幸せな記憶は、いつ必要になるのだろう? たぶん、胸がつぶれるほど嘆く日のためにだろう。そんな日も、私たちは、何かを食べねばならないからだ」、「人間は、どこかの時点で世の中の厳しさを知らねばならないのである」、「私たちが一番受け入れがたい現実は、親がいずれ死ぬということではないだろうか」、「その前に彼が単独でやったラジオドラマがあって、『もしかして時代劇』という作品です。それがまあ、すごくヘンなドラマで(笑)、ギャグ満載の作品だったんです」、「(『野ブタ。をプロデュース』の)七話は後半の展開がすごいですよね。彰は野ブタに殴られるし、修二はまり子を振っちゃうし、野ブタは修二に抱きついちゃうし」、「人って、物語が絶対に必要だと思うんですよ。何でかっていうと、やっぱり物語が無いと、きついんですよ。生きるのって(笑)」、「でもなぜか(島本和彦の)あの名言集『炎の言霊』だけは読んでいて(笑)」、「痛みを与えてくれる人、イコール、私が生きてると教えてくれる人ですからね」などでした。
 この本を読んで改めて思ったのは、テレビドラマを楽しんで見ている人は、映画を楽しんで見ている人に比べて、ハードルがかなり低いのでは、ということでした。上での言及されている『野ブタ。をプロデュース』の第七話はYouTubeで見ることができましたが、特に「すごい」とは思いませんでしたし、以前にDVDで『すいか』を見た時も、すごく感動した、ということはありませんでした。しかし、“木皿ワールド”というものは確かに見ていて感じましたし、ドラマを見て励まされる人がいるのも事実なのではないかと思いました。早く木皿さんの初の小説『昨夜のカレー、明日のパン』を読みたいと思います。

→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/