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山田詠美『つみびと』その4

2019-12-06 14:30:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。

 自分の身は自分で守る、と決めた私があちこちを彷徨(さまよ)いながらも、ようやく辿り着いたのが、この結婚だった。(中略)
 私の結婚の申し込みに、隆史は、嬉しさを満面にたたえながらも、こう言った。
「成人式を迎えるまで待たなきゃいけないよ。大人になってから、改めて、ぼくの方からプロポーズする」(中略)

〈小さき者たち〉
(桃太と萌音が次第に弱っていく様子が桃太の意識として描かれています。)

〈娘・蓮音〉
 (中略)蓮音は、不在がちな夫や手の掛かる年子の赤ん坊たちから何も返してもらえないような気がしている。
 でも、これこそが、自分の望んだことなんだ! 蓮音は、たびたび途方に暮れたが、自分に与えられた大事な使命として、ひずみの生まれた夫婦の関係や子育ての負担を、正面から受け止めようとしていた。(中略)
 蓮音は、家に戻る道すがら、どんどん重苦しさを増す心持ちに耐えなくてはならない。先ほどまでの楽しさが、まるで嘘のようだ。ただ軽薄に過ぎて行った時間を、あんなにも大事だと感じていたなんて、どうかしていた。(中略)

第八章
〈母・琴音〉
(中略)
 私は、心の内で、こう呟いたのだ。
「なあんだ」
 途端に力が抜けた。隆史の手は伸夫の手ではなかった。そして、隆史の皮膚は伸夫の皮膚ではなかった。唇も、舌も、唾液も、同じではなかった。(中略)
「初めてか」
 そう聞かれたので、正直に答えた。始めてだ、と。(中略)
 あれは、確か、一番下の彩花が歩き始めたあたりだったか。すぐ上の勇太と二人を寝かし付けた後、私も一緒にうとうととしてしまったのだった。
 ふと、体に重みを感じて目を開けようとしたのだが、ままならない。(中略)
 伸夫が、いた。私の布団の上に腹這いになり、今にも唇を寄せんばかりの距離で、こちらの顔を覗き込んでいた。
 それを認めた瞬間、私は絶叫した。(中略)
 明るくなった部屋のどこにも、もちろん伸夫の姿などない。(中略)
 その日から、私は、たびたび悪夢に襲われるようになった。(中略)
 数年ぶりに自分の皮膚に盛り上がる何本もの血のラインを見て思ったのは、リストカットなんてもんは若い子にこそ相応しいってこと。(中略)
 でも、また、やった。何度かくり返した。(中略)
 それなのに、気持は少しも収まらない。(中略)
 そして、私が一番恐れていたのは、子供たちに当ってしまうことだった。(中略)
 叫んだり、腕を切ったり、自責の念に囚われて泣き伏したり。どうにもならないのだった。まるで、自分が自分でないように感じた。(中略)
「頭のおかしいおまえの相手するの、ボランティアより大変だな」
 言われた数日後、私は、精神科病院に入院した。(中略)
(長女の蓮音と、もうリストカットはしないと約束して)それから、しばらくの間、上腕を切って気を楽にしたいという気持をどうにか抑え付けることに成功した。大人に、ようやくなれたと思った。
 しかし、その偽者の大人は、ふらふらと外に出て別の刺激を得ることを覚えてしまった。自分の皮膚を順番に切り開いて行ったように、今度は、親切な男たちが私の足の間を開いて、裂け目を広げてくれるようになったのだ。(中略)

〈小さき者たち〉
 (中略)
 夏を。楽しかった夏を思い出せ。こんなにも苦しめられるのとは違う夏が桃太にもありました。必死に自身を励ましていると、さまざまな情景が浮かんできます。(中略)
 しばらく前、まだ力が残っている頃、桃太は、ありったけの知恵を働かせて、インターフォンの受話器を下に落としました。(中略)
「ママー!! 早く来てーっ、早くーっ、モネ、死んじゃう! ぼくも死んじゃうよお!」(中略)
 ようやくドアは開き、桃太は、もう走り寄る力も湧かずに、どうにか這って母の許に行きました。それなのに、母は、顔をしかめて鼻と口許を覆い、そして言ったのです。
「モモ、なんでママに恥かかせるの? もう、インターフォン禁止だよ!」

〈娘・蓮音〉
(中略)刑務所以前、刑務所以後で、自分の人生は区切られてしまった、と思い至ったものの、それは全然正しくないのは、すぐに解った。
 まったく、違う!(中略)自分は、刑務所に入る以前から既に、人生を切り裂いて罪人の側に立ってしまっていた。もう元には戻れないと知りながら、分別を失くした振る舞いに出た。現実を見るための目を自ら潰しながら生きていた。(中略)
 音吉は、静かに関係を腐らせて行ったし、蓮音は、自分勝手な言動で、せっかく何度もつなぎ止めた愛情を切り離してしまった。それでも二人が覚悟を決めて始めた結婚生活だ。いよいよという時の落とし前だって自分たちで付ける。そう彼女は決意していたのだ。(中略)
 
(また明日へ続きます……)

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