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フランシス・フォード・コッポラ監督『レインメーカー』その3

2015-09-15 05:23:00 | ノンジャンル
 今日はジャズ・ピアニストのビル・エヴァンスの36回忌に当たります。1980年に51歳でこの世を去った彼。最初の妻と、自分に音楽を教えてくれた兄を自殺で失い、自らもほとんど自殺に近い形で、この世を去った彼。彼は若い頃、マイルス・デイヴィス率いるバンドに参加し、黒人との交流を深める中で麻薬を覚え、それ以来、ずっと麻薬との戦いを続け、最後には体を壊してしまうのですが、35年前の今日、とてもピアノを弾ける状態でないにもかかわらず、ステージに立ち、演奏が終わるとすぐに救急車で病院に搬送され、亡くなりました。一部の人々は彼もまた、一種の自殺を遂げたと今でも述べています。彼が30歳の時、ベーシストのスコット・ラファロに出会い、『ポ―トレイト・イン・ジャズ』で実質的なソロデビューを果たし、翌年ニューヨークのジャズライブ会場『ヴィレッジ・ヴァンガード』で録音したライブ音源『サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』、と『ワルツ・フォー・デビイ』、は今でも日本で人気が高く、中でも自分の姪に送った『ワルツ・フォー・デビイ』を収録した同名のアルバムは、今現在でもジャズ専門誌が「好きなアルバム」というアンケートを取ると、1位を維持し続けていています。私は個人的には、軽快でかわいらしい『ワルツ・フォー・デビイ』ももちろん好きなのですが、一番好きなのは冒頭に収められた『マイ・フーリッシュ・ハート』です。気持が落ち込んでしまった時などに聞くと「世の中には、まだこんなに美しいものがある」と泣きながら、生きる勇気をもらえる、そんな曲です。まだ聞いたことがない方、少しでも興味のある方には試しに1度聞いてみることを是非お勧めします。
 さて、また昨日の続きです。
ダニーは裁判の結果を待つことなく死に、私は復讐を誓います。私はデックに自分たちの事務所に盗聴器が仕掛けられていることを教えられ、FBIが仕掛けるほど質のよくないものだと聞き、仕掛けた者の見当をつけます。
 ダニーの母は裁判で争うのに疲れ、17万5千ドルでサインしようとしますが、デックは陪審員候補者と裏取引することで、値を吊り上げる方法を思い付きます。一方、ケリーに離婚の手続きのサインをさせる私。
法廷では私が会社の資産が10億であることを指摘し、1000万ドルの賠償額が妥当だと主張しますが、当時骨髄移植を望んでいたダニーの母はそれが治療に有効だったことを証明できません。その夜、ケリーの家に呼ばれた私は、夫が襲いかかってくるのに反撃し、逆に殺してしまいますが、ケリーは自分のせいにして、すぐに家を去ってと言います。留置場でケリーと会う私。
デックはレマンジック本人を見つけることに成功し、記録収録の2日前に買収されて辞めさせられたこと、請求はすべて拒否するというマニュアルが存在したことを法廷で開示しますが、そのマニュアルは不正に入手されたものだとして証拠採用されません。デックはひそかにストーンと連絡を取って、盗んだ証拠でも証拠採用された判例を教えてもらいます。不起訴になったケリーと留置場を出る私。
最後の証人として保険会社のCEO(ロイ・シャイダー)であるキーリーは、医療委員会報告の議長として「骨髄移植は現在一般的な治療法で、投資の価値がある」と発言していたことを認めさせられてしまいます。ドラモンドは最後に、今回保険会社が負ければ保険金は今後高騰し、次々に起こるであろう保険会社の倒産を防ぐため、政府介入を招くことになるだろうと言い、私は生前のダニーが語る映像を陪審員たちに見せ、裁判は結審します。
そして裁判結果は15万ドルの賠償金に加えて懲罰的賠償金として5千万ドルの支払いを保険会社に命じるものでした。わたしは初の裁判を勝ったことをバーディとデックと喜び、手に入る大金をどうしようかと語り合いますが、キーリーは英国への出発直前に身柄を警察に拘束され、会社も破産の手続きを取ったことを知ります。ドラモンドからは「今回の裁判からは誰も得るものはなかった」と電話で言われるのでした。
「私は弁護士を辞め、法律は好きなのでそれを教える仕事に就き、今後はケリーと暮らすつもりです。私が今後も弁護士を続ければ“常に勝つ”ことを期待され、やがてドラモンドのような怪物になっていくのでしょう」という私の独白で映画は終わります。

特殊な画面構成や編集もなく、素直にストーリーに入っていける映画でした。

 →Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/

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