恒例となった、東京新聞の水曜日に掲載されている斎藤美奈子さんのコラムと、同じく日曜日に掲載されている前川喜平さんのコラム。
まず9月11日に掲載された「古川貞二郎さん」と題された前川さんのコラムを全文転載させていただくと、
「村山内閣から小泉内閣まで8年7カ月にわたり官房副長官を務めた古川貞二郎さんが亡くなった。官僚の先輩として、人生の先輩として、本当に尊敬できる方だった。切れ者といった印象はなく、見方によっては愚鈍にさえ見えた。しかし公共の福祉に尽くそうとする姿勢は一貫していた。最長在任記録はその後安倍・菅内閣の杉田和博氏により更新されたが、僕が杉田氏に同様の尊敬の念をもつことはない。
古川さんは厚生官僚、僕は文部官僚だったので長いお付き合いがあったわけではない。謦咳(けいがい)に接する機会を持ったのは、僕は内閣官房の中の中央省庁等改革推進本部に出向していた1998年から2000年までの時期だ。
省庁再編が行政改革だったのかは疑問だが、各省庁の官僚は血まなこで取り組んだ。それは純然たる縄張り争いだった。僕はその調整に当たったが、省庁間の争いにはほとほと手を焼いた。どうにも捌(さば)き切れなくなった争いを裁いてくれるのが古川副長官だった。
古川さんは各省庁の言い分を丁寧に聴き取り、議論を重ねて解決案を見出した。某省が政治家の力を借りようとしたとき、普段は温和な古川さんがその省の幹部を烈火のごとく叱責(しっせき)した。官僚の世界の問題は官僚同士で解決すべきだというのが古川さんの信念だった。官僚の矜持(きょうじ)とは何かを教えてくれる人だった。」
また、9月14日に掲載された「五輪トラブル劇場」と題された斎藤さんのコラム。
「あるPR誌で一回に三冊ずつ、同じテーマの関連書を紹介する連載を続けている。2013年に五輪開催地が東京に決まって以来、五輪について四回取り上げた。
復興五輪の美名の下で行われた欺瞞(ぎまん)的な招致活動(14年3月号)。新国立競技場のコンペやり直し、エンブレムの盗用疑惑、JOCの不正献金疑惑などの相次ぐゴタゴタ(16年10月号)。大会が迫る中で新たに顕在化した東京の酷暑やボランティア搾取(20年1月号)。コロナ下での延期と強行、開催直前の辞任ドミノなどを含む総括(22年3月号)。
新しい問題が絶えず浮上し、反五輪の新刊書が絶えず出版されてきたことの証拠である。
ところが、五輪トラブル劇場はまだ終わっていなかった。閉幕後にラスボスよろしく登場してきたのが不正金銭授受疑惑である。AOKI。KADOKAWA、大会組織委員会。どこまで広がる汚職の裾野!
五輪騒動の発端は石原元都知事の招致表明(05年)とその失敗(09年)、さらに嘘(うそ)で固めた安倍元首相の福島アンダーコントロール発言だった(13年)。二人ともすでに故人である。
それなのに次は札幌五輪?! 鎮火していない火事場の上に燃料の追加よろしく新しい建物を建ててどーする。構造的な問題を五輪は孕(はら)んでいる。絶対にまた不正の山になる。」
そして、9月18日に掲載された、「不人気国葬の記録」と題された前川さんのコラム。
「戦前最も不人気だった国葬は山縣有朋それだそうだ。1万人収容できる会場に千人ほどしか来なかったという。安倍元首相の国葬(国葬儀)には最大六千人程度の参列者は最大六千人程度の参列者を想定しているそうだが、山縣の不人気記録を更新しないことが政府の最低目標だろう。
国葬への案内状は、国や自治体の関係者、海外の要人などに加え「各界代表」にも幅広く送られたらしい。その一人、演出家の宮本亜門さんはツイッターで「どうしてこれが僕に?」と投稿。「もちろん私は行きませんが」と欠席の意思を明らかにした。案内状が何人に贈られたのかは知らないが「歩留まり」は相当低いだろう。
とにかくこの国葬は不人気だ。時事通信が9~12日に行った世論調査では、反対51.9%に対し賛成は25.3%しかなかった。こうなると欠席のリスクより出席のリスクの方が大きくなる。「なぜ欠席したが」が問われるからだ。明確な賛否の意見を持たない人は、リスクの低い欠席を選ぶだろう。
そんな中で連合の芳野友子は出席の意向を表明し、「労働者代表として出席せざるを得ない」「苦渋の判断だ」などと述べたが、要は本人が出席したいのだろう。因(ちな)みに僕のところへも案内状が来たが、何の苦渋も感じることなく、欠席の返事を出した。」
どれも一読の価値のある文章だと思いました。
まず9月11日に掲載された「古川貞二郎さん」と題された前川さんのコラムを全文転載させていただくと、
「村山内閣から小泉内閣まで8年7カ月にわたり官房副長官を務めた古川貞二郎さんが亡くなった。官僚の先輩として、人生の先輩として、本当に尊敬できる方だった。切れ者といった印象はなく、見方によっては愚鈍にさえ見えた。しかし公共の福祉に尽くそうとする姿勢は一貫していた。最長在任記録はその後安倍・菅内閣の杉田和博氏により更新されたが、僕が杉田氏に同様の尊敬の念をもつことはない。
古川さんは厚生官僚、僕は文部官僚だったので長いお付き合いがあったわけではない。謦咳(けいがい)に接する機会を持ったのは、僕は内閣官房の中の中央省庁等改革推進本部に出向していた1998年から2000年までの時期だ。
省庁再編が行政改革だったのかは疑問だが、各省庁の官僚は血まなこで取り組んだ。それは純然たる縄張り争いだった。僕はその調整に当たったが、省庁間の争いにはほとほと手を焼いた。どうにも捌(さば)き切れなくなった争いを裁いてくれるのが古川副長官だった。
古川さんは各省庁の言い分を丁寧に聴き取り、議論を重ねて解決案を見出した。某省が政治家の力を借りようとしたとき、普段は温和な古川さんがその省の幹部を烈火のごとく叱責(しっせき)した。官僚の世界の問題は官僚同士で解決すべきだというのが古川さんの信念だった。官僚の矜持(きょうじ)とは何かを教えてくれる人だった。」
また、9月14日に掲載された「五輪トラブル劇場」と題された斎藤さんのコラム。
「あるPR誌で一回に三冊ずつ、同じテーマの関連書を紹介する連載を続けている。2013年に五輪開催地が東京に決まって以来、五輪について四回取り上げた。
復興五輪の美名の下で行われた欺瞞(ぎまん)的な招致活動(14年3月号)。新国立競技場のコンペやり直し、エンブレムの盗用疑惑、JOCの不正献金疑惑などの相次ぐゴタゴタ(16年10月号)。大会が迫る中で新たに顕在化した東京の酷暑やボランティア搾取(20年1月号)。コロナ下での延期と強行、開催直前の辞任ドミノなどを含む総括(22年3月号)。
新しい問題が絶えず浮上し、反五輪の新刊書が絶えず出版されてきたことの証拠である。
ところが、五輪トラブル劇場はまだ終わっていなかった。閉幕後にラスボスよろしく登場してきたのが不正金銭授受疑惑である。AOKI。KADOKAWA、大会組織委員会。どこまで広がる汚職の裾野!
五輪騒動の発端は石原元都知事の招致表明(05年)とその失敗(09年)、さらに嘘(うそ)で固めた安倍元首相の福島アンダーコントロール発言だった(13年)。二人ともすでに故人である。
それなのに次は札幌五輪?! 鎮火していない火事場の上に燃料の追加よろしく新しい建物を建ててどーする。構造的な問題を五輪は孕(はら)んでいる。絶対にまた不正の山になる。」
そして、9月18日に掲載された、「不人気国葬の記録」と題された前川さんのコラム。
「戦前最も不人気だった国葬は山縣有朋それだそうだ。1万人収容できる会場に千人ほどしか来なかったという。安倍元首相の国葬(国葬儀)には最大六千人程度の参列者は最大六千人程度の参列者を想定しているそうだが、山縣の不人気記録を更新しないことが政府の最低目標だろう。
国葬への案内状は、国や自治体の関係者、海外の要人などに加え「各界代表」にも幅広く送られたらしい。その一人、演出家の宮本亜門さんはツイッターで「どうしてこれが僕に?」と投稿。「もちろん私は行きませんが」と欠席の意思を明らかにした。案内状が何人に贈られたのかは知らないが「歩留まり」は相当低いだろう。
とにかくこの国葬は不人気だ。時事通信が9~12日に行った世論調査では、反対51.9%に対し賛成は25.3%しかなかった。こうなると欠席のリスクより出席のリスクの方が大きくなる。「なぜ欠席したが」が問われるからだ。明確な賛否の意見を持たない人は、リスクの低い欠席を選ぶだろう。
そんな中で連合の芳野友子は出席の意向を表明し、「労働者代表として出席せざるを得ない」「苦渋の判断だ」などと述べたが、要は本人が出席したいのだろう。因(ちな)みに僕のところへも案内状が来たが、何の苦渋も感じることなく、欠席の返事を出した。」
どれも一読の価値のある文章だと思いました。
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