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チェン・カイコー&ツイ・ハーク&ダンテ・ラム監督『1950 鋼の第7中隊』

2022-12-18 04:07:06 | 日記
 チェン・カイコー&ツイ・ハーク&ダンテ・ラム監督の2021年作品『1950 鋼の第7中隊』を「あつぎのえいがかんkiki」で観ました。
 パンフレットの「STORY」から文章を一部加筆して転載させていただくと、
「国共内戦後まもなく帰郷した人民志願軍・第9兵団 第7中隊の伍
千里(ウー・ジン)は、兄の百里が戦死したことを両親に報告する。そして戦争による軍の手当で、彼は両親に家を建てる約束をした。しかし中国が朝鮮戦争に参戦し、彼の休暇は取り消される。弟の万里(イー・ヤンチェンシー)は一緒に行きたいと言うが、千里はそれを許さなかった。
 おりしも1950年9月15日。朝鮮戦争に介入した米軍を中心とする国連軍が仁川に上陸。前後して米軍は敵の全地域を絨毯爆撃し、その脅威は中朝国境付近にまで迫っていた。
 こうした情勢を受け、北京の中南海(中国の中枢機関が集まる場所)では議論が交わされていた。米軍が3 8度線を越え、中国の領土に踏み込むことを懸念した毛沢東(タン・グオチャン)は、中国軍の朝鮮出兵を決断する。このとき彼の息子である毛岸英(ホアン・シュエン)は、志願兵への参加を軍事委員会副主席の彭徳懐(チョウ・シャオビン)に訴え、毛沢東は哀しみに満ちた表情で彼を送り出す。
 いっぽう千里が戻った第7中隊は、前線に無線機と暗号者を届けるように指示を受けた。そこで兄を追って入隊した万里の姿を発見し、千里は愕然とする。しかし万里の揺るがぬ意思を目の当たりにし、千里は彼に銃を渡すのだった。
 だが第7中隊は列車で移動中に爆撃され、彼らは徒歩での行軍を余儀なくされる。しかも隊は巡回中の米軍機と遭遇。兵士たちは遺体をよそおうも、機は容赦なく銃撃。万里と親しかった仲間がこの空爆で命を落とし、戦争の非情さを知るのだった。
 さらには輸送任務の途中、第7中隊は友軍と米軍との激戦に遭遇する。米軍は戦車を始めとする火力で人民軍を圧倒するも、巧妙な作戦で万里はそれを返り討ちにし、隊は無事に前線に到着して、無線機を届けることに成功する。
 第7中隊は前線で束の間の休息をとるが、ほどなく長津湖に帰還するように命令がくだる。しかし氷点下での行軍は苛酷で厳しく、物資不足が兵士たちを苦境へと陥れる。さらには米軍の探知機が総司令部の場所を確認し、戦闘機で基地を爆撃する。そんな中、司令室にある重要な地図を取りに向かった一人の兵士が、被弾して命を落とす。その人物は劉という偽名で従軍していた毛岸英だった。
 岸英を失った悲嘆に暮れる間もなく、米軍への総攻撃が決断され、体制を立て直した志願軍新司令部は各軍を配置し、第7中隊もそれに従った。そして11月27日の夕刻、長津湖を陣地とする、米第31歩兵連隊の相当作戦が開始された。
 かくして、中国人民志願軍と米軍による「長津湖の戦い」の火蓋が切って落とされたのだ。数で圧倒する第7中隊は、「おやじ」と周囲から慕われていた兵士を失うも、戦いに勝利し、相手の連隊長も射殺する。そして生き残った彼らは中国の英雄として、国の誇りとなるのだった。」

 戦闘シーンは、スピルバーグの『プライベート・ライアン』のノルマンディ上陸作戦のシーンを思わせる壮烈さで、その画面の迫力と、轟音は、息を飲むものばかりで、あっという間の3時間でした。映画ファン必見の作品だと思います。チェン・カイコー監督の名前は、かれこれ40年ほど前に池袋の文芸坐で『大閲兵』を見て、そのスケールの大きさに圧倒され、すぐにデビュー作の『黄色い大地』を見た記憶があります。(ちなみに『黄色い大地』は川を描いた映画でした。)その後『運命の子』を見ましたが、それが『大閲兵』の出来には遠く及ばず、それっきりになっていました。チェン監督は多作で、これまでに18本もの映画を作っていることを知りました。とりあえず「あつぎのえいがかんkiki」にアンケートを出そうと思っています!!


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