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フリオ・リャマサーレス『無声映画のシーン』その1

2012-11-13 04:01:00 | ノンジャンル
 大島渚監督・共同製作・共同脚本の'67年作品『忍者武芸帳』をスカパーの日本映画専門チャンネルで見ました。“漫画家”白土三平による原画を編集し、字幕や音声をつけて作られた作品で、語り手には小沢昭一、声の出演では、大島監督作品の常連である佐藤慶、小山明子、戸浦六宏、小松方正、渡辺文雄、それに山本圭、露口茂、松本典子、江角英明、山谷初男らの名前も見受けられました。戦国時代の農民一揆や武士の権力争いを舞台に、民主主義の世の中を夢見る革命家・謎の忍者“影丸”が活躍する物語で、動画ではないマンガの映画という、希有なジャンルの映画であり、画面(時に移動撮影あり)、編集、声、音、音楽など、すべてが見事に組み立てられていて、その精神においては、加東泰監督の『真田風雲録』をも想起させる素晴らしさでした。

 さて、朝日新聞で紹介されていた、フリオ・リャマサーレスの'94年作品『無声映画のシーン』を、図書館で借りて読みました。
 最初の「日本語版への序」と題された文の中で、著者は次のように書いています。
 「(前略)スペインでは、前世紀(20世紀)の90年代から今世紀(21世紀)はじめにかけて北部の鉱山地帯に経済の津波が押し寄せ、多くの町や小都市が、墓地あるいは老人ホームに姿を変え、風景も、廃屋や打ち棄てられた機械類ばかりが目につく荒れ果てたものに変わってしまった。経済のグローバル化の波は、スペインのどの生産分野よりも鉱業に大打撃を与えた。理由のひとつは、採掘量が安定せず、そのせいでほかのヨーロッパ諸国に太刀打ちできなかったこと、もうひとつはそれ(鉱山で採掘される石炭)を使うと、高濃度の大気汚染が生じるという問題があったせいである。
 レオン県のソベーロ渓谷の鉱山地帯で最後まで操業を続けていた鉱山も、1990年ついに閉鎖された。私はマドリッドで暮らすようになるまでの幼年時代と思春期の一時期をそこで暮らした。つまり1957年にあの町に移り住んでから、1967年に町を出ていくまでの期間を過ごした。私はあの町で人生について学びはじめたのだが、当時の思い出は、町を出て以降、記憶の底で眠り続けていた。鉱山が閉鎖になると知ったとき、あの町の思い出をすべてもう一度創造し直さなければならないと感じた。そうした背景から生まれてきたのが『無声映画のシーン』で、今回その作品が日本語に訳されることになった。
 この小説がスペインで出版されたとき、ある批評家が、これは回想録のような作品であって、小説としての条件を満たしていないと断じた。しかし、実をいうとこの作品は紛れもなくフィクションとしての小説なのである。というのも、現実的なものをたわめ、変形させるという意図の下に書かれているし、ここで語られている物語の大半は創造されたものなのである。登場人物もまた多くが実在の人間ではなく、私の空想の中にしか生きていない。
 以前、ポルトガルの作家(であり精神科医でもある)アントニオ・ロボ・アントゥネス(1942―)が「想像力とは発酵熟成した記憶にほかならない」と言ったが、私も同じ意見である。多くの人が考えているのとは逆に、フィクションは記憶から生まれてくるが、すでにその記憶というのはフィクションの別の形態なのである。日本語訳が出ている私の初期の小説、つまり『狼たちの月』と『黄色い雨』においては、記憶が作品の実質的な部分を形成していた。そうした記憶の中には、子供の頃に、家族や私たちが暮らしていた町の人たちから聞かされたスペイン内戦時代の話を通して、間接的に植えつけられたものもあれば、私が育った地方世界の荒廃ぶりを自分の肌で感じ取って心に刻みつけたものもある。しかし、『無声映画のシーン』では、記憶がより鮮明かつ直接的な形で現れている。つまり、この作品は記憶が小説のプロットであり、構造であり、人物でさえある。(明日へ続きます‥‥)

 →Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto

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