昨日の続きです。
この問題を解体し、冷静に見つめるということの難しさが垣間見えたのは、予告編に対する反応を目にした時だ。公開とほぼ同時にネット上で様々な反応が見られた。2分の予告編に対して、否定論者への嫌悪感から絶対観ないと宣言する活動家、歓喜する「ネトウヨ」、散りばめられた要素を敏感にキャッチする人、期待、拒絶、猜疑、加勢、困惑…様々な感情が一気に噴き出したようだった。
この映画がしたことは、情報の交通整理だ。インタビューをベースとしたドキュメンタリーだが、背景には、公文書や書籍からブログまで幅広い資料がある。映画の構成を考えた際は、インタビューを書き起こした一人当たり数十ページのスクリプトをひたすら監督と読み、否定論者の主張と反論に色分けし、付箋に書き出した。次に、議論のカテゴリーごとに情報を整頓し、大きな模造紙に貼っていった。各登場人物の発言をあたかも論争を交わしているかのように、なおかつ、それぞれの発言を文脈から外れないように、紙面上で整理した。私が映画の構成に関わったのはここまでである。
この映画の制作に携わったからといって、個人的には「慰安婦問題」について十分に理解できたと私は思っていない。なぜならば、提起されている一つ一つの問題には、無視することのできない歴史的、法的、政治的背景とあの時代、あの場所に生きた人々の物語があり、それらを自分が納得いくほど理解できたとは思っていないからだ。まだまだ学ぶべきことは山積みだ。さらに、戦時に命を奪われた方々や戦後においてもなお沈黙を破ることなく生きている方々、語ることなくこの世を去られた方々の物語は闇に葬られたままである。
映画の予告編の中で、「終わりなき論争に、この映画が終止符を打つ」という言葉がある。確かに、この映画は慰安婦制度があったのか、慰安婦は何人いたのか、性奴隷だったのかという、世の中で取り上げられがちな(そしてもちろん重大な)「論争」にある程度の終着点を設けることができたかもしれない。しかし、映画は「慰安婦問題」そのものに終止符を打ったわけではない。この問題は、これから解決していかなければならないものとして依然として存在している。さらに言えば、これは日韓間のみで解決できるものではない。慰安婦の女性たちの出身地は朝鮮半島に限られてはいないからだ。そのような中で、この映画は、解決に向けてのスタートラインを設定し、ロードマップを提供したに過ぎない。視聴者の皆さんには、これからこの問題を解決に導くために、私と一緒に勉強、考え、議論し、そして共に行動する、仲間になってほしいと切に願っている。」
ハタ・モモコさんの指摘は、映画を観終わった私が感じたこととまさに同じで、慰安婦問題の真の解決はまだ端緒についたばかりだと思いました。ストーリーとは別に画面としてこの映画を捉えた場合、この映画は圧倒的に顔と声の映画で、音楽では勇壮な太鼓の音がとても印象的でした。
それにしても「慰安婦問題に軍の関与がなかった」「南京大虐殺はでっちあげだった」と語る人々の顔の醜悪さは見るに耐えられないほどのものであって、一方、強制連行されて慰安婦をさせられた当時の女性たちの写真が見せる、彼女たちの絶望的な表情も忘れられないものとなりました。
慰安婦問題に興味のある方はもちろんですが、人間の「顔」「表情」「声」に興味のある方についても必見の映画だと思います。
この問題を解体し、冷静に見つめるということの難しさが垣間見えたのは、予告編に対する反応を目にした時だ。公開とほぼ同時にネット上で様々な反応が見られた。2分の予告編に対して、否定論者への嫌悪感から絶対観ないと宣言する活動家、歓喜する「ネトウヨ」、散りばめられた要素を敏感にキャッチする人、期待、拒絶、猜疑、加勢、困惑…様々な感情が一気に噴き出したようだった。
この映画がしたことは、情報の交通整理だ。インタビューをベースとしたドキュメンタリーだが、背景には、公文書や書籍からブログまで幅広い資料がある。映画の構成を考えた際は、インタビューを書き起こした一人当たり数十ページのスクリプトをひたすら監督と読み、否定論者の主張と反論に色分けし、付箋に書き出した。次に、議論のカテゴリーごとに情報を整頓し、大きな模造紙に貼っていった。各登場人物の発言をあたかも論争を交わしているかのように、なおかつ、それぞれの発言を文脈から外れないように、紙面上で整理した。私が映画の構成に関わったのはここまでである。
この映画の制作に携わったからといって、個人的には「慰安婦問題」について十分に理解できたと私は思っていない。なぜならば、提起されている一つ一つの問題には、無視することのできない歴史的、法的、政治的背景とあの時代、あの場所に生きた人々の物語があり、それらを自分が納得いくほど理解できたとは思っていないからだ。まだまだ学ぶべきことは山積みだ。さらに、戦時に命を奪われた方々や戦後においてもなお沈黙を破ることなく生きている方々、語ることなくこの世を去られた方々の物語は闇に葬られたままである。
映画の予告編の中で、「終わりなき論争に、この映画が終止符を打つ」という言葉がある。確かに、この映画は慰安婦制度があったのか、慰安婦は何人いたのか、性奴隷だったのかという、世の中で取り上げられがちな(そしてもちろん重大な)「論争」にある程度の終着点を設けることができたかもしれない。しかし、映画は「慰安婦問題」そのものに終止符を打ったわけではない。この問題は、これから解決していかなければならないものとして依然として存在している。さらに言えば、これは日韓間のみで解決できるものではない。慰安婦の女性たちの出身地は朝鮮半島に限られてはいないからだ。そのような中で、この映画は、解決に向けてのスタートラインを設定し、ロードマップを提供したに過ぎない。視聴者の皆さんには、これからこの問題を解決に導くために、私と一緒に勉強、考え、議論し、そして共に行動する、仲間になってほしいと切に願っている。」
ハタ・モモコさんの指摘は、映画を観終わった私が感じたこととまさに同じで、慰安婦問題の真の解決はまだ端緒についたばかりだと思いました。ストーリーとは別に画面としてこの映画を捉えた場合、この映画は圧倒的に顔と声の映画で、音楽では勇壮な太鼓の音がとても印象的でした。
それにしても「慰安婦問題に軍の関与がなかった」「南京大虐殺はでっちあげだった」と語る人々の顔の醜悪さは見るに耐えられないほどのものであって、一方、強制連行されて慰安婦をさせられた当時の女性たちの写真が見せる、彼女たちの絶望的な表情も忘れられないものとなりました。
慰安婦問題に興味のある方はもちろんですが、人間の「顔」「表情」「声」に興味のある方についても必見の映画だと思います。
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