また昨日の続きです。
・2019年4月の参院決算委員会では、厚生労働省の毎月勤労統計をめぐる野党議員との論戦で、安倍は「論破」という言葉を使った。広辞苑によると「議論して他人の説を破ること。言い負かすこと」だ。国会の議事録を調べてみると、「論破」を口にした戦後の歴代首相は安倍ただ一人しかいない。
・野党による政権批判に対し、安倍は民主党政権時代と比較し、自らの政策を誇示することが多かった。政権奪回したて5年以上経った後でも、「悪夢のような民主党政権」というフレーズを繰り返している。
・2016年秋の臨時国会は異例の幕開けとなった。
首相・安倍晋三の所信表明演説の途中、自民党の若手議員たちが一斉に立ちあがって拍手を始めたのだ。
「今この瞬間も海上保安庁、警察、自衛隊の諸君が任務に当たっている。今、この場所から、心からの敬意を表そうではありませんか」
安倍の呼びかけに合わせたスタンディングオベーションが起こった。安倍も檀上から拍手を送った。この間、約10秒。(中略)しかし、拍手は自然発生ではなかった。官房副長官の萩生田(はぎうだ)光一が党の国会対策委員会幹部に「海保や自衛隊を取り上げるから、温かみを持って演説をもり立ててほしい」と事前に依頼。国対のメンバーが、「演説の途中、本会議場の前に陣取る若手議員に演説文の具体的なくだりを指さしながら「ここで立って拍手してほしい」と伝えていた。
・安倍はたびたび予算委員会での質疑中、ヤジに反応し、審議を止めるよう委員長を促した。だが、安倍自身もヤジを繰り返している。
「早く質問しろよ」
「ウソつきと言うなら、証拠出してよ」
「意味のない質問だよ」
野党議員の質疑中の安倍の不規則発言は、議事録に残る衆院だけでも首相を務めた7年8カ月で154回。そのうち委員長に話しかけたと思われるものや質問の確認などを除いた明らかなヤジは112回に上る。
・安倍政権にとって「友か敵か」は大きな意味を持った。安倍に不利な発言をした前川に政権が厳しくあたった一方、安倍を守るように動いた官僚は「処遇された」と指摘される。
その典型は、森友学園への国有地売却問題で野党と対峙(たいじ)した佐川宣寿だった。
・例えば、内閣情報調査室(内調)の職員は、国政選挙となると、自らが担当する都道府県の選挙区に分かれ、選挙情報を集めた。その際、自民党総裁として安倍が行う街頭演説に盛り込む「ご当地ネタ」も集めて回った。(中略)
内調職員はこう嘆いた。
「私は公務員。自民党職員でもないし、安倍事務所のスタッフでもない」
・朝日新聞は昨年(20年)、17年衆院選と18年の総裁選に向けて内調スタッフが調査した内容や出張記録を情報公開請求した。結果はいずれも、文書があるかないかの存否すら明らかにしなかった。理由について内調はこう回答した。
「対象文書の存否を明らかにした場合、具体的な情報収集活動の実態が明らかになり、将来の効果的な情報収集活動に重大な支障を及ぼすおそれがあり、ひいては我が国の安全が害されるおそれがある」
・日本の戦後政治は、自民、社会両党が中心だった55年体制と言われる時代が長く続いた。経済成長の果実の分配が政治の主課題で、表で対立する両党は、裏では良好な関係を築き、支持層への果実を分け合う調整を行った。しかし成長の時代が終わると、与野党のなれ合いが国を停滞させているとされ、政権交代可能な緊張感のある政治が求められた。
行き着いたのが衆院の小選挙区で、それを巧みに利用した先駆者は小泉純一郎だった。小泉は、意見が違う相手を交渉し、妥協点を見いだす従来の調整型ではなく、異論を押し切ってでも自らの「信念」を通そうとする決断型だった。それは、郵政民営化の反対者に「刺客」を送った05年の郵政選挙でピークを迎え、自民党は歴史的大勝を果たした。
官房長官、幹事長として小泉をそばで見ていた安倍は、決断型の首相として小泉よりその濃度を増し、自らの決断に異を唱える「敵」に攻撃を加えた。
・第2次政権で成立した特定秘密保護法、集団的自衛権の行使を認める安全保障体制、共謀罪法は、いずれも国家権力を強めるものだ。
・中国の一帯一路に対抗すべく、谷内らが「自由で開かれたインド太平洋」戦略を練り上げ、安倍は16年8月のアフリカ訪問で、この新戦略を日本外交の方針として世界に発信していた。
(また明日へ続きます……)
また昨日の続きです。
・2019年4月の参院決算委員会では、厚生労働省の毎月勤労統計をめぐる野党議員との論戦で、安倍は「論破」という言葉を使った。広辞苑によると「議論して他人の説を破ること。言い負かすこと」だ。国会の議事録を調べてみると、「論破」を口にした戦後の歴代首相は安倍ただ一人しかいない。
・野党による政権批判に対し、安倍は民主党政権時代と比較し、自らの政策を誇示することが多かった。政権奪回したて5年以上経った後でも、「悪夢のような民主党政権」というフレーズを繰り返している。
・2016年秋の臨時国会は異例の幕開けとなった。
首相・安倍晋三の所信表明演説の途中、自民党の若手議員たちが一斉に立ちあがって拍手を始めたのだ。
「今この瞬間も海上保安庁、警察、自衛隊の諸君が任務に当たっている。今、この場所から、心からの敬意を表そうではありませんか」
安倍の呼びかけに合わせたスタンディングオベーションが起こった。安倍も檀上から拍手を送った。この間、約10秒。(中略)しかし、拍手は自然発生ではなかった。官房副長官の萩生田(はぎうだ)光一が党の国会対策委員会幹部に「海保や自衛隊を取り上げるから、温かみを持って演説をもり立ててほしい」と事前に依頼。国対のメンバーが、「演説の途中、本会議場の前に陣取る若手議員に演説文の具体的なくだりを指さしながら「ここで立って拍手してほしい」と伝えていた。
・安倍はたびたび予算委員会での質疑中、ヤジに反応し、審議を止めるよう委員長を促した。だが、安倍自身もヤジを繰り返している。
「早く質問しろよ」
「ウソつきと言うなら、証拠出してよ」
「意味のない質問だよ」
野党議員の質疑中の安倍の不規則発言は、議事録に残る衆院だけでも首相を務めた7年8カ月で154回。そのうち委員長に話しかけたと思われるものや質問の確認などを除いた明らかなヤジは112回に上る。
・安倍政権にとって「友か敵か」は大きな意味を持った。安倍に不利な発言をした前川に政権が厳しくあたった一方、安倍を守るように動いた官僚は「処遇された」と指摘される。
その典型は、森友学園への国有地売却問題で野党と対峙(たいじ)した佐川宣寿だった。
・例えば、内閣情報調査室(内調)の職員は、国政選挙となると、自らが担当する都道府県の選挙区に分かれ、選挙情報を集めた。その際、自民党総裁として安倍が行う街頭演説に盛り込む「ご当地ネタ」も集めて回った。(中略)
内調職員はこう嘆いた。
「私は公務員。自民党職員でもないし、安倍事務所のスタッフでもない」
・朝日新聞は昨年(20年)、17年衆院選と18年の総裁選に向けて内調スタッフが調査した内容や出張記録を情報公開請求した。結果はいずれも、文書があるかないかの存否すら明らかにしなかった。理由について内調はこう回答した。
「対象文書の存否を明らかにした場合、具体的な情報収集活動の実態が明らかになり、将来の効果的な情報収集活動に重大な支障を及ぼすおそれがあり、ひいては我が国の安全が害されるおそれがある」
・日本の戦後政治は、自民、社会両党が中心だった55年体制と言われる時代が長く続いた。経済成長の果実の分配が政治の主課題で、表で対立する両党は、裏では良好な関係を築き、支持層への果実を分け合う調整を行った。しかし成長の時代が終わると、与野党のなれ合いが国を停滞させているとされ、政権交代可能な緊張感のある政治が求められた。
行き着いたのが衆院の小選挙区で、それを巧みに利用した先駆者は小泉純一郎だった。小泉は、意見が違う相手を交渉し、妥協点を見いだす従来の調整型ではなく、異論を押し切ってでも自らの「信念」を通そうとする決断型だった。それは、郵政民営化の反対者に「刺客」を送った05年の郵政選挙でピークを迎え、自民党は歴史的大勝を果たした。
官房長官、幹事長として小泉をそばで見ていた安倍は、決断型の首相として小泉よりその濃度を増し、自らの決断に異を唱える「敵」に攻撃を加えた。
・第2次政権で成立した特定秘密保護法、集団的自衛権の行使を認める安全保障体制、共謀罪法は、いずれも国家権力を強めるものだ。
・中国の一帯一路に対抗すべく、谷内らが「自由で開かれたインド太平洋」戦略を練り上げ、安倍は16年8月のアフリカ訪問で、この新戦略を日本外交の方針として世界に発信していた。
(また明日へ続きます……)
・2019年4月の参院決算委員会では、厚生労働省の毎月勤労統計をめぐる野党議員との論戦で、安倍は「論破」という言葉を使った。広辞苑によると「議論して他人の説を破ること。言い負かすこと」だ。国会の議事録を調べてみると、「論破」を口にした戦後の歴代首相は安倍ただ一人しかいない。
・野党による政権批判に対し、安倍は民主党政権時代と比較し、自らの政策を誇示することが多かった。政権奪回したて5年以上経った後でも、「悪夢のような民主党政権」というフレーズを繰り返している。
・2016年秋の臨時国会は異例の幕開けとなった。
首相・安倍晋三の所信表明演説の途中、自民党の若手議員たちが一斉に立ちあがって拍手を始めたのだ。
「今この瞬間も海上保安庁、警察、自衛隊の諸君が任務に当たっている。今、この場所から、心からの敬意を表そうではありませんか」
安倍の呼びかけに合わせたスタンディングオベーションが起こった。安倍も檀上から拍手を送った。この間、約10秒。(中略)しかし、拍手は自然発生ではなかった。官房副長官の萩生田(はぎうだ)光一が党の国会対策委員会幹部に「海保や自衛隊を取り上げるから、温かみを持って演説をもり立ててほしい」と事前に依頼。国対のメンバーが、「演説の途中、本会議場の前に陣取る若手議員に演説文の具体的なくだりを指さしながら「ここで立って拍手してほしい」と伝えていた。
・安倍はたびたび予算委員会での質疑中、ヤジに反応し、審議を止めるよう委員長を促した。だが、安倍自身もヤジを繰り返している。
「早く質問しろよ」
「ウソつきと言うなら、証拠出してよ」
「意味のない質問だよ」
野党議員の質疑中の安倍の不規則発言は、議事録に残る衆院だけでも首相を務めた7年8カ月で154回。そのうち委員長に話しかけたと思われるものや質問の確認などを除いた明らかなヤジは112回に上る。
・安倍政権にとって「友か敵か」は大きな意味を持った。安倍に不利な発言をした前川に政権が厳しくあたった一方、安倍を守るように動いた官僚は「処遇された」と指摘される。
その典型は、森友学園への国有地売却問題で野党と対峙(たいじ)した佐川宣寿だった。
・例えば、内閣情報調査室(内調)の職員は、国政選挙となると、自らが担当する都道府県の選挙区に分かれ、選挙情報を集めた。その際、自民党総裁として安倍が行う街頭演説に盛り込む「ご当地ネタ」も集めて回った。(中略)
内調職員はこう嘆いた。
「私は公務員。自民党職員でもないし、安倍事務所のスタッフでもない」
・朝日新聞は昨年(20年)、17年衆院選と18年の総裁選に向けて内調スタッフが調査した内容や出張記録を情報公開請求した。結果はいずれも、文書があるかないかの存否すら明らかにしなかった。理由について内調はこう回答した。
「対象文書の存否を明らかにした場合、具体的な情報収集活動の実態が明らかになり、将来の効果的な情報収集活動に重大な支障を及ぼすおそれがあり、ひいては我が国の安全が害されるおそれがある」
・日本の戦後政治は、自民、社会両党が中心だった55年体制と言われる時代が長く続いた。経済成長の果実の分配が政治の主課題で、表で対立する両党は、裏では良好な関係を築き、支持層への果実を分け合う調整を行った。しかし成長の時代が終わると、与野党のなれ合いが国を停滞させているとされ、政権交代可能な緊張感のある政治が求められた。
行き着いたのが衆院の小選挙区で、それを巧みに利用した先駆者は小泉純一郎だった。小泉は、意見が違う相手を交渉し、妥協点を見いだす従来の調整型ではなく、異論を押し切ってでも自らの「信念」を通そうとする決断型だった。それは、郵政民営化の反対者に「刺客」を送った05年の郵政選挙でピークを迎え、自民党は歴史的大勝を果たした。
官房長官、幹事長として小泉をそばで見ていた安倍は、決断型の首相として小泉よりその濃度を増し、自らの決断に異を唱える「敵」に攻撃を加えた。
・第2次政権で成立した特定秘密保護法、集団的自衛権の行使を認める安全保障体制、共謀罪法は、いずれも国家権力を強めるものだ。
・中国の一帯一路に対抗すべく、谷内らが「自由で開かれたインド太平洋」戦略を練り上げ、安倍は16年8月のアフリカ訪問で、この新戦略を日本外交の方針として世界に発信していた。
(また明日へ続きます……)
また昨日の続きです。
・2019年4月の参院決算委員会では、厚生労働省の毎月勤労統計をめぐる野党議員との論戦で、安倍は「論破」という言葉を使った。広辞苑によると「議論して他人の説を破ること。言い負かすこと」だ。国会の議事録を調べてみると、「論破」を口にした戦後の歴代首相は安倍ただ一人しかいない。
・野党による政権批判に対し、安倍は民主党政権時代と比較し、自らの政策を誇示することが多かった。政権奪回したて5年以上経った後でも、「悪夢のような民主党政権」というフレーズを繰り返している。
・2016年秋の臨時国会は異例の幕開けとなった。
首相・安倍晋三の所信表明演説の途中、自民党の若手議員たちが一斉に立ちあがって拍手を始めたのだ。
「今この瞬間も海上保安庁、警察、自衛隊の諸君が任務に当たっている。今、この場所から、心からの敬意を表そうではありませんか」
安倍の呼びかけに合わせたスタンディングオベーションが起こった。安倍も檀上から拍手を送った。この間、約10秒。(中略)しかし、拍手は自然発生ではなかった。官房副長官の萩生田(はぎうだ)光一が党の国会対策委員会幹部に「海保や自衛隊を取り上げるから、温かみを持って演説をもり立ててほしい」と事前に依頼。国対のメンバーが、「演説の途中、本会議場の前に陣取る若手議員に演説文の具体的なくだりを指さしながら「ここで立って拍手してほしい」と伝えていた。
・安倍はたびたび予算委員会での質疑中、ヤジに反応し、審議を止めるよう委員長を促した。だが、安倍自身もヤジを繰り返している。
「早く質問しろよ」
「ウソつきと言うなら、証拠出してよ」
「意味のない質問だよ」
野党議員の質疑中の安倍の不規則発言は、議事録に残る衆院だけでも首相を務めた7年8カ月で154回。そのうち委員長に話しかけたと思われるものや質問の確認などを除いた明らかなヤジは112回に上る。
・安倍政権にとって「友か敵か」は大きな意味を持った。安倍に不利な発言をした前川に政権が厳しくあたった一方、安倍を守るように動いた官僚は「処遇された」と指摘される。
その典型は、森友学園への国有地売却問題で野党と対峙(たいじ)した佐川宣寿だった。
・例えば、内閣情報調査室(内調)の職員は、国政選挙となると、自らが担当する都道府県の選挙区に分かれ、選挙情報を集めた。その際、自民党総裁として安倍が行う街頭演説に盛り込む「ご当地ネタ」も集めて回った。(中略)
内調職員はこう嘆いた。
「私は公務員。自民党職員でもないし、安倍事務所のスタッフでもない」
・朝日新聞は昨年(20年)、17年衆院選と18年の総裁選に向けて内調スタッフが調査した内容や出張記録を情報公開請求した。結果はいずれも、文書があるかないかの存否すら明らかにしなかった。理由について内調はこう回答した。
「対象文書の存否を明らかにした場合、具体的な情報収集活動の実態が明らかになり、将来の効果的な情報収集活動に重大な支障を及ぼすおそれがあり、ひいては我が国の安全が害されるおそれがある」
・日本の戦後政治は、自民、社会両党が中心だった55年体制と言われる時代が長く続いた。経済成長の果実の分配が政治の主課題で、表で対立する両党は、裏では良好な関係を築き、支持層への果実を分け合う調整を行った。しかし成長の時代が終わると、与野党のなれ合いが国を停滞させているとされ、政権交代可能な緊張感のある政治が求められた。
行き着いたのが衆院の小選挙区で、それを巧みに利用した先駆者は小泉純一郎だった。小泉は、意見が違う相手を交渉し、妥協点を見いだす従来の調整型ではなく、異論を押し切ってでも自らの「信念」を通そうとする決断型だった。それは、郵政民営化の反対者に「刺客」を送った05年の郵政選挙でピークを迎え、自民党は歴史的大勝を果たした。
官房長官、幹事長として小泉をそばで見ていた安倍は、決断型の首相として小泉よりその濃度を増し、自らの決断に異を唱える「敵」に攻撃を加えた。
・第2次政権で成立した特定秘密保護法、集団的自衛権の行使を認める安全保障体制、共謀罪法は、いずれも国家権力を強めるものだ。
・中国の一帯一路に対抗すべく、谷内らが「自由で開かれたインド太平洋」戦略を練り上げ、安倍は16年8月のアフリカ訪問で、この新戦略を日本外交の方針として世界に発信していた。
(また明日へ続きます……)
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