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2010年04月23日 | 日記・エッセイ・コラム
つまり、学ラン理論です
 
中学・高校時代、毎日学生服に身を包み
学校へ足しげく通ったものです
思春期ですからぁ、オシャレもしたいわけです
持てたいわけです、異性に
でも、毎日毎日、同じ学生服
真っ黒です
 
服を持ってる人、お洒落な人
その両方を兼ね備え、センスも同時に持ってる人
そんな人にとっては
学生服とは、野暮ったいモノだったかも知れません
 
幸いにも僕はどれも持ち合わせてなかったから
学生服を着ていることに疑問を感じませんでしたし
不満もありませんでした
  
逆に、ありがたいと思っていたほどです
 
外出時は、ほぼ学生服でオッケー!
町外への外出は制服で!なんて校則は
僕の味方でした
 
他の選択肢が無かった状態であり
しかし、それでいて
その姿でも違和感がない
この状態を活用しない手はありません
 
ここ数年、頭髪の寂しさは否めません
誰もが気にするほどのことはありませんよと
助言をしてくれますが
本人は、しっかりと認識しています
 
しかし、悲観はしていません
 
人間生きていれば、そりゃ禿げもしますから
壮大な観点からモノを言えば
生きてるから禿げることも出来る!
 
頭髪のボリュームがなくなってくると
残念なのは、色々な髪型が出来ないことです
長髪なんてのは、ご法度です
無理に伸ばせば、落ち武者です、ザンバラです
 
そこで、学ラン理論です
 
髪がある人、お洒落な人
その両方を兼ね備え、センスも同時に持ってる人
そんな人にとっては、禿げ頭は受け入れがたい
ものでしょう
 
しかし幸いにも僕はどれにも該当しない 
これが自然なことであり
いろんな髪型が出来ないのであれば
坊主頭のバリエーションを考えればいいだけの事
 
学ランの裏地に刺繍をいれるかの如く
 
 
 
 

 
 
 
 
自分に暗示をかける今日この頃です
 
 


コメント
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