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季節は春先だよね

2010年07月02日 | 日記・エッセイ・コラム
歌は世につれ、世は歌につれ
 
地上波でスポーツ中継が無かったんで、
仕方なく歌番組を見ていた
一世代前の懐かしいメロディー、略して懐メロを
懐かしく聴く
口ずさんでみたりしながら、画面の歌詞を見て
ふと思った
 
歌詞の世界観は明確なモノもあれば、
解釈次第で、登場人物の設定は
変わるものである
 
長渕剛の名曲「乾杯」でも、その解釈の違いで
友人との酒席で狼藉を働いた記憶があるほど
 
スキマスイッチの、これまた名曲「奏」
アレに登場する二人は、僕の解釈では
親子だと思っている
父と娘
就職だろうか、それとも大学への入学だろうか?
親元を離れて、一人暮らしを始める娘を
見送る歌だと、僕は思っている
 
そして、今日、
もうひとつ、これと同じ状況じゃないのか?って言う
唄を見つけた
 
“なごり雪”
 
恋人同士の別れを綴った歌だと思っていたが、
今日、改めて歌詞と
そのメロディーを聴いていると、
この
 
“去年よりずっと綺麗になった”
 
のは、娘ではないか?と
 
時がゆけば幼い君も、大人になると気付かないまま
 
そうだ、これは親子じゃないのか?と
 
なら、なぜ今までこの歌を聞いて
恋人同士の別れの歌だと感じていたのか
 
それは僕が未熟だったからかも知れないし、
若かったのかも知れない
歳を重ねれば、髪が薄くなれば
今までは感じなかったモノを感じる事が出来るのかも
知れない
 
ただ、唇は“さようなら”と、動くんだ
 
はて?やっぱ、恋人同士か??