おかげさまで生きてます

日々の暮らしのなかで

何様なんだよ

2008年06月17日 | 本と雑誌
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久しぶりに本を買いに出掛けた。
 
よく行く本屋。
最近では立ち寄ることはあっても、
滅多に買うことがない。
ベストセラーとか、平積みになった本やらを
僕は買わない。
自分で手にとって、これはオモロイちょっとイカス!
なんて本じゃないと買わない。
 
古本市じゃないが、
掘り出しモノと言うか、見つけるべくして
出会うことが出来た本しか買わないようにしている。
 
そんな僕が今回は、本を買うために本屋を訪れた。
 
本を買いに本屋に行く。
当たり前だ。
いや、今回は買うことが目的と言うか、
買わなければならない理由があった。
 
この書店で本を買うとポイントが貯まる。
1ポイント1円となり、100ポイント貯まると、
100円券として渡してくれる。
勉強熱心な僕としては、時として大量に本を買う。
3月、そんな大量買いのおかげで100ポイントを
一気に飛び越して200円券をゲットした。
 
しかし、このポイントにも有効期限がある。
それが先日だった。
 
別に欲しくないものを無理に買うつもりは
なかったが、折角の200円券。
本を買う上での200円は結構ありがたい。
出来れば有効に使っておきたいと言う願望はあった。
店内を彷徨うこと30分。
目の前に現れたのがこの本だった。
 
手に取る。
適当に開くと、右ページには失言。左ページには
状況説明と補足事項が書かれてある。
うん、読みやすい。
が、もうひとつインパクトがない。
 
おしい、実に惜しい。
何か訴えるモノがあればな、と、深い溜息を吐こうと
したその時、ページをめくる指が止まった。
 
「何様なんだよ」 
 
そこに書かれた失言が、強烈なインパクトで
飛び込んできた。
 
買い、買いです。これ。
 
内容は書かないので、
気になる方は是非買って、
この発言の主が長島一茂氏である事を
確かめてください。
 




理由(わけ)

2008年06月16日 | 日記・エッセイ・コラム
ハンドルを握る手は小刻みに震え、
視界は溢れ出す涙でゼロになった。
 
見逃せない、見逃すことの出来ない一瞬が人生の中にある。
 
小田和正の歌と共に、幸せなそうなスナップ写真が
流れるコマーシャルをご存知か?
人生のひとコマがそこにある。
たった一枚の写真であるが、その表情からは
様々な想像や、まるで声まで聞こえてきそうな
なんとも言えない一瞬がある。
 
時として、
期待も準備も、ましてや想像もしていなかった場面に
遭遇することがある。
それは時間が止まったような、ゆっくりと流れる
空間なのだ。
 
時間にして1秒に満たない時間。
 
仕事をいつもより早めに切り上げた僕は、
土曜の午後をゆったりとした気分で車を走らせた。
何事もない、ありふれた日常だ。
いや、日常だった。
 
車を走らせていると、何やら人影が。
 
「なんだろう?」
 
徐々に近づいていく。
車の整備工場のようだ。シャッターが閉まった玄関の横、
彼は流し台に頭を下げている。
徐々に近づく僕の車。
 
時間にして1秒、いや、もう少しだけ長かったかも知れない。
特に気を魅かれることもなく、
かといって、見過ごすこともなく、
時速にして50キロ。
走りながら彼の行動を横目に見た。
 
洗っていた。
長靴を一心不乱に洗っていた。それも裏底を。
 
500メートルほど走ると、信号が赤になった。
 
ブレーキに足をかけ、ゆっくりと止まる。
もう少しで停車する瞬間、僕は感情を堪えることが
出来なくなった。
 
大爆笑。
 
長靴の底をなぜ、あんなに全力で洗わなければ
ならないのか?
幸いにも窓は閉まっていたので、僕の奇妙な笑い声は
外には出ていかなかった。
 
彼の行動を何度も何度も思い出しながら、
その理由(わけ)を色々と想像してみる。
その度に、笑いがこみ上げ、
ハンドルを握る手は小刻みに震え、
涙が止まらなくなった。
 
腹も痛い。
 
笑いが収まるまでと、路肩に車を止めた。
 
あんなに笑ったのは、
多分、今月になって初めてだった。
 




クーラー

2008年06月10日 | 日記・エッセイ・コラム
そろそろ暑い季節がやってくる。
 
メタボちゃんな自分としては、この時期、
誰よりも早く冷房のスイッチを入れたくなる。
冬場なら一枚多く着込めばいいが、
暑いときはどうしようもない。
 
基本的に新しい仕事場は風通しがすこぶる良い。
駐車場なんかは、自然のクーラーの如く、
気持ちのよい風が吹き抜ける。
 
しかし、
この気持ちよい風も、
窓越しにはなんとも微妙な風となる。
メモやら原稿やら、
何かと大小の紙切れがあるこの部屋では、
窓を全開には出来ない。
また、少しだけあけて
そよ風を呼びこもうとしても、パソコン横の原稿が
ヒラヒラ、ヒラヒラ。
それはまるで、そよ風に揺らぐ 
 
“鼻毛に絡まったハナクソ”
 
の如く、まさに微妙な力加減と、
絶妙な揺れ方で、敏感な神経を逆撫でする。
 
それじゃガマンしないで、
クーラーを使えばいいじゃん!てなもんだが、
そこはドMなわたくし。
 
時に、
極限まで小便を我慢して、膀胱を限界まで広げ、
もう、ガマン出来ません。限界ですぅ!
って所までガマンしてから、
トイレに駆け込む、あの
 
“快感”
 
を知っている者としては、
すぐにクーラーを使っては名折れなのです。
 
メタボちゃんとしては辛い季節が迫ってきているが、
同時に限界までガマンして、ガマンして、
もう、限界ですぅ!って所まで行った時に吹き付ける
あの、
 
“涼しさ”
 
も体感できる季節も近づいているのです。
 
まだまだです、クーラーを使うのは。
 



スリル

2008年06月09日 | スポーツ
オリンピックに向けて、
だんだん気分も盛り上がってきた。
 
連日のバレーボール中継。
女子に続いて男子も出場権を獲得した。
まぁ、あまり期待してなかった分、
素直に喜んだし、祝福したい気持ちもこみ上げた。
 
そして連日の競泳水着報道。
個人的な意見だが、
どの番組を見ていても、気になる点がひとつある。
 
スピード社の水着を着れるようになった事は、
選手たちにとっては、まずは一安心だろうね。
だって、性能的に優れているってのは
実感してるだろうし、
それでライバル達も記録バンバン出してんなら、
着ないっていう選択肢は無いんだから。
 
まぁ、着るのに30分かかるとか、
締め付けがきついとか、
水着って概念から言うと、少々違うのかも知れないけど、
それを言うなら、
他の競技、
例えばマラソンなんかの陸上競技でも
シューズは特別に開発されたものだし、
サッカーとか野球のユニフォームだって
軽量化とか汗を吸収するとか、
それなりに開発されたものだし。
 
昨今のフォーミュラーカーみたいに
小さな羽根がいっぱい付いて、
 
「洗車が大変だろうなぁ~」
 
なんて思うほど、
外見がまるで水着とは言えない代物なら
もっと批判もあるだろうけど、
やっぱ、スピード社の水着は
今のところ、最高の競技用水着だって事は間違いない。
 
僕が気になる点はそこじゃない。
 
BGMだ。
 
お気付きの方も居られると思うが、
どの番組を見ていても、大体、
おそらく、83.4%の割合で、ビーズの
 
ultra soul
 
が、流れる。
 
まぁ、個人的に言えば、僕は
 
IT’S SHOWTIME!!  
 
の方が、競泳!てな感じがするのだが。
どっちも世界水泳のテーマソングだったから、
競泳のシーンには挿入されるんだろう。
ちょっと気になったんで、ウィキってみると、
2003年まで使っていたらしい。
最近は違う曲になってた。知らなかった。
それほど強烈だったのかな?
 
しかし、イメージと言うか、印象とは恐ろしいもので、
これが聴こえて来ると、競泳って感じがするし、
もっと言えば、もう、水泳とか競泳じゃなくて、これ、
北島のテーマソングとして定着してきたような気がする。
 
そう、それはまるで江頭が
 
“スリル”
 
と共に登場するように。
 

 



2008年06月07日 | 日記・エッセイ・コラム
無くて七癖。
 
自分で自分の癖を意識することは難しい。
人に言われて、
 
「あぁ、そうなんだぁ~」
 
と、気付く。
まぁ、中には自分でも気付くことはもちろんあって、
僕の場合には会話の中で頻繁に
 
“逆に言うと~”
 
のフレーズを連発する。
自分で言っていながら、
 
『また言ってるよぉ!』
 
可笑しく思うときもある。
 
こうやって、前置きをしながら書いているのは、
苦手な癖の事を書こうとしているからだ。
 
“お前はどうなんだぁ? あ~!”
 
と、お叱りのコメントを頂かないように、
細心の注意でお届けする今日の記事なのだ。
 
さて、僕が苦手だなと思う他人の癖は
飴玉を音を鳴らしながら舐める癖。
 
「チュッ、チュッ・・・・」
 
時折なるあの音が嫌いだ。
禁煙中なのかな?しきりに飴を舐めているようだが、
しきりに音をたてる。
 
「チュッ、チュッ」
 
小さな音だから、余計に気になるのか、
定期的でない間隔に神経を逆撫でされるのか。
もっと言えば、飴を舐めている口の形も嫌いだ。
 
関西では飴玉の事を
 
“飴ちゃん”
 
と言うが、これは好きだ。
幼い時からそう呼んでいたから。
あと、“お芋さん”とか、“お豆さん”とか。
やさしさと言うか、
“はんなり”とした雰囲気が好きだなぁ~と思う。
 
うん?
 
話が逸れた。
 
よくある事だ。
人と会話していても、言葉尻を捕まえて
話題を挿入していくんで、
まったく違う話に変わっていく。
昨日の記憶が突然蘇って、関連づけて話してみたり。
 
そうか、
これも言われてみれば、僕の“癖”かも知れない。