おかげさまで生きてます

日々の暮らしのなかで

一心不乱に聴くよりも

2010年11月18日 | 日記・エッセイ・コラム
集中力とは?なんぞや?
 
集中する力
直訳(?)するとそういう意味で、それ以外の
意味があるのかは、今のところ定かでない
 
いぜん、テレビ番組でやっていたと思うが
有名私立大学に合格した、
いわゆる秀才と言われる人たちは、
自分の勉強部屋を持たずに、居間で
家族団らん、テレビの雑音が鳴り響く部屋で
勉強をしていたと、声高に伝えていたことがあった
 
静かな環境ではなくて、雑踏入り混じる環境で
 
解らなくもない
僕は読書をする場合は、
極力音は遮断したいと思っているが、
それでも全くの無音だと本に集中できない
先日、初めて喫茶店で本を読むといった
なかなかオシャレな午後を過ごしたが、
その時も適度な音楽がバックに流れていた 
 
あくまでも適度な音楽である必要はある
 
今、仕事中はCDを流して作業をしている
以前はラジオを聴いていたのだが、
あまり耳障りのいい事は聞こえず、
それ以外のことに反応するようになってしまったので、
気持ちを落ち着ける意味でも、音楽を聴く
 
今週は先週から引き続き、
コブクロのベスト盤をヘビーローテーションで
流し続けている
 
もう、順番を覚えるのは勿論のこと、
歌詞も自然と口ずさめるようになってきた
 
そうなんです
 
仕事をしながら聴いているにも関らず
その歌詞は確実に記憶されている
CDは、車載HDDにも録音してあるんで
ドライブ中にも聴いているが、
その時よりも、仕事中の時の方が
より耳に残り、且つ又、その歌詞の世界に
浸りやすい
 
かなり集中している証拠ではないか?
 
そう思えば、集中力とは
どんな環境で発揮されるのか?とか、
そもそも、集中力とは何か?と
平凡な疑問が浮かんできた次第
 
もちろん、聴くことに一生懸命になるあまり、
仕事をおろそかにするような事はしていない
 
当然である
 
 
 



ザックリ言うと

2010年11月17日 | テレビ番組
今朝、テレビ小説を見てて思った
 
「あれ?こんなん、前もやってなかったぁ?」
 
ひとつの話を見続けた事がないんで、
力強くは宣言できないが、
NHKのテレビ小説は、なにやら似た雰囲気のドラマが多い
 
主人公は明るく、行動的で、少しおっちょこちょい
何事にもメゲナイ強い性格だが、
落ち込むと、トコトン落ち込む
勿論、立ち直りは異様に早い
 
家族と離れ、一人都会(まち)に出て、
いろんな人とふれあいながら、夢を叶える
 
恋人は、初対面の印象は最悪
事ある毎に衝突するが、お互いが気になり始めて、
どちらかからの誤解が解ける事で、急接近!
 
家族には隠された秘密が少なからずあり、
居候先の親戚なども、お父さんお母さんは優しいが
祖父母は厳しく、しかし
実は、誰よりも主人公の事を思っている!
 
と、ザックリ言うとこんな感じのドラマだ
 
 
主人公 「なぁ、雄太郎、あんたも今夜のパーティー来てくれる?」
雄太郎 「あぁ・・・・」
主人公 「なんや、その気の抜けた返事は?」
雄太郎 「なぁ、新吉さんは、来るんかぁ?」
主人公 「えっ?なんであんな人が来るん!」
雄太郎 「せやかて・・・」
主人公 「あの人が今まで何してきたか、雄太郎も知ってるやん」
雄太郎 「・・・・・」
主人公 「もぉ、気分悪うなったわ、飲みなおしやわぁ!」
雄太郎 「なぁ、お前、今回の受賞は誰のお陰やと思う?」
主人公 「え?」
雄太郎 「いや、お前の努力は勿論やで、せやけど・・・・」
主人公 「そりゃ、雄太郎やみんなが応援してくれたからや」
雄太郎 「それだけ?」
主人公 「それだけって、ほかに何があるん?」
雄太郎 「ほんまに知らんのやな・・・・」
主人公 「えっ?なになに?」
雄太郎 「新吉さんや」
主人公 「えっ?あの人が何してくれたん!」
雄太郎 「お前の小説を一番初めに売り込んだんはあの人や」
主人公 「・・・・・」
雄太郎 「この子の才能に間違いはない!ワシが保証する!って」
主人公 「なんで・・・そんな・・・」
雄太郎 「土下座までしたんやど、あの人」
主人公 「そんな事してくれって、頼んでないのにぃ!」
雄太郎 「もうあかん、我慢でけへん!」
主人公 「何よぉ~」
雄太郎 「新吉さんは、20年前に別れたお前のお父さんや」
主人公 「なんで雄太郎がそんな事知ってるんよぉ!」
 
的な展開が続いていくわけです
 
あれ?オレにも脚本が書けそうな・・・・・
 
 

 

 



迷うよね、パン買うときは

2010年11月16日 | 食・レシピ
以前にも書いたが、うちは裕福な家庭ではなかった
 
小さい頃は、近くの駄菓子屋に出かけては
一段高い所に飾るように売られていたケーキを
羨望の眼差しで眺めた
今から思えば、イチゴの代わりに得体の知れない
ゼリーのようなモノが上に鎮座するケーキだったが
誕生日にもケーキがない我が家で育った僕としては
それは憧れだった
 
同じような高嶺の花は他にもあった
 
箱入りのお菓子だ
アポロチョコやポッキーなども
もちろん箱に入ったお菓子だったが、
パイの実やらは、もう手が届かない範疇にあった
 
そんな数々の憧れを経て、辿り付いたのが
パンだった
 
トレイを片手にとって、ひとつひとつ
好みのパンを取っていく
夢のような光景だ
中学のときに、近くのスーパーに
そんなパン売り場があることに気がついた
ついたが、それを実行するまでには
結構時間がかかり、
そして、一回だけ買いに出かけ
 
なんにでも遠慮がちだった僕は、
誰もいないような店に入って、喉の水分を
すべて奪ってしまうような、カステラとパンの
悪いところを合わせたような
袋入りのパンを買っていた
 
ほんとは、トレイ片手に好きなパンを買いたかったが、
それが気恥ずかしく、
他のお客さんと取り合っているようで
気が引けたのかも知れない
 
時を経て、今
おばさんほど強くはないが、オッサンになった今は、
もちろんそんな遠慮はないし、
好きなパンを好きなだけ買えるようになった
 
つい先日も、出かけた先で
パンでも買ってみようと、店内を散策してみた
カレーパンから、サンドウィッチ
名前も知らないパンから、甘そうなメロンパンまで
色々なパンが並んでいる
 
これだ!これなんだよぉ!って
あの時、中学時代に土曜日に
この感触に憧れたんだょぉ!って
一人感慨に浸ってしまった
 
買ったのは、カレーパンとコールスローサンドウィッチ、
それと、食パンにハムエッグを挟んで揚げたようなヤツ
 
これに紙パックのコーヒー牛乳があればコンプリート
 
それが、中学時代の憧れセットだった
 
 
 



ワザと負けてはいけないが

2010年11月15日 | スポーツ
空気を読め!って言われても、
困るときもあるし、時には、読みすぎては
いけない!時もある
 
難しい言い回しになってしまったが、
例えばプロ野球の引退試合
ひとりのヴェテランが、この試合を最後に現役を
引退する
最後の打席、涙ぐみ、何度も何度も打席を外す
球場のボルテージも最高潮
テレビ画面は、ヴェテランをアップで映し、
観客も、涙ぐみ声を張り上げ声援をおくる
 
ここだ!
 
空気を読むってのは、本来は
あってはいけないのかも知れないが、
そこは引退試合
花道もいるんじゃないか?と、日本人的な浪花節が
脳裏をかすめる
 
そんな場面での、ピッチャーの心理が気になる
 
「ここは打たすべきか?」
 
某横浜ベ〇スターズの四番選手は
引退試合の佐々岡からホームランを打った、
まさに空気を読めない以前の問題外の
バカだが、打たせる?ってのは少々難しい 
 
投手が引退の場合は、バカ田の例外を出すまでもなく
ほとんどの場合、ど真ん中だろうが、
大きなスイングで三振するもんだろう
引退試合の花道を飾る投手から
個人の成績だけを考えて、ホームランなんて
打つもんじゃない
 
打ちやすいところに投げるのも、
見えみえだと、それはそれで、ファンも興ざめする
勝手な言い分だが、それも心理
 
打ちやすい所に投げてみた所で、
涙ぐむヴェテランが打ち損じるかも知れない
フルスイング!打ち上げたぁ~
内野・外野フライなら躊躇はない
しかし、問題はファールフライだ
外野手なら、少し追う足を遅らせれば済むが、
内野手の場合は、フェンス際を除けば
取らざるを得ない
 
「最後の打席が、サードファールフライになるのか」
 
そんな事が、脳裏をよぎるかも知れない・・・
 
引退試合と言う特別な試合だけに限った空気感の
話なんで、すべてに当てはまることではないが、
白鵬の連勝を止めた力士を見ていて
ふと、そんな間が指した考えがよぎった
 
 
 



売りにしてもいいの?

2010年11月12日 | 日記・エッセイ・コラム
最近、よく見かけるコマーシャルメッセージがある
 
ブレーキを踏まなくても止まる車のCMだ
あれ、問題ないんだろうか?
 
我が家には、今現在3台の車がある
二台はオートマ車だが、活用法が沢山ある軽トラは
マニュアル車だ
 
オートマとマニュアル
 
この車を乗り比べて、問題な点はどこか?
それは交差点などで止まる時の
ブレーキ時である
 
加速の際に、シフトを変えていくことは、
それほど苦にはならないが、
ことブレーキの事となると、少々厄介だ
 
(今は軽トラに乗っている)
 
と、ブレーキを踏むときには、
頭の中で確認する必要がある
 
しかし、これの場合は
ブレーキを踏めば止まる
ノッキングしてエンストするとしても、
ブレーキを踏めば、一応は止まる
 
が、ブレーキを踏まずに止まる車の場合は
どうだろうか?
それに乗り続けるのなら、問題は軽減するが、
複数の車を乗り分けたり、
会社の営業車を乗っていたりすると、
ついつい自家用車の癖が出て、ブレーキを踏む足に
力が入らないなんて事にはならないだろうか?
 
その昔、スリックカートって言う、滑る路面を走る
カートがあった
ドリフトも思いのままに操れるほど、滑る滑る
そして、ブレーキは殆ど利かない
レース中は、常に他車とぶつかっている
ぶつかって止まる
 
そんな事をしていると、帰りに自分の車に
乗っている時でも、その感覚が残り、
ついついブレーキを踏む脚に力が入らなかった事を
思い出す
 
このCMの車は、“いざ”と言う時の、補助的な側面が
あると思うが、それは、知らないうちにあるからこそ
補助になるんであって、
最初から、
 
“踏まないでも、障害物があれば止まる”
 
なんて、情報をインプットしている脳はどうかと思う
ちょうど、自分で針を進めた目覚まし時計のように
 
 
(あの針は10分進んでいるから、あと10分寝ても大丈夫)

 
ほんとに、大丈夫?