常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

いね

2019年08月20日 | 万葉集

気温が下がって、秋の気配である。田で出穂した稲穂は少しづつ垂れてきている。蝉の声もやや小さくなってきた。米は大陸からもたらせたものだが、日本人の主食になってから、長い年月が流れている。万葉集にも、いねを詠んだものは多い。イネ、ワセ、ホ、ナヘ、ユダネはいずれもイネを指していて、集中に26首を数える。

恋ひつつも稲葉かきわけ家居れば乏しくあらず秋の夕風 (巻10・2230)

家人が恋しい。田で働く人は、田んぼの稲をかきわけて、居所にしていると、秋の夕風がひっきりなしに吹いてくる。残暑に耐えて、田のなかに作った小さな小屋である。やはり、稲の世話をするには、家を離れて田のなかで過ごす。夕方、秋風が吹いてきて残暑も凌ぐことができる。上代の人々の生活が、イネとともあった時代である。夕風は、女性との逢瀬の時間帯に吹く風である。ここにも詠者の気持ちが表れている。

秋の田の穂の上に霧らふ朝霞いづへの方に我が恋ひやまむ(巻2・88)

仁徳天皇の皇后になった磐姫の歌である。万葉集巻2の相聞として詠まれている。磐姫には悲しい嫉妬の物語が伝えられている。仁徳天皇は、異母妹の八田皇女に愛をそそいだ。これを恨んだ皇后は、山城の筒城の宮に引きこもり、その地でひとり淋しく死んでいったという。この歌にも、自分の胸にある思いが、いつになったら晴れるのか、切ない思いを詠んでいる。

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2019年04月28日 | 万葉集

先日、義母の納骨にお寺を訪れたところ、墓所に敷きつめられた玉砂利の間から無数の菫が花を咲かせていた。おそらく寺で種を蒔いたののだろうが、小さな花の生命力の強さに驚かされた。外来種が優勢に種を増やしているなかで、菫は万葉時代から、日本の風土に生きて続けてきた、伝統の花である。芭蕉も、「野ざらし紀行」の旅で、「山路来て何やらゆかしすみれ草」と詠み、眼前に咲く菫を見て、自ずから口をついて出た句だ。万葉集の山部赤人の歌に、菫を詠んだ歌がある。

春の野にすみれ摘みにと来し我ぞ野をなつかしみ一夜寝にける

奈良朝の宮廷人たちは、春の野にでて若菜やすみれなどを摘み、その夕べには酒を酌み、歌を作って宴を楽しんだ。春というすばらしい季節への賛歌となっている。

周囲の山々は、木々が芽を吹き、新緑が目にやさしい季節となった。アケビ、ナンマイバ、サンショウ、コシアブラなど、春の山菜が萌えるころである。花を愛でる春から、若芽の味覚を賞味する春へ、と移っている。

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夢の琴

2019年01月16日 | 万葉集

先日の初吟会で箏の演奏があったが、万

葉集には、大友旅人が、夢に出た琴を都

の権勢者である藤原房前に贈ったことが

歌の贈答で知られる。            

言とはぬ木にはありともうるわしき

君が手馴れの琴にしあるべし 大伴旅人

 

旅人の夢枕の現われたのは、琴の化身と

なった娘子である。その娘が言うことに

は、「私は対馬の高山に生えていた桐の

木です。大空の美しい光に浴び、山や川

の陰で遊び暮らしていました。ただ一つ

の心配ごとは、寿命を終えて世に役立つ

こともなく谷間に朽ち果てることでした。

幸いなことに、立派な匠の手で切られ、小

さな琴になりました。とても立派な音を出す

とはできますまいが、徳の高い方の傍に

置かれることを願っています。」

 

旅人が読んだ歌は、この琴の化身である

娘に応えて詠んだものだ。あなたのよう

お方なら、きっと立派な方の膝に置か

れる琴になれますでしょう。夢から覚めた

旅人は、夢を思い浮かべ、この琴を都の

権勢家である藤原房前へ、公の便に託し

て贈り届けた。この時旅人は、太宰帥で

65歳の老境にあった。大伴氏に権勢は、

すでに衰退に向い、旅人は太宰府にあ

って梅の宴を開き、讃酒歌を詠んでいる。

藤原氏は光明子を皇后に立てるべく、

邪魔になる長屋王を失脚させる策略を立

てていたが無力な旅人は、この琴を贈る

ことによって、自らの延命を図ろうとしたの

である。

 

言とはぬ木にもありとも我が背子が

手馴れの御琴地に置かめやも 藤原房前

琴を贈られた房前の返歌である。この歌

の通り、琴を愛でるとともに、大納言の

職を授け、都の官に復せしめた。琴は

国の漢詩にも出てくるが、古来から貴

族の楽しみとして親しまれてきた。 

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老いの歌

2018年03月01日 | 万葉集


3月3日、山形県吟道大会で出吟する連吟コンクールで、チームが選んだ課題吟は、杜甫の「登高」である。詩文を諳んじ、その詩意を掘り下げて考えるほどに、人間の老いの悲しみの深さが伝わってくる。「無辺の落木蕭々として下り 不尽の長江滾滾として来る」の句は、単に見渡すかぎりの木々の葉が落ち、長江の流が尽きずに流れている、という情景を詠んでいるだけではない。落葉は壮んな人間の命数が尽きていく様であり、滾滾として流れる長江はおし止めることのできない時間の流れである。「潦倒新たに止む濁酒の杯」と結んで、生の楽しみとして続けてきた飲酒を、止めるほかないことを詠嘆している。

だがこの歌を、老いを悲しむ詩として読むだけいいのだろうか。人間には、こうした老境に至って初めて見えるものがある。静かな諦念とともに死を受け入れる人もいるが、同時にその逆境に抗い続けて死を迎える人もいる。万葉歌人の山上憶良は後者であった。

士やも空しくあるべき萬代に語りつぐべき名は立てずして 山上憶良

病に伏していた憶良が病床で詠んだ辞世の歌である。老境で憶良が取り組んだ歌の主題には、貧、病、老が多く選ばれている。藤原八束が人を遣って憶良の病を見舞った。憶良は重い神経痛に悩まされ床を離れるのもままならなかった。見舞いに涙しながら礼を言い、口吟したのがこの歌である。歌意は「男子たるもの、無為に世を過ごしてよいものか。万代までも語り継ぐに足る名というものを立てずに。」

瀕死の床にありながら、なお残された時間を無為には過ごさないという、悲壮な決意の表明であると同時に、八束などの若い世代への激励であり、訓戒でもあった。老いにいたって、人間がどう考えるべきか、この歌には深い意味がこめられている。
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2017年09月01日 | 万葉集


萩が咲きはじめた。心待ちにしていた萩の花だ。先日見に行ったときは、花芽が小さく、いつ咲くかも分からなかったが、日当たりのよい枝に、一輪、二輪と咲きはじめている。山上憶良が秋の七草を歌に詠んだが、その第一にあげたのが萩の花である。万葉集で詠まれた萩は、137首もあり、万葉人がいかにこの花を愛していたかが分かる。

吾が待ちし秋は来りぬ然れども萩が花ぞも未だ咲かずける (巻10・2123)

集中には、このように咲くことを待ち望む歌から、満開を喜ぶ歌、雁が去り、萩の季節が去るのを悲しむ歌、すっかり散り果てた花を嘆く歌と、季節を追うように配列されている。歌の多さに加え、さまざまシーンで萩の花への深い思い入れが見てとれる。先日、以東岳からの下りの山道に、ヤマハギの小さな枝に、やはり2、3輪の花が咲いているのを見かけたが、萩はさほど大きくなく、目立たない。万葉人がこの花を秋の第一の花としたのは、その可憐さの故であろうか。

秋さらば妹に見せむと植えし萩露霜負ひて散りにけるかも(巻10・2127)

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