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朝、戸外に出ると、青空の朝日をうけて近所の垣根の萩が、ひときわ美しかった。こんな秋を感じると、一日が幸福感で満たされる。ところが、朝食を終わって外を見ると、雨雲が広がり始めている。秋の空は変わりやすい。以前のブログで「男心と秋の空」、男の愛情は移ろいやすい、と書いたところ、それは「女心と秋の空では」という突っ込みが来た。確かにそれも、普段から使われる。ことわざ辞典に当ってみると、「男心・・・」はしっかりと意味を含めて載っている。結局、男も女も、心変わりに大差がないということが、諺が立証している。ヴェルディの歌劇に「風の中の羽のように、いつも変わる女心」という詞があるが、大抵の人が口ずさんでいる。行司は軍配をどちらに上げてよいのか迷ってしまう。
「死のことは考えるに及ばない。我々が手伝わなくても、死は我々のことを考えてくれるから」(シェンキエビチ)
女心の変わりやすさを考えるより、こんな言葉が心にささる。秋空に萩が咲き、道ばたには咲き終えた花びらが散りしいている。以前、ある人のブログに散った花を好んで写される方がいた。もうその方のブログは終わりになって見ることができないが、地面に散って、そこら中を美しく染め上げる花びらが、いつまでも記憶の底に残っている。