前週の磐梯山が樺の山であるの対して、胎蔵山はブナの山だ。日本海を渡る冬の気団が雪を降らせる庄内の山には、びっくりするようなブナの巨木がある。ここにも弘法清水という伝説の湧き水がある。中の宮という神社の近くである。この付近の標高は600m前後、このあたりから山は植林の限界となり、ブナの古木が見え始める。エゾハルゼミの甲高い鳴き声が、森の静寂を破る。ブナの森は、鳥やクマ、カモシカなどの生命を育む。山道に入る前、「熊出没」のノボリが目を引く。ほどなくして山道脇に、熊の糞がこんもりとある。村人は、この熊と共存しながら、山の自然を守ってきたように思う。ブナの新芽や実は熊の好物でもある。山道の案内版に、深い熊の爪痕が二ヶ所残っていた。この山を熊が駆け回り、何種類もの鳥たちの生存の場所であるこの証だ。
白山にブナを見に行った高田宏の記述がある。高田は案内者と一緒に、ブナの木に残された熊の爪痕を目撃する。
「大丈夫ですか、熊は出てきませんか」と案内のUさんに聞くと、どこかそこらへんにいるでしょう。だけど、絶対に大丈夫です、と言う。千振尾根の標高1000メートルから1600メートルぐらいにかけてブナの森がつづいているのだが、ここにいると不思議なくらい気持ちがやすらいでくる。」
高田はブナの森をそんな風に書いているが、この日の胎蔵山の登山では、その記載と同じやすらぎを味わった。竹藪には、太いネマガリダケが伸びだし、谷筋の斜面には一面の覆い尽くすようなミズの群生である。タケノコは、早朝に熊が食べ、人はその後に残りを採る。ついでにミズを採って汁ものを作ったであろう。こんな里山には、動物や人間の共存の関係が成立していた。山を切り開き、ブナを伐採した山には、熊の食べ物がなくなる。町うちに熊が出没するような事態は、自然を破壊してきた人間のあり方が問題だ。