常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

西條八十

2023年06月24日 | 
西條八十は詩人である。この人の名が多くの人に親しまれるようになったのは、歌謡曲の作詞者としてかもしれない。「東京行進曲」「誰か故郷を思わざる」「越後獅子の歌」「この世の花」など、戦前、戦後にかけてのヒット曲の作詞者であった。早稲田大学仏文科を卒業し、フランスの詩の研究、詩人として活動をしていたとき、関東大震災が起こった。家を焼け出せて、都民が路頭に迷ったとき、一人の少年が吹くハーモニカが、人々の心を揺さぶった。この
光景を目にした八十は、大衆のための詞を書こうと思ったのが、歌謡曲の作詞を書き始めた動機らしい。

Bingチャットに聞いてみた。西條八十の詩で一番有名な作品は、という問いの答えは二つあった。「ぼくの帽子」と「トミノの地獄」であった。「ぼくの帽子」は「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?」書き出しで始まる。碓氷峠から霧積へ。夏休みに母に連れられて、山道を歩きながら、風に飛ばされた麦わら帽子。少年の心情がにじみ出る懐かしい詩だ。かって森村誠一の作品で映画になった『人間の証明』のモチーフになっている。今年、最後の登山に谷川岳を選んでいるが、登りなら詩に思いを馳せることもできる。

もう一つ「トミノの地獄」は、詩の全体が見られる。

とみの ようこそ おいでませ
我が家の 小広間に 座りなさい
お茶でも いれましょ
ほらほら あんまり ごたごたしないで
障子をあけて おくれやす 
月がさしこむ 夜ですから
とみの おんなじむすめが 昔、
この広間で 首をはねられたということです
それから、この広間には 首のない死骸が
出没するようになったとか
ああ、たいへん、たいへん、怖ろしい話です

八十の詩には、こんな怪談めいた、怖い地獄のシーンもでてくる。そんな怖い童謡に「桃太郎と桃次郎」がある。川上から流てくる桃太郎はおじいさんに拾われ、成長して鬼退治でかける。しかし、一緒に流れてきた桃次郎は誰にも拾われない。童謡の詞には「川から海へ どんぶらこ 兄さんと別れて ただひとり どこで大きくなったやら 誰も知らない桃次郎」

西條八十はペンネームではなく本命である。親が子の将来に九(苦)を抜いて八十とした。フランスの詩を学ぶかたわら、八十は探偵小説、怪奇小説を読むことを趣味にしていた。少しだけ名をあげると、ドイル、ヴァン・ダイン、フィルポッツ、クリスティ、ルブラン、岡本綺堂など多士済々だ。
コメント (1)
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