季節は本格的な春に向かって一直線。昨日からエアコンにスイッチも切った。大陸から黄砂が来るらしい。南風が風と雨を降らせているが、外に出ても寒くはない。沈丁花の花が香りを送り、昨夜の風が咲きだしたばかりの水仙を乱している。クリスマスローズの花はいよいよ大きく開き出した。春のエネルギーは太陽の力と言い換えてもいい。地上のごく小の草花に、命の息吹を促している。それは人間にも等しく力をくれる。先日、かかりつけのお医者さんに、疲れやすいことを訴えた。以前はまったく感じられなかった距離の歩きでひどく疲労を感じる。先生の答えは、「冬動かないでいたからですよ。少しずつ馴らして」。
先週から雪の日でもできる階段歩きを始めた。マンションの10階までの階段を5往復。やはり足が棒のように疲れる。1日1往復ずつ増やして6~7往復、一週間でやっと8往復。その時感じた辛さは、翌日の足の軽さに変えられる。悠創の丘までピストンも少しずつ交える。千歳山の春は、その先にある。外に出て感じることがある。数学者の岡潔の言葉に、「春の野のすみれは、ただすみれのように咲けばよい。」というのがある。自分の生命と、すみれの花が融けあって、そこにある。今日歩く一歩は、太陽に向かって花を咲かせる植物の命と変わりがないのだ。
沈丁の一夜雪降りかつにほふ 篠田悌二郎