80歳を過ぎて、本を読んで何の益になるか。時々感じる疑問である。いつか同級生が言ったの言葉が衝撃だった。「本は読んだ先から忘れていく。どの本も内容はほとんど覚えていない。」昔、読んだ本を取り出して眺めていると、こんなことが書いてあったんだ、と驚くこともしばしばである。身に覚えがあるために、友人の言葉に衝撃を受けたのであろう。新藤兼人のこんな言葉が励ましになる。
「わたしを孤独から救いだしてくれるのは一冊の本だ。新しい本をひらくのはヒミツの扉をひらく気がする。古い本もまたいい。そのときどきの生きた時代に出会える。そのむかし、わたしの心をゆり動かしたものが、いまどんな姿をしているだろうか、別れた恋人に出会うような気持ちである。」(新藤兼人『老人読書日記』)
1941年と言えば、自分が生まれた年だが、この年の12月27日博物学の巨人、南方熊楠が亡くなった日である。夏目漱石や正岡子規らと同期で大学予備門に入るが、体操不要を主張し授業を欠席したため退学となった。写書や採集を基本とする学問を続け、アメリカ、イギリスの留学を終えて博物学の大家となった。
「東京のみに書庫や図書館あって、地方には何もなきのみならず、中央に集権して田舎ものをおどかさんと、万事、田舎を枯らし、市部を肥やす風、学問にまで行わるるを見、大いにこれを忌む。」(南方熊楠「友人への手紙」)
昨日、散歩のおり書店に寄り、エマニュエル・トッド『パンデミック以後』を買う。この人の言説には、独特の視点があり、世界の見方がある。パンデミックが世界に危機をもたらしたのではなく、世界の危機的状況を露呈させた、という貴重な指摘がある。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます