千歳山に登ると、ここに登る人の10人に3人は、登りと下りに中腹にある稲荷神社に礼拝する。信仰心のない私のようなものでも、神前に礼拝する姿に清々しい雰囲気を感じ取っている。奉納された赤い鳥居は、年代を経て錆びたものから新しいものまで並び立って、神社の参道を彩っている。祭神は豊受大神、トヨウケビメである。古事記には、イザナミ尊の尿から生まれたワクムスビの子で、「ウケ」とは食べ物のことで、食物、穀物を司る女神である。
雄略天皇の御代、天皇の夢に天照大神が現れ、「自分ひとりの力では食物のことを安らかにできないので丹波のトヨウケ大神を呼びなさい」との神託があった。雄略天皇は伊勢の度会に、トヨウケ大神を遷宮させと伝えられている。このトヨウケビメと田の神である稲荷神とが習合して、稲荷神社が全国各地で祭られるようになった。
千歳山では、山形に入部した斯波兼頼が、山形城を築城する際に、稲荷神に使者を千歳山に登らせて城の方位を見定めようとしたが、市内には霧が立ち込めて、見ることができなかった。このとき、山中で稲荷神に出会い使命達成を祈願したところ、霧はたちまちはれ上がり視界が得られ方位の確認ができた。このことを兼頼公に報告したところ、千歳山の山中で山形城の正面の地に稲荷神社が祭られることになったという由来を記した看板が登山口に立っている。ところで稲荷神の神使はキツネである。キツネの尾が丸まっていることから、如意宝珠に擬せられ、願いを叶えられる聖獣として、広く農民の信仰を集めた。
桜田で酒店を経営していた佐藤小太郎さんの自伝に、小学生のころ友達と連れ立って千歳山に登り、尿意を覚えて稲荷神社の狛犬の前で放尿したところ、神罰が祟って発熱して布団から起きられなくなったことが書かれている。村の占いさんに見てもらったところ、「罰のあたるようなことしなかったか」と聞かれ、放尿を告白した。代理の人に神社に謝ってもらったところ、熱はうそのように消えてしまった、と書かれている。つい数十年年前まで、稲荷信仰は人々の生活のなかに深く根を下ろしていた。深まっていく秋のなかで、ツツジが季節外れの花を咲かせていた。
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