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中勘助の『銀の匙』を読んだ。銀の匙は、病弱に生まれた主人公を育てた伯母さんが、薬を飲ませるために使った匙である。主人公が成長してから、机の引き出しから出て来た。伯母さんは少年を可愛がり、子守の間中、片時も離さずに背負っていた。顔中に腫物ができ、漢方の医者にかかったが、この医者が死ぬまで治らなかった。漢方医のあと西洋医に見てもらったが、その投薬のおかげで腫物はきれいさっぱりと治った。
伯母さんがどれほど手をかけて少年の面倒を見たか。明治という時代の風俗や生活のしかたも詳しく書かれていて、読みだすと手が離せなくなる。眠れない少年の横に来てお伽話を聞かせてくれる、そんな伯母さんを主人公はいつまでも忘れない。
「なかでもあわれなのは賽の河原に石を積む子供の話と千本桜の初音の鼓の話であった。伯母さんは悲しげな調子であの巡礼歌をひとくさりうたっては説明を加えてゆく。その充分なことわけはのみこめないのだが、胎内で母親に苦労をかけながら恩を報いずに死んだため塔をたてて罪の償いをしようとさびしい賽の河原にとぼとぼと石を積んでいるのを鬼がきては鉄棒でつきこわしてひどいめにあわせる。それをやさしい地蔵様がかばって法衣の袖のしたにかくしてくださるというのをきくたびに、私は陰欝な気におしつけられ、またかわいそうな子供の身のうえがしみじみと思いやられてしゃくりあげしゃくりあげて泣くのを、伯母さんは「ええわ ええわ、お地蔵様がおいであそばすで」という。
こんなところを読んでいると、私自身、子供のころお祖母さんの隣で寝て聞いたお伽話や、百人一首の話を思い出す。テレビやラジオなどがない時代、明治の母たちは、子供と遊ぶ話をすっかりそらんじて身につけていた。いま職を持ちながら、子育てをしている世代にぜひ一読してほしい本である。
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