常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

飯豊冠雪

2019年11月09日 | 登山
晴天のなか、飯豊山の初冠雪をみる。こんな僥倖に恵まれたのは、山の神のご褒美であったか。今年の、山歩きもあと数回を残すのみとなった。今日は小国の百石山、と長井の熊野山、山形百名山の2座を登った。心配された天気も、朝から晴れのなか、紅葉も見ごたえのある山行となった。なかでも、百石山の展望台から見る飯豊山の冠雪は、今日一番の見どころであった。

先々週の亀割山、大高根山に続いての山形百名登頂となった。その一つ一つを踏みしめて行くと、山への地元に住んでいる人の愛着や生活がにじんでいるように感じられ、山形百名山のすばらしさを改めて認識することができた。標高で見れば百石山599m、熊野山670mの里山であるが、飯豊から国道を山形へ向かう時、また麓の集落から眺めるといずれもひときわ目立った存在である。
百石山は小国町の伊佐領にある。置賜横川の中流に右岸に位置する。伊佐は伊達氏が常陸にいたころの姓で、この一族の領地であったことを物語っている。その名の由来は、この山にいて害をなす大鷲を退治した若者に、殿様が褒美に百石を与えてことによる、と『やまがた百名山』に書かれている。旧小学校の跡地に車を駐めて、百石清水の沢をわたり、尾根につくと急な登りとなる。ブナとナラの木立の向こうに見事な紅葉が見えている。

仲間にはここを雪のなかを登った人がいて、夏道が辛い登りになっていることを吐露した。急ではあるが、最後の坂道について10分ほどで頂上近くの見晴らし台に出る。ここで大休止。しばし、飯豊山の雪を被った大パノラマを堪能した。眼下に見えているのが岩向山その左手に横川ダムが見えている。本日の参加者11名、内男性3名。山形を6時に出発、7時20分登山開始。1時間30分で頂上に着く。頂上には展望もないため早々に下山。急な下りを足元に注意しながら降りる。ほぼ50分で駐車場。

熊野山は野川が形成した扇状地の扇のかなめの位置を占めている。この山の麓には道照寺スキー場があり、登山道はこのスキー場の上にある。山中にはいると広葉樹の雑木林になっており、紅葉した林に囲まれた登山道を登って行く。頂上の上の登山道で柱を担いで下ってくる男性にあった。担いでいる柱は、替えた道標であった。この山道もまたこのたくましい人の手で、安心できる道に整備されていた。ここから神社まで40分と記されている。見晴らしのきくちてんから、長井の市街と近くには、刈り入れを終えた田が広がっている。

山道は百石山に比べるとなだらかである。それでも、中腹を越えたあたりに牛戻しの標識、ここからは荷を引いた牛が先に進むことができないほどの急坂になっている。里山は懐かしい。所々で、キノコを見つける人もいる。今年はキノコの不作の年だ。サンマの不漁と同じで、秋口の気候と大いに関係があるらしい。いつもなら大きくなっているはずのムキタケも、まだまだ小ぶりである。熊野神社に12時8分に着く。ここから眼下に広がる長井盆地の景観を眺めながら、昼食をとる。

神社は杉の木立に囲まれ、荘厳な雰囲気をかもしているが、外れに大杉がある。ここも杉の周りをみることができるように板敷きの踏み台と、板の階段がとり付けられている。樹齢は400年も越しているだろうか。先端の方はすでに枯れている。付近に人の姿を入れると、この杉の大きさがわかる。

第二展望台からダムとその奥の山々の展望が開けている。一番奥で雲に隠れているが祝瓶山である。9月に登頂した飯豊最東部の鋭鋒だが、その姿を確認できなかったのは、今日ただ一点惜しまれるところであった。下山はまなび館の方へ。午後3時着。歩行数は26000をカウントしていた。帰路、長井市内のはぎ苑の温泉で汗を流す。ここにきて晩秋から初冬の山を堪能できた。それも、選定された山形百名山の存在が大きい。亀割山では、ヨーロッパ系の外国の人の姿が見えた。里山が見直される大きな契機である。


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