今年ほど金木犀の花をたくさん見た年もない。この花が咲き出したのはほんの10日ほど前。その香りが開花を知らせてくれた。香りが来る方を見上げて、小さな花が、葉にかくれるように少し開いて、そこからあの香りを発散させていた。昨日の散歩で、いつもと違うコースを取って散歩したところ、家という家に競うように金木犀が咲いている。しかも満開だ。香りは咲き始めの方が強い気がする。もうこんなに全開すると、香りが少なくなって、ひと風くると散って行くのかも知れない。
中庭地白うして樹に烏棲み
冷露声無く桂花を湿す
以前にもこの季節に書いたと思うが、中唐の詩人王建の詩である。桂花とは、丹桂、金木犀のことである。木犀が中国の原産であることは、桂林という地名でも分かる。桂花ラーメンというがあって、この花を焼酎漬けにした桂花酒というものがある、というのをどなたかのブログで教わった。この花の咲くころ、名月になる。金木犀の香を楽しみながら、見上げた月で思い出すのは、遠くに住む友人である。
西洋に木犀がないかと探したのは、フランス文学の杉本秀太郎である。懐かしい日本の秋の七草は、ヨーロッパにはほとんどないという。見つけ出したのは詩人ヴェルレーヌの詩の一篇。モクセイソウが出てくる。
薔薇もまたあの日のように身を震わせ、あの日のように
背の高く気位の高い百合が風にかしぐ。
行ったり来たりの雲雀はみな、私の古馴染。
女占師の像まで昔のまま、ところどころ欠け朽ちて、
庭なかの道の行き当りに立っている。
ひょろりとおぼつかなげに、木犀草の残り香に包まれて。
本家中国の金木犀は、この地で小さいながら、あちこちから秋の香を運んでくる。この花が散ると、庭の木々も紅葉になる。今日は、紅葉を愛でる山行も中止。畑と裏庭の雑草を片付けて、冬が来る準備。台風14号は、静岡沖の辺りで北上から南下へと珍しいコースを辿る。秋晴れが待ち遠しい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます