今年、秋の花が淋しい。いつもは、どこもかしこもと言っていいほど、シュウメイギクが咲いていたが、今年はどこの花木も縮こまって、花木も花も秋草のなかに隠れるように咲いている。コスモスの花も、親水公園などでは、競って咲いたいあたが、今年はさっぱり目立たない。外来種が、日本の空き地を独り占めするかのようであったが、今年は散歩で目にすることすら珍しいものになってしまった。せめて、富士正晴の詩を読みながら、秋の日が身近になることを祈りたい。
虫の音が聞かれなくなった
コスモスの花がくたびれはじめた
水が澄んで 風が梢を鳴らして
何にこころはせきたてられるのか
烏の枕の実が朱になってゆれ
この世のものではない灯のようだ
山椒の実の赤は小さくて硬く
クコの実は和らいで可愛いい
そのような赤いものを
まだ残る緑のなかに眺めて歩く
華やかな季節はもう終わり
何やら沈潜と悔恨に責められるごとき
十一月 赤が厳しい (富士正晴)
この詩に詠まれているような秋を探すのはもはや難しくなった。しかし、まだまだ秋の気配は健在だ。足を動かして、山中に咲くリンドウにも会うことができる。無くなったものを嘆くより、足を動かして、日本の秋を積極てきに探そう。
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