雪景色を見て、その美しさに魅入らされたのは、年を重ねてからのことである。雪に埋もれ、雪と戦うようにして生きていた年若いころには、雪を美しいとする心のゆとりは無かったように思う。寒さを防ぐ十分な防寒着、時間のゆとり、年を重ねて周りにある美しいものへ気づき。雪景色を美しいと感じるためには、人生を生き抜いてきた長い時間が必要であった。「雪月花」という言葉がある。漢和辞典にあたってみると、「雪と月と花と。四季の美しいながめの代表」と解説している。この言葉が、日本に定着したのは、白氏文集を読んだ平安時代の文人である。
琴詩酒の友皆我を抛つ
雪月花の時に最も君を憶ふ 白
和漢朗詠集734「交友」に収められた白楽天の対句である。川口久雄氏による現代語訳があるから、ここに引用する。「殷氏たちと五年も生活して琴詩酒を楽しんでいたのに、今はもうあの時の琴の友、詩の友、酒の友はみな私を見すてて散り散りになったしまいました。年を迎えて、雪のとき、月のとき、花のときがめぐって来るたびに、多くの友のなかでも、ことに君のことがせつに憶いおこされます。
雪の上に 照れる月夜に 梅の花 折りて贈らむ 愛しき子もがも 大伴家持
万葉集の編者大伴家持は、雪と月と花を一首に詠み込んで、雪月花の美しさを謳いあげて見せた。以来、この言葉は白居易を離れ、日本人の美意識となっていく。ノーベル文学賞を受賞した川端康成の記念講演「美しい日本の私」のなかで、川端は雪月花を引用し、日本人の四季の美意識について語っている。