市内の積雪が75㌢と発表された。こんな雪の景色を見るのは久しぶりのことだ。大通りは除雪されているが、小路に入ると、人が歩いた跡は大きくぬかっている。雪が多いと同時に感じるのは火事が多いことだ。最近の火事は、逃げ遅れた人が遺体となって焼け跡で見つかっている。老人はなかなか、火事になっても逃げだせないのだろうか。仮に逃げたとしても、この雪の中で焼け出されると住むところにも困るであろう。木材でできた日本の家屋は火事に弱いうえに、雪途では消防車の出動もままならない。もうすぐ春の火災予防週間が始まるが、火事にはくれぐれも気をつけたい。
永井龍男に『石版東京図絵』という小説がある。永井は明治37年に東京神田猿楽町に生れている。石版というのは、その時代の活版印刷の技術で、家族はは印刷所に勤める印刷一家であった。当時、文字が読めるというのは、少なく印刷所に務めるというのは、庶民でもエリートと言える。小説では、当時の生活風景を活写した興味深い読み物である。「小僧」という章に、大工の子が仲間の棟梁に年季奉公に出て、7、8年も他人の家で大工の修行をするのが慣わしであった。子の名は由太郎といった。奉公中に神田で大火が出て、自分の家が焼失する事件が起きた。大正2年2月20日のことである。神田大火は三崎町で出火、猿楽町、錦町河岸、神保町へと燃え広がり、3,798戸もの家屋が焼失した。奉公先の本郷から、首に風呂敷を巻いて、実家を見に行く場面が描かれている。
「駿河台の降り口まできて、朝夕見馴れた病院の四角の煙突が昼間のような明るさの中に突っ立っているのを眼にすると、駄目だと思った。由太郎は歯を鳴らして、そこから下の火の町を見た。蒸気ポンプが、たゆまず水を吸い上げる音は、人間の動悸とそっくりだった。ホースが何本か坂下へ伸び、横腹から噴水のように水を吹き上げているのもあった。その坂を下って横丁へ曲がれば自分の家だが、由太郎の足はすくんでいた。
「由ッ!」背後からがなりつけられた。」
実家を見に帰った由太郎を追って、奉公先の兄弟子たちが、駆け付けてくれたのだ。坂を走り終えて、一行が見たのは、由太郎の家が灰になった姿であった。火事と喧嘩は江戸の花と言われるが、大正になってもこんなにも悲惨な大火があった。乾燥と強風、燃えやすい家屋と条件が揃った江戸の町は火事を語れば、街の歴史となる。