節分だというのに、今朝は細雪が降り続いて、お屋敷の庭の樹々に降り積っている。節分とは、辞書にあたると「季節の移り変わる時。立春、立夏、立秋、立冬の前日。のちには立春の前日を言う」とあり、昔は四季に4度節分があったらしい。さらに御伽草子から「節分となづけて、豆を3斗6升入れて、鬼の目を打つとて『鬼は外へ、福は内へ』と言ひて打つべし」という引用を載せている。鬼というのは、今の時代はその存在を実証されないが、昔話の世界にはさまざまな鬼が人々を脅かしている。
『今昔物語』に肥後に住む男が、馬で役所に向ったが、道を違えて村里離れた広い野に出てしまった。日が暮れかかっている。見れば、鬼が住むと思われる家に来て、これはいけないと馬に鞭して逃げようとした。
女のいはく、「なんぢはいづくまで逃げむとするぞ。すみやかにまかり留
れ」という音を聞くに、怖ろしといふもおろかなりや。肝砕け心迷ひて見
れば、長は一丈ばかりの者の、目口より火を出して雷光の如くして、大口
を開けて手を打ちつつ追いて来れば、見るに魂失せて馬より落ちぬべきを
しきりに鞭打ちて逃ぐるに、「観音助けたまへ。わが今日の命救ひたまへ」
と念じたてまつりて逃ぐるに、乗れる馬走り倒れぬ。」
絶体絶命のピンチだ。話はあわやと思われる場面で、墓の穴に逃げ込んでかろうじて逃げのびた。
今昔物語では、観音や仏の功徳で、鬼の難を逃れる話が多いが、鬼は日が落ちた夜の闇に乗じて現れる。人々は、夜の闇の怖さを、身に沁みて恐れおののいた。節分の夜に豆をまくのはのは、そんな闇に灯りを灯し、豆をまいた後は戸をしっかり閉めて、鬼の進入を防ごうしたものであろう。飢饉で食べものがなくなった不安な世情は、鬼が登場する背景である。コロナで不安な社会は、鬼の所業のような火付けや殺人事件が頻出している。