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常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

啓翁桜

2022年02月13日 | 日記
もう南から梅の便りが聞こえてくる。雪国では、花の咲く春は遠い。雪国には春を先取りする花の文化がある。温室で育てた花芽のついた枝を、温かい室内におけば雪の季節に春を楽しむことができる。春を待つ雪国ならではの文化だが、桜の花を一足先に楽しめるので、国内はもとより海外にも出荷される人気ぶりだ。啓翁桜の栽培はいまや全国一の出荷量を誇る。

二もとのむめに遅速を愛すかな 蕪村

雪国ではこんな花の楽しみかたは桜ばかりではない。雪の中で辛夷やマンサクの花芽のついた小枝をそっと一本手折ってきて、玄関先に挿しておく。暖かい室内では、これらの小枝にも、ひと足早く花が咲く。春を待ちきれない人々の生活の知恵といってもよさそうだ。
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樹氷

2022年02月11日 | 登山
蔵王の樹氷といえば世界的にも名高い。この景色を見るために、海を越えてこの地を訪れる人も多い。もう何年も前から、樹氷をしっかりとこの目に焼きつけておきたいと思っていた。コロナ禍に加え、樹氷が着くアオモリトドマツの虫害による大量の枯死。もう冬のこの時期に後何年、自分の脚でこの地に立つことができるか。それらが合わさって、自分の願望は年を追うごとに強くなっていた。樹氷の見ごろの2月になって、家から見る蔵王の山は殆ど雲に被われ雪に見舞われている。しっかりと樹氷を見る条件、先ず第一に晴天である。空気が乾燥して、青空が広がること。青空のなかでこそ、この白い妖精は輝きを増す。

「熊野岳の天くらは金曜日Aクラスです。三連休で人では多いと思いますが、樹氷見に行きませんか」仲間から待っていたラインが入った。我慢強い仲間の天くらウォッチが今日の感激を実現してくれた。何故、ここ蔵王に世界に名高い樹氷ができるのか。日本海側の雪の降り方に注目して欲しい。今行われている北京オリンピック。ジャンプ台の雪は、人工雪が使われている。緯度も高く、気温が低いにも関わらず、雪が降らないのだ。大陸から伸びる寒気が日本海の水蒸気を充填して、日本に上陸して雪を落す。海から供給される水分を含んだ風が、高い山の針葉樹にぶつかって凍る。さらに吹雪でその氷の隙間に雪が入り込む。雪がつき、その樹氷は風上の方に向かって成長する。
家かスキー場の駐車場まで1時間足らず。リフトも30ほどで、樹氷地帯に着く。こんなに近いところで、かくも見事な樹氷をみることができる。しかし、ここまで足を運ぶのは、一人ではなかなか行くことはできない。この日、スキー場の駐車場は三つある大きな駐車場に車が溢れた。3連休、樹氷の見ごろ、晴天と人が出る条件が揃った。同行した仲間は7名、口々に、今日の景色を堪能し、しっかりと樹氷を目に焼きつけた幸運を語った。
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壁画

2022年02月10日 | 日記
卒業制作展が行われている芸工大の校舎の壁面には、一面に壁画を思わせる絵が張り出された。蔵王の懐に抱かれたようなキャンパスだけに、山が連なり、所々に水が顔を出し、川が流れている。雪解け前の山は、春の息吹をその体内にじっと抱えながら、出番を待っているようだ。

岩肌に哲学の在り山眠る 織田亮太朗

千葉の大学生が詠んだ句だ。芸工大の壁画にマッチしていて瑞々しい。やはりこの時期は、若い魂の躍動を見てみたい。「後世可畏。焉知来者之不如今也」(論語「子罕」)訳「若い学徒に大きな期待を持つべきだ。どうして後輩がいつまでも先輩に及ばないでいるものか」若い学徒への期待を述べた孔子の言葉だ。それにしても、この若い俳人は、冬の山の岩肌にどんな哲学の存在を読みとったのであろうか。
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春の兆し

2022年02月09日 | 日記

春来ぬと思ひなしぬる朝けより
空も霞の色になりゆく  伏見院

ベランダの障子を開けると、久しぶりの朝日。大平山にあたって、山の景色も春を思わせる。まだ溶けない雪の屋根にも、どこか穏やかな表情が見える。道は家に続く小径を除いて、アスファルトが見えている。雪の傘を被った庭木には、餌をもとめてヒヨドリがやってくる。小川に遊ぶカルガモたちの動きもどことなく活発になっている。今日の気温5℃とさほど高くはないが、陽ざしを受けるとあたりは春の兆しに包まれている。
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卒業制作展

2022年02月08日 | 日記
芸工大で卒業制作展が始まった。キャンパスにある駐車場は満杯で、学生さんが満車の看板を持って駐車場の前で案内していた。コロナ感染が広がっているせいか、見学に来る人の姿はまばらだ。裏の悠創の丘は、芝生の上にいっぱいの雪。橇遊びの家族も二組ほどしか見えない。この雪が融けるまで、春の陽気が1週間は必要な気がする。冬型の気圧配置は衰えることなく、雪マークの日が続いている。コロナ禍の2年間、対面授業も制限された学生さんたちは、卒業制作まで辿り着いたが、どんな知識を血肉化したのであろうか。人は学生時代にだけ学ぶのではない。江戸時代の学者、佐藤一斉は死に瀕しても息のあるかぎり学ぶべし、と説いている。

耋録15
学を為すの初めは、固より当に有字の書を読むべし。学を為すこと之に熟すれば、即ち宜しく無字の書を読むべし。 (佐藤一斉『言志四録』)

字の無い書とは、天地自然の理法、社会の実態、人情の機微など。つまり社会に出てから読むべきものである。学生時代に培った知識を普遍して、自然の姿や人間関係のなかで学ぶべきことを説いている。本来の学びは、卒業してから深まっていく。学びには卒業などというものはなく、年老いてなお学び続けることを説く先人の言葉を噛みしめるべきである。
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