京都東山「平安神宮」の西にある日本武道の聖地「旧武徳殿」。その敷地内にある大きな石碑が、剣道を学ぶ人が尊敬する、剣聖と称される内藤高治先生の顕彰碑です。
明治以降、剣道、柔道、居合道など日本の武道を修練する場所として、多くの人を育てた場所が「旧武徳殿」です。
そこに顕彰碑が立ったのは、昭和40年。明治から昭和初期まで、日本の剣道に尽力し、現在の剣道の形を作ったのが、内藤高治先生です。
幕末に生まれた剣術家だった内藤高治先生。明治になり、廃刀令に伴い、剣術という日本の武の心が失われることが危ぶまれる事態に…。そこで柔道と同じく、近代学校制度の体育の中に、近代剣道として、その存在を確立したのが、内藤高治先生です。
東京から京都に移り住み、剣道の発展のために、その生涯を捧げ、昭和4年4月9日に、享年68歳で急逝。そのお墓は、「旧武徳殿」からほど近い「金戒光明寺」の墓所にあります。
毎年、4月9日の御命日に、内藤高治先生を慕う有志が集う「剣聖 内藤高治先生を顕彰する会」の方々が、お墓参りをしています。
山にある墓所…その東エリアの木々に包まれた場所に、今は静かに眠る内藤先生と奥様のお墓があります。
このお墓は、先生を慕う弟子たちが、その恩に報いるために、力を合わせ2トンとも言われる墓石を、山の上まで運んだもの。
そして昨年、その墓石のそばに、ピカピカに輝く案内板が「剣聖 内藤高治先生を顕彰する会」によって設置されました。
今年も、命日には、その会の方々がお詣りに…。
なぜかミモロもご一緒にお詣りを…
菩提寺である塔頭の「榮攝院」のご住職の読経が、静かな森に響きました。
「剣道など日本の武道を志す方に、ぜひお詣りしていただきたいものです」と語る会の皆さん。
今も、常に鍛錬をする人たちを「金戒光明寺」で見守り続ける内藤高治先生です。
内藤高治先生に関して、ミモロのブログで昨年詳しくお話しています。ぜひ「ミモロ 内藤高治先生」で検索してください。
*「剣聖 内藤高治先生を顕彰する会」の詳しい情報はホームページで
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