京都から、山を越え、ミモロが、訪れている琵琶湖エリア。多くの都人が訪れ、また信長、秀吉など戦国武将たちとのかかわりの深い湖です。
その北部に浮かぶ周囲2キロの小さな島「竹生島」は、古来より、神が宿る島として、多くの信仰を集めてきました。
島の南部だけが、人が入れる場所。そこには、龍神様などをお祀りした「竹生神社」と西国三十三所観音霊場、第30番札所の「宝厳寺」があります。
秀吉の伏見城の遺構を移築したと伝えられる「竹生神社」の本殿、それに連なり、重要文化財の「舟廊下」、「観音堂」そして国宝の「唐門」が続きます。
「あれ、神社に参拝してたのに、気が付くと、お寺にいる…」そう、実は、「竹生神社」は、明治の神仏分離令の際、弁財天社から改称したもの。つまり、もともと竹生島は、「宝厳寺」を中心にした神仏一体の聖地だったのです。
「昔は、今のように神様と仏様は、区別されてなかったんだ…」とミモロ。
さて、急な階段を上り、「宝厳寺」の本堂へ。
「宝厳寺」は、神亀元年(724)に、聖武天皇の夢枕に立った天照皇大神のお告げで、僧行基を遣わし、が開いたお寺です。本堂にお祀りされている「大弁才天」は、神奈川の江の島の「江島神社」、広島の「厳島神社」とともに、日本三弁財天に数えられるパワーあふれる弁天様です。いずれも海や湖という水辺にいらっしゃるのが特徴で、水に深くまつわる神様・仏様です。
実は、明治の神仏分離令で、「宝厳寺」は、廃寺し神社にするよう命令が下ります。しかし、多くの信者などの要望で、本堂の建物を神社に引き渡し、長らく本堂のないお寺となります。
『竹生島神社』は、その折りに、もともとあった弁才天社が神社となり、『宝厳寺』の本堂を、神社の本殿にしたのでした。一方、「宝厳寺」の方は、昭和17年にやっと、現在の本堂が作られます。
ご本尊は、撮影できないので、そばの弁天様を
「こちらは、撮影していいですよ」とのことで…。
弁才天は、その名からもわかるように、才能を活かす、神様で、芸能や技芸の上達にご利益が。また弁財天と表記する場合も多く、その文字から、財をもたらす神様としても崇められています。
「しっかりお詣りしなくちゃ…」とミモロも真剣にお詣り。
そろそろ今津港に帰る船の時間ですよ~。「え?もうそんな時間なの…まだ見学してない場所がある…」と慌てるミモロ。
「三重塔にも行かなくちゃ…なんか新しい感じ…」
1484年に建立されたといわれる三重塔は、江戸時代に焼失。そして、なんと350年ぶりに平成12年に再建されたもの。内部には、入ることはできません。
「わーここからの眺めも素晴らしいよ…」島の山腹にある三重塔からは、琵琶湖が眼下に広がります。
さぁ、港へ戻りましょ…
船が停泊する竹生島港には、島ではここだけの土産物店と飲食店が数軒。
「いろんなお土産売ってる…」とミモロは、興味津々。ミモロ、乗り遅れちゃうわよ…。「は~い、今行きまーす」
今津港への船に乗ったミモロ、改めて島を振り返ります。
「あ、あそこかわらけ投げした神社だ~。三重塔も見えるよ~」
次第に遠ざかる竹生島…
「75分間の上陸だったけど、なんかすごく濃い時間だった…」とミモロ。
竹生島って、『ぴょっこり ぴょうたん島』に似てると思うのは、昭和生まれの証です。
「またね~」と手を振り島とお別れ…。
そして船長さんにも「またね~」と。
ミモロは、9:40に今津港から船に乗り、竹生島へ。そして11:20の船で、再び今津港に戻ったのは、11:50
約3時間で、竹生島探訪が…。
車がなくても、京都からは、電車で…。京都からJR湖西線で、「近江今津駅」から、徒歩で「今津港」へ移動できます。また、「びわ湖横断航路」なら、今津港~竹生島~長浜港へと、琵琶湖を横断。長浜からは、JR北陸本線で京都に戻れます。
*詳しくは「琵琶湖汽船」のホームページで確認を…
「琵琶湖って大きいね~。海みたい…」とミモロ。でも、湖なので、波がないため、船が苦手という人にも、おすすめの船旅です。
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ブログを見たら、金魚をクリックしてね。ミモロより
とても分かりやすくて素晴らしいです 私は竹生島には毎年行っているのですが今年は行けるかどうか不安です。 また訪問させてください。
たのしみにしています。
竹生島って、一度は訪れたい場所ですね~。
毎年行ってるっていいなぁ~
また、ミモロも行こうと思います。
ぜひ、またミモロのブログに来てくださいね~
先日竹生島行ってきました。
「夜カフェ馨屋」で書いてます。