友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

運命とそうでないもの

2008年04月12日 18時27分46秒 | Weblog
 東名高速で、トラックのタイヤが脱落し、対向車線を走っていた観光バスに衝突、観光バスの運転手が死亡、乗客も傷を負う事故が11日にあった。交通ルールを守り、慎重に運転していても事故はどこからやってくるかわからない。それにしても、よく次の惨事が起こらなかったものだ。運転手が死亡するくらいの衝撃なのだから、観光バスは急ハンドルで横転するとか、他の車にぶつかるとか、次々と事故が拡大することだってあるはずだ。そうならなかったのは、死亡した運転手がめいっぱいブレーキを踏み込み、サイドブレーキを引いていたからだと新聞に書いてあった。

 昨日はまた最高裁で、自衛隊の宿舎の新聞受けに、イラク派遣に反対するビラを入れた市民団体の3人に対する処罰は合憲と判決が出た。ビラ配り禁止の張り紙を無視した行為は、「権利を侵害し、私的生活の平穏を害する」という判断である。私は議員の時、私のことや私の考えを知ってもらいたいと思い、「新聞」を作って全戸に手配りで配布してきた。気持ちよく受け取ってくれる人がいた反面で、新聞受けに入れようとしたら「入れるな。ゴミになるだけだ!」と、怒鳴られたこともあった。

 見もしないで、「ゴミ」と決め付けるこういう人に、初めは反発して、「貴方はものを判断する時、いろいろ資料を集めませんか?自分が納めた税金の使い道が気になりませんか?」とできるだけ穏やかに話した。けれども、相手は議論しようとすることが気に入らないようで、ますます激昂し、水でもぶっ掛けられそうになった時もある。初めから一切を拒否する人は、初めから一切を受け入れる人よりも多いし、こういう人は怖い。何度かの経験から、もう議論を吹っかけるのはやめて、「ハイ、ハイ」と退散することにした。

 人に伝えたいことについて、人はいろいろと規制をするが、本当は受け取る本人が判断することだと私は思っている。ワイセツな本だとか映画だとか、あるいは今回のようなチラシだとか、そうしたものを一切含めて自分自身が判断する土壌ができて欲しいと思う。他人に規制してもらわないと判断できないような自己では情けないと思わないのだろうか。

 愛知県議会で、政務調査費の全面公開を主張していた民主党の佐藤夕子議員に対し、民主党県議団は「厳重注意」処分を行なった。除名を求める議員もあったようだから、全く民主党という政党は自民党とどこが違うのかと思ってしまった。「積み重ねてきた議論を無視する行為」だから、処罰すると議員団は言うけれど、それはいつも多数派の言い分なのだ。少数派は多数派に押しつぶされてしまうのが政治の世界だけれど、議論を積み重ねることが大事なら、議論の結果について処分ということは当たらないはずだし、そんなことをしては議論の意味が無いと私は思っている。

 観光バスの事故のようなものは、運がよかったとか悪かったといえるけれど、人の思想の問題は私たち自身が枠組みを作ることなのだから、どうにでもできそうなのに、それが難しいのが人間社会なのか。悔しいな。
コメント (3)
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