友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

土曜日はチューリップを愛でる会

2008年04月17日 20時02分15秒 | Weblog
 今朝から雨が降っている。町に出ると、街路樹が若葉を吐き出してきている。新緑の季節は心も浮き立つような気がしてくる。若芽でピンクになっていた山々も、きっと新緑に変わりつつあるだろう。土曜日に「チューリップを愛でる会」を計画している我が家には、この雨は惠の雨かもしれない。

 我が家はマンションにあり、西にルーフガーデンがある。何もないただの空間では余りに味気ない。そう思っていた頃だ。私と一緒に地域新聞を作ってくれていた女の子が、「チューリップが満開になったから見に来ませんか」と言う。出かけたところ、畑一面にチューリップが植えられていた。

 それまで、群生のチューリップを見たことがなかったので圧巻だった。我が家のルーフガーデンもチューリップで満開にしてみようと思い立った。それからカミさんに内緒で、直径40センチほどの鉢を少しずつ買い込み、とうとう50鉢は越えてしまった。土がやせるのを防ぐため、花が終わる春と秋に土の入れ替えを行なうが、これは何よりも時間と労力がいる。

 そんな風にして今年もチューリップを育ててきたが、球根の選択が悪かったのか、花の咲く時期がバラバラになってしまった。それに花も少し小さい。肥料が足りないというよりも、球根そのものが小さかったかなと反省している。昨年の球根の中で比較的大き目のものを100球ほど残しておき、新しい球根を500球購入するが、500球の中の100球は少しグレードの高いものにしてきた。今年はカミさんの「もったいない!」の一言に屈して、全て最下級のものにしてしまった。

 花が咲き始め、全体の様子が見えてくるようになって、カミさんは「やっぱり、今年はちょっと寂しいわね」とおっしゃるが後の祭りである。それでも、このまま低温で風が吹かなければ、土曜日には皆さんにチューリップを見てもらえるだろう。チューリップを眺めながら、コーヒーを飲み、おしゃべりをする、そのひと時が幸せというものなのだ。

 私は昨日、誕生日を迎え、それはそれは幸せをいただいた。誕生日が大切なのは、生まれてこなければ巡り会う人に巡り会えなかったことになるからだ。私が巡り会えたのは、私が生まれたからであるし、その人が生まれたからでもある。桜だってチューリップだって、友だちだって恋人だって、みんな巡り合わせの中にある。桜だってチューリップだって、全てのものが、一時のために懸命に生きている。人間も同じだ、懸命に生きてこそ幸せというものだ。
コメント (2)
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