友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

夜桜の宴の前

2008年04月05日 14時10分21秒 | Weblog
 絶好の花見日和となった。

 朝、6時に待ち合わせて、今晩の「夜桜の宴」のために場所取りに行く。トイレが近くにあって、水のみ場もある場所だから、「早めに行かないと場所がなくなる」との判断からだ。さすがにまだ誰も来ていない。早速、持ってきたブルーシートを広げたが、水のみ場の方に「場所取りはご遠慮ください。市公園管理課」の張り紙がある。私たちが場所取りした所はそこから離れているから、「関係ない」と言う人もいたが、やはりみんなが気持ちよいほうがいいからと、これまでどおり「午後5時から使います。それまでは自由にお使いください」の張り紙をする。それでも心配だからと「午前11時くらいにはここに来るよ」と言う人。いろいろ気を遣う人がいてこそ、みんなが楽しくできる。

 「ブルーシートだけではお尻が冷たいから花茣蓙か座布団があるといいね」と言う。「寒さ対策は各自の責任よ」と突っぱねる人もいる。もちろんそれぞれに寒さ対策をしてくるだろうが、準備する側としてはそんな心配りもしておきたい。「どうせお酒飲んで馬鹿騒ぎするだけなんだから、そんなに気を遣うことなんかない」とも言う。気遣いが全くわからない人だっていると。いやむしろ、気遣いがわかるようだとせせこましい気がする。さりげなく人に対する気遣いがあったほうが気持ちいい。

 友人の息子さんは帰りが人一倍遅い。どんな仕事をしているのか、怪しまれるくらいだ。ある日、知り合いが友人のお母さん、つまり息子さんの祖母に、「先日はお孫さんにお世話になり、ありがとうございました」とお礼を言ってくださったそうだ。息子さんは駅前の有名なイタリア料理の店で働いていて、知り合いがその店に出かけていって出会ったのだ。その時に息子さんにお世話になり、サービスにクッキーまで頂いたと、そんな話したのだ。祖母にすれば、家では昼夜が逆転しているような生活の孫が一体何をしているのかよくわからない。けれども人から、お孫さんに大変お世話になったと言われれば、なんとなく気持ちがいいものだ。

 人生は自己責任であることに異議を唱える気はない。けれども、自分が気持ちよいように、相手のためにちょっと気を遣うようにはしたい。宴会の準備をしていても、自ら進んで仕事をする人と、指示されないと動かない人と、指示されないように知らん顔している人と、様々だ。「夜桜の宴」がもう何年も続いているのは、人のために気を遣う人が多いからだ。できるだけ人のために骨惜しみせずに動きたい。その方がみんな、気持ちがいい。
コメント
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