友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

人は何によって満たされるのか

2008年04月20日 19時27分24秒 | Weblog
 私の友人は1坪農園に励んでいる。やれナスだトマトだと、苗の植え込みに忙しい。土を耕し、肥料を施し、苗を植える。朝早くから畑に出て、やはり同じ1坪農園の愛好者らと苗や肥料の話題で尽きないそうだ。「ものを育てることは実に楽しい」と笑顔で話す。人間は長い間農業を中心に暮らしてきたから、農業は心の癒しにもなっているのかもしれない。

 私は彼のように、食べるものを作ろうとまだ思わないけれど、花でも手間をかければ必ず美しい立派な花になってくれる。彼が朝早くからは畑に出て、植えた苗の1本1本が気になるように、私もまた、自分のところの小さなガーデンの花たちが気にかかる。人間が地上に下りて、狩猟からものを育てることを覚えた時から、育てることの快感を味わったのだろうか。

 昨夜は、孫娘が見るといった日本映画『神童』を私も途中から一緒に見たが、余り感動することも無く見終わった。映画にしろ、演劇にしろ、小説にしても、私は何か心に響くものが欲しい。『神童』は天才的なピアニストである少女の凄さはわかったけれど、そして彼女が耳の中でセミが鳴いているということから、悲しい運命にあることも理解できたけれど、「それで‥」が見えない。

 いつだったか、BSシネマ劇場で上映していた韓国映画『私の頭の中の消しゴム』は、同じ難病でもきわめて叙情的に作り上げていた。『神童』がアメリカ映画のようならば、この『私の頭の中の消しゴム』はかつての日本映画のようだ。主人公の女性は激しく恋に生きるタイプで、好きになった男性と幸せな家庭を手に入れる。この上なく幸せな日々が続いていくはずが、どういうわけか物忘れをしてしまう。若年性のアルツハイマーに襲われた彼女は痛々しいし、彼女を支えようとする夫もかわいそうだ。

 韓国映画が得意(?)とする「愛することの美しさと悲しさ」をこれまた美しい映像で見せてくれる。『私の頭の中の消しゴム』とは、どんどん記憶が消えてしまうことだ。それを知った主人公の女性に夫は「永遠の幸せはないよ」と言う。「オレがお前の記憶で、お前の心だ」とも言う。腹を立てないためには「憎しみに1つ部屋を与えてやろう」と話す。言葉の一つひとつが心憎い。こんなに素敵なセリフが今の日本映画にあるのだろうか。

 そんなことを思いながら、映画やドラマを見た時に「いい言葉だ」と思ったものを書き留めたメモを見ていたら、こんな言葉が書いてあった。「仕事をしていると、仕事のために生きている気がするけれど、生きるために仕事をするのだ。仕事は人生のためのもので、人生は仕事のためのものではない」。もちろんそのとおりであるけれど、仕事がやりがいの時は毎日が充実していることも事実だ。人は何によって満たされるのだろう。
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